30-7.あわよくば

 当然といえば当然だ。こいつはいつも満たされているのだから。

「どうせ君にはわからないよ。君は恵まれてるから、悲しいとか苦しいとか恨めしいとか思ったことがないんだろう」

 巽は伏し目がちになって、ただ微笑んだ。


 そのとき達彦が感じたのは、憎悪と言ってもいい気持ちだった。

 なぜ笑う。どうしてそこで笑えるんだ。

 おそらく巽がどんな反応をしていても同じことを感じていただろうとは思う。それこそこれは自分の八つ当たりなのだ。


 ただどうしてもこの男を狼狽えさせてやりたくて、あわよくば傷つけてやりたくて、達彦はその言葉を口にしていた。

「僕さ、君の妹が好きなんだ」

 全身をレーダーにして巽の反応を窺う。

 沈黙があったが動揺は読み取れない。「へぇ」とつぶやいて笑顔を向けてきた。


「そう、それで?」

「だからどうってわけじゃないけど、君には言っておこうと思って」

「うん、聞いたよ。それで?」

「今のところはそれだけかな」

「そう、わかったよ」

 にこにこにこにこ。底の読み取れない笑顔の向こうに、何か隠れているのかいないのか。それすらも達彦にはわからなかった。





 季節は廻り三度目の春、あっという間に三年生になっていた。

 中等部も高等部もようやく定員を満たして活気に満ちている。巽は忙しそうで達彦もこき使われた。


 帰り道、疲れ果てて信号待ちしていると、中等部の方から美登利が歩いて来た。

「こんにちは、村上さん」

「ああ、中学生だね」

「ええ、やっと」 

 にこりと笑う美登利に、後ろから冷たい表情の女子生徒が問いかける。

「お知り合いですか?」

「巽さんのオトモダチだろう」

「知ってるっすよ、村上サンでしょ。中等部でも有名っすよ」

 一緒にいた少年たちが言う。

 更にもう一人、駆け足でやって来た。

「みどちゃん、僕も一緒に帰っていい?」

 とにかく目立つ集団だった。皆が皆、育ちが良く賢そうだ。


「みんな幼馴染?」

 翌日、登校の途中でも見かけたので一緒にいた巽に訊いてみた。

「そうだよ。みんなあの子が大好きなんだ」

 あの容姿にあの性格だ。信奉者が何人いたって驚きはしない。


 特に家が近いらしい一ノ瀬誠と宮前仁とはいつも一緒だった。

 たいてい美登利と宮前が軽口をたたき合っているのを誠は黙って聞いている。それでいて神経をとがらせている。

 彼の警戒の対象であるらしい達彦にはそれがよくわかった。

 わかるよ、大好きなんだよね、あの子が。

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