6-5.「いい感じに卑怯になった」

 和美が説明する間、綾小路から目を逸らさずに紗綾が尋ねる。

「ねえ、美登利。なにが始まるの?」

「大丈夫よ、紗綾ちゃん。心配することはなにもないわ。綾小路のかっこいいとこ、紗綾ちゃんだって見たいでしょう」


 こくんと頷いた紗綾のことを綾小路も見ていた。


 紅白の審判旗を持った坂野今日子の指示に従い開始位置に付く。

「はじめ!」

 しばし剣先での仕掛け合いが続く。

 どちらもなかなか大きくは仕掛けない。

 退屈したギャラリーの何人かが踵を返しかけたとき、皆が驚きの声を上げた。

(巻き上げ!)


 綾小路の手から竹刀が消えていた。尾上が仕掛けた巻き技によるものだ。

 綺麗に空に浮いた竹刀が床に落ちる。間髪開けず無防備になった綾小路に尾上が面を打ち込む。


 が、綾小路の動きの方が早かった。横跳びに最小限の動きで尾上の竹刀をかわす。

 そして軸足をそのままにもう片方の足を素早く蹴り上げる。

 ぱん、と乾いた音を立てて尾上の紙風船が割れた。


「一本!」

 今日子が旗を上げるとギャラリーからやんややんやと歓声が上った。

「悪いな、尾上」

 綾小路は自分の頭から無傷な紙風船を投げ捨てる。


 紗綾のそばに駆け寄るとものも言わずにその体を小脇に抱え、ギャラリーを蹴散らして一目散にどこかへ行ってしまった。


「あらぁ、行っちゃったわねえ」

「行っちゃいましたねえ」

 坂野今日子とつぶやき合い、美登利はがっくりと倒れ伏している尾上にちらりと視線を向ける。

 丸めた冊子でつんつんと尾上をつついていた船岡和美が肩を竦めて首を振った。


「なにをエサに尾上を引っ張り出したんだ?」

 小さな声で一ノ瀬誠が訊いてくる。横目に誠を見上げながら美登利も声を潜めた。

「綾小路に勝てたら池崎くんをあげる、って」 


「それで尾上がその気になったか」

「その気になったのねえ」

 体面を気にする尾上がこんな茶番に付き合うほどに、体育部会が池崎正人を重要視していることが証明されてしまったわけだ。


「……にしても、あんな剣道一直線の相手に足を使うなんて。以前の綾小路だったら考えらんない」

「だな。いい感じに卑怯になった」

「誰の影響やら」

「おまえが言うな」


「また勝負したくなった?」

 含み笑いで尋ねた美登利に誠も笑う。

「いいや。もう御免だね」

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