35-3.主導権は譲らない

 彼女は天使で悪魔。油断したなら心なんかあっという間に乗っ取られる。甘く見たら失礼というものだ。

 手加減なんてできない。すべてを捧げなければ手に入らない。かと言って手綱を握られるつもりもない。主導権は譲らない。


「俺には負い目もなにもない。それなら対等に話せるってことだよね」

 開き直りの論理ならこっちも望むところだ。

 達彦の立ち直りの速さは美登利にとっては予想外だったはずだ。

 だが立ち去ろうとはしない。彼女にもまだこなしておきたい課題があるということだ。それが何かわかるまで、こっちもカードはきれない。定石ではそうだ。

 だけど達彦は敢えて手の内をさらす。


「好きなんだ」

 美登利は難しい顔で眉を寄せたまま表情を動かさない。

「認めるよ。君を好きだからあんなことをした。それだけは取り違えないでほしい。好きなんだ、今だって」

 こんなふうに誰かに心を晒したことなんてない。他の誰かに同じようにできるとも思えない。彼女にだけ、最初で最後の思いで告げる。

 瞳にはちゃんと自分が映っている。届いたはずだと思いたい。


 姿勢よく座っていた美登利が前に崩れて両手を芝についた。

「なにを知っててそんなこと言うんですか?」

 顔は見えないが声が震えている。

「あれから、いろいろなことが変わって、それだって、いつかはそうなることだったと、あなたのせいにするつもりなんかない。全部、私のせい」

 芝についた指が震える。


「だから、私ももう違う。ただお兄ちゃんの後について回ってた頃とは違う。あんなふうにはもう笑えない。もう誰にも、あんなふうには笑えない」

「わかってる、だからこそ俺は……」

「同情した?」

「違う、好きなんだ。どんな君でも好きなんだ」


 身を乗り出してそばに手をついた達彦の手首を、美登利の震える手がしっかりと握った。

 思わぬ強さにぎくりとなる。この力強さには覚えがある。あのとき、達彦の腕を掴んで彼女は叫んだ。

 ――言わないで、言わないで!


「誰にも言わないで」

 今また、濡れた眼差しを達彦に向けながら、彼女は言う。

「黙っていて。私を好きなら」

「……なにそれ、泣き落とし?」

 醒めた達彦の声音に美登利の口元も歪む。目を伏せてまつ毛の先に溜まった雫を落とした。

「なんとでも」


 そこまでして。あのときの衝撃がまざまざと蘇る。

 たったひとりのために、そこまでするのか。

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