21-5.普通じゃなくなるのが恋愛

「割れ鍋に綴じ蓋って言うでしょう」

 やがて、静かに話し始めた。

「どんな人にもぴったりな相手がいるって言うでしょう。自分が割れ鍋だとして、見ただけでそれがぴったり合う蓋だなんてわかるのかしらって思ってたのね、私。運命の赤い糸でつながってるとか、びびっとくるとか言う人もいるけど、そんなの、わかったものじゃないでしょう。自分に合う蓋かどうかは当ててみないとわからないでしょう。それで合わなかったら、またどんどん次の蓋を試してみるでしょう。でも、ズレはどんどん大きくなるばかりで、ああ、やっぱり最初の蓋がいちばんしっくりきてたんだって気づくの。割れたお鍋の自分に合わせてあの蓋をもう少し上手に繕えていたらって気づくの。気づいて、その最初の蓋をもう一度合わせることができたなら、それって幸せなことじゃない? 人の縁でも、何かほかの物事でも、違うって思ったときにやり直せるかどうかが大事だと思うのよ。でも、あなたはまだ間違えているかどうかもわからないのでしょう? まだまだこれからなのよ、すべてはこれから」


「でも、おれ、こんな自分は嫌です」

 それまで引き結んでいた口を開いて、それだけは妙にはっきり正人が言った。

「こんな、ぐだぐだした自分は嫌だ」

「なら、受け入れるのね。そういう自分を」

 あっさり返されて正人は目を丸くする。


「まだわからないからそんなふうに思ってしまうのよ」

「なにを?」

「普段の自分と、恋をしているときの自分は別人だっていうこと」

「……」

「恋してるときって普通じゃないの。普通じゃなくなるのが恋愛なの。そういう自分を知って、みんな大人になっていくの」

 優しく優しく微笑んで城山夫人は言った。


「人を好きになるって、とっても怖いことなのよ。怖いし苦しい、たくさんたくさん涙を流して、気持ちを貫くためには覚悟が必要なこともある。でも、そういう恋の経験があるかないかで人生が変わるのよ」


「城山さんはあるんすね、そういう経験が」

「そう。だから私はこの年になっても情熱を持っていられるの。おかしいでしょう? こんなおばあちゃんが。でも私にはまだ叶えたい理想があるから頑張れるの。ロマンチストなのよ、私」


「素敵ですね」

 桜餅のお礼というわけではなかったけれど、正人は心の底から頭を垂れた。

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