39-6.「もうなにもいらない」
次に目が覚めたとき、嘘のように気分はすっきりしていた。
普段はあまり夢など見ないのにたくさんたくさん夢を見た。全部忘れてしまったけれど。
パジャマのままリビングに下りていくと、幸絵がびっくりした顔をした。
「大丈夫なの?」
「うん。なんか、今朝はすっきり」
母の暖かな手がおでこに触る。
「ほんと、熱は下がってる。でも念のため今日は大人しくしてなさい。明後日は卒業式だし」
「明後日……もうそんな?」
「お友だちに連絡しなさいね。みんな心配してたよ」
「はい」
午前中はパジャマのまま電話をしたりメールを打ったりした。
もう気分は悪くない。頭はとてもクリアーだ。外に出たくて仕方なかった。
「しょうがないわね、気をつけるのよ」
昼食をしっかり食べたらお許しが出た。
バス停までの道をゆっくり歩く。芝生広場のベンチで誠と宮前が話をしていた。
美登利に気がついて宮前が走って来る。
「ばっか、おまえ。もうふらふら出歩いて。大丈夫かよ」
「大丈夫だよ。一夜にして復活した気分」
「おまえなあ、汗たらしてうんうん唸ってたんだぞ。死ぬほど苦しそうだったぞ」
「そうなの? 覚えてない」
「まったくおまえはよぉ」
「ロータス行くのか?」
ようやく誠が追いついてきて言う。
「ううん、バイトはまだ後にしてリハビリでぐるっとしてくる」
「ついてくか?」
「ひとりで行く」
「そうか」
バスに乗り込むときに美登利は言った。
「じゃあ、卒業式で」
「卒業式で」
駅前でバスを降りて大通りを渡ろうとしていると、信号待ちで村上達彦とかち合った。
「寝込んでたって聞いたけど」
「よくなりました」
自宅に帰るところらしく一緒に歩くことになってしまう。
「お早いお帰りですね」
「俺は仕事が早いんだよ。手、見せて」
「手?」
「病気すると手がやつれんだよ。指輪とかすぐにスカスカになる」
美登利の手を取って言う。
「ほら、指がガイコツみたいだ」
ついでに指を絡ませてきたのでぺしっと振り払う。
「ひどいな」
「確かに、思ったほど力が入らない」
「だろ? 体力だってないはずだ、養生しろよ」
「そうします」
「素直で気持ち悪いな」
「病み上がりなんで」
「口説きがいがないな。早く完全復活しろ」
達彦と別れて河原の芝生に座っていたら、思った通り池崎正人が自分を見つけて駆け寄ってきた。
「大丈夫なの?」
「おかげさまで元気だよ。お見舞いありがとう。お花をくれて母が喜んでたよ」
正人は美登利の隣に座る。
「好きにするといいよ」
「え?」
「私も好きにする」
「うん」
「あなたの気持ちの責任は取らない」
「いいよ。それで」
寝込んでいた間に春が近づいてきたことが日差しの暖かさでわかる。
「先輩、卒業だね」
「だねえ」
「お祝い、なにが欲しい?」
「欲しいもの? 心の平安かな」
「そういうこと言うのはやめろ」
くすっと美登利は笑う。
「なにもいらないよ。心をくれたでしょう?」
急に照れくさいことを言われて正人はドキリとする。
「もうなにもいらない」
どういう意味、と不安になる。
美登利は黙って水面を見つめていた。
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