39-2.知られたくない

 それならもういっそ、なにも言わずにいよう。

 間違えたくない、傷つけたくない。気持ちを言うのが怖い。

 なにも知らないでいてほしい。狡くていい、汚くていい。

 そんな自分を知られたくない、知られたくない。


 その身勝手な願いがまた彼を傷つけて、遠ざけて。

 それでも自分は相変わらず兄に捕らわれたままで、もうなにがいちばんかもわからない。

 自分ではなにも決められず、迫ってくる現実をどうにかこうにかやりすごすだけ。


 考えて決められるのはただひとつ、学校のことだけ。

 ――学校をつくるからね。みんなが自分のやりたいことができる学校を。楽しいよ、きっととても。

 楽しかった、とても。ひとりよがりだった自分に皆が優しくて。

 離れるのは寂しい。とても寂しい。


「離れたくない」

 自分が声に出したのかと思った。

「先輩と離れたくない」

 いけない、と思った。

「あなたが見ていてくれなきゃ駄目なんだ」

 この子はまっすぐすぎて自分には対処しきれない。

「あなたのことが好きだから」





(どうしてそんなこと言うの)

 言わないでほしかった。

 なのに彼はおかまいなしで、これまでの男たちとは違う、平気で自分の意向を無視する。


 それは、計算ずくで追い詰めてくる村上達彦のやり方とはまったくの別物で、美登利にはまるで予測がつかない。

 なにを言っても傷つけてしまう。

 わかるから美登利は一瞬体を凍りつかせた。


 こういうとき、通常彼女が取る行動は二パターン。

 冷たい笑顔で「私は違う」と切り捨てるか、好ましく思える相手ならば黙って微笑む。惜しいと思える人物ならば、それだけで彼女の意をくんで上手く立ち回ってくれた。


 池崎正人は彼女にとっては好ましい。本当は手元に置いておきたい。

 でも、自分の欲深さを思い知った今は、もうそれはできない。

 執着するのはやめようと決めた。手放して、身軽になると決めた。


「私は違う」

 身を切る思いで言い捨てる。そしてせいぜい辛辣なことを言ってやろうと思ったのに言葉が浮かばない。冷たく笑ってやろうとしたのに頬が動かない。


 そんな彼女を見つめて正人は言った。

「違わない。先輩もおれのこと好きだろ」

 駄目だ。美登利は全身が脱力するのを感じた。

 顔を上げていることもできずに背を丸めて俯く。彼は駄目だ。


「違う、好きじゃない」

「信じない。あなたは嘘つきだから」

 そうだね、彼から見たらきっとそうだ。

 自分では嘘か本当かなんてわからない、自分がいちばん自分を信じていない。


 だから言い聞かせる。

「好きじゃない」

「わかるんだ」

 膝に顔を埋めたすぐそばに、彼の眼差しを感じる。

「わかるんだ、先輩はおれを好きだって」

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