33-3.歪んだ真珠

「僕はいよいよ地獄に落ちるしかないのかなあ」

「そしたら二度と女神様に会えなくなっちゃいますよ」

「そうだよね、なんとか踏み止まらなくちゃ」

 午後のお茶を飲みながら中川巽はぼんやりとあらぬ方を見る。


 榊亜紀子はその足元に直接座ってスケッチブックを広げていた。

 女神様に再会できてからというもの創作意欲は尽きない。卒業制作を練り直してもっと大作にしたい、なんとしてでも。


 そのためには地獄に行ってみるのもいいかもしれない。悪魔に頼んでみたくなって亜紀子は胸の内で首を振る。

 今は悪魔よりも女神様だ。目的は巽と同じ。あの女神から離れたくはない。


「前はさ、こんなふうじゃなかったんだよ。こんなこと思ったりしなかったのに」

 この人はきっと心底から何かを欲しいと思ったことがないから。

 亜紀子はそんなふうに感じる。

「言ってもいいので?」

「言ってみてよ」

「それは多分、彼女が女になってしまったからですよ」


 巽は目を見開く。思いもしなかったらしい。

「そうでなくとも人生の中で劇的に変化を遂げる時期を見ていなかったんです。別の人みたいに思えても仕方ないです」

 妹が女に見えてしまっても。

 それこそが支払う代償の大きさ。また別の苦しみを背負うことになる。


 さすがに彼もへこんでしまうだろうかと心配になる。

 しかし見上げた巽は微笑っていた。

「かなわないなあ、あの子には。ねえ、そう思うでしょう?」

「……はい」

 かないません、あなたには。


 天使と悪魔と女神様と。より魅力的な存在はなんなのか。それともそれらを併せ持つ存在か。


 バロックという真珠がある。母貝の核に異物が付着し丸からいびつな形に変化した歪んだ真珠。

 歪みが生じるからこそ、この世で二つとない宝石ができあがる。

 自分もそういうものを生み出したい。歪んでいるから美しい、そんな唯一無二の造形美を。


 巽がふらりと立ち上がりなにも言わずに部屋を出ていく。

 やっぱりショックだったのだろうか。でもあなたも知るべきなんですよ。

 花を手折るのは男。男を育てるのは女。

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