Episode 39 天使転落

39-1.お兄ちゃんにだけ

 本当に小さな子どもの頃は簡単だった。

 いちばん好きなのはお兄ちゃん、言うまでもない。

 次が誠ちゃん、やさしいから大好き。宮前も面白いから好き。

 あとはみんな同じぐらい。社長の子ども連中は大嫌い。高田はうざい。

 もちろん両親は特別だ、お父さんもお母さんも大好き。

 順番を付けるのは簡単で優先順位に迷うことなんてなかった。


 ――ばかだなあ。おにいさんとはケッコンできないんだよ。

 迷いが出始めたのはそれを知ったとき。

 ――それならまことちゃんとけっこんする!

 言ってやりはしたけれど、後になって気がついた。

 お兄ちゃんが駄目なら誠ちゃん、なんてかわいそうだったかな、誠は笑っていたけれど。


『ほんとに結婚する?』

『うん』

 約束したけれど、そのことがずっと心に引っかかっていた。

 だってやっぱりいちばん好きなのはお兄ちゃん。結婚っていちばん好きな人とするんじゃないの?


 さすがにその疑問はしばらくして解けた。兄妹はどうしたって結婚したりはできない。たとえいちばん大好きでも。

 そこでまた思う。

 結婚がいちばん好きな人とするものなら、自分がいちばん好きなのは誠なはずで、それなら、お兄ちゃんをいちばん好きっていうのはおかしいの?


 ――おかしいんだよ。

 自分は、おかしいからわからなかった。

 優しい誠が無理をして態度が冷たくなっていくのが怖かった。だから楽になってほしくて言った。

 ――誠はお兄ちゃんとは違うよ。

 間違えて傷つけた。


『僕は巽さんの代わり?』

 ずっと引っかかっていたことを誠も感じていたのだ。

 違うよ、と重ねて言ったけど彼がわかってくれたかどうかはわからない。自分でだってわからなかったから。


 お兄ちゃんはお兄ちゃんだし、お兄ちゃんとはこんなことはしない。

 初めてキスをしたとき心に言い聞かせた。キスするのは彼にだけ。

 それなのに、

 ――君はさ、男として兄貴が好きなんだろ。

 その通りだ。兄と自分の世界に誰かが入ってくるなんてありえない、許せない。


 離れてしまってからは会いたい、そればかりで心はいっぱいで。

 こんなふうに思うのはお兄ちゃんにだけ。

 会いたい、会いたい。好きだから。こんなに好きだから。


 でも、それなら誠は? 結婚しようねって言った。大好きだよって言った。

 好きだよ、ちゃんと好き。代わりなんかじゃない、ちゃんと好き。

 なんて欲深い自分勝手な感情。


 ならばなおさら、気持ちは言えない。誠は敏い。なにを言っても悟られてしまう。

 どうせ自分は一つのことで頭がいっぱいになってすぐにまわりが見えなくなってしまう。なにを言ってしまうかわからない。

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