30-14.「誰にも言わないで」

 言いつつ彼女が戸惑っているのがわかる。

 思考は既にその思いに傾きだしているはずだ。

 もう言いくるめる必要はなかったが押しの一手で念を押す。

「それならずっと僕はそう思ったままだけどいいの?」


 対応を決めかねる様子で彼女は立ち尽くしている。

 達彦は肩を竦めてこの場は退散することにした。確信があった。

 明日にはきっと、あの子は堕ちる。


 効果てきめんだった。翌日の夕方、同じ場所に座っている美登利を見つけて達彦は満面の笑みを浮かべる。

 憔悴しきった背中、思った通りだ。


「結論、出たみたいだね」

 うなだれたか細い肩に手をかけたなら、今度は振り払ったりしないだろう。確信があるからわざわざ試したりはしない。

 達彦は段差を下りて立ったまま彼女と目線の高さを合わせた。


 俯いて顔を隠したまま美登利は低い声で言った。

「誰にも言わないで」

「……」

「お願い」

 その小さな顎に手をかけ顔を上向けさせる。泣きはらした目蓋から新しい涙があふれてくる。


 かわいそうだね、心の底からそう思う。

 どんなに滅茶苦茶で大胆不敵なようでも、君って所詮は良識的なお姫様なんだ。自分が汚れること、それを人から見下されることが我慢できないんだ。


 大丈夫、見下したりしない。震えるほどの喜びを感じながら彼女の頬に触れる。

 この子が自分のいる場所まで堕ちてくるところを見たい。


「馬鹿だなあ、みどちゃん。誰にもって言うけどさ、きっと兄貴は気づいてるよ」

 だって天才だよ。気がついてるに決まってるよ。

「だから君から逃げたんじゃないの?」

「そんなこと、ない……」

 弱々しく頭を振って美登利は両手で顔を覆った。

「ずっと一緒だって、言ったもの。会いたかったら飛んで来るって、約束したもの」

 そうしてただ泣きじゃくる。

 馬鹿だなあ、男の舌先三寸のそんな約束を信じるなんて。

「だって、奴は帰ってこないじゃない」

 頭を振って美登利は否定する。


「美登利!」

 かかった声にびくりと体中で震えて彼女は顔を上げた。

 彼女に集中していたから達彦も気づかなかった。

 一ノ瀬誠が歩道を走って来るところだった。

「おまえ、学校にも来ないでなにやって……」


「教えてあげたら彼はなんて言うかな」

 瞬間、ものすごい力で腕を掴まれた。

「言わないで、言わないで!」

 あまりに必死な叫びに誠が思わず足を止める。

 予想以上の反応に達彦も驚いた。


 それでも近づいてこようとする誠に美登利は噛みつく勢いで叫び続けた。

「ダメ! やめて、聞かないで! 聞いちゃダメ! 誠には関係ない、関係ないから、あっちに行って!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る