第6話

「ナオさん、ナオさん」

夕方からの学生バイトの一人、舞ちゃんがひそひそ声で話しかけてくる。

「今日帰り、時間いいですか?」

舞ちゃんは時折こんな風に相談事を持ち掛けてくる。今のところ、あたしの唯一と言っていい話し相手だ。

「じゃあ、いつものカフェね」

「ありがとうございます」

そう言うと、ふわっと表情を緩める。

2歳くらいしか違わないけれど、どういうわけかあたしのことを姉のように慕ってくれていて、恋バナなんかを聞かせてくれるのだ。


舞ちゃんは、あたしがこんなに汚れてしまっていることを知らない。あたしがこんなにどうしようもない人間だということを知らない。


舞ちゃんとカフェで話すのは、今のあたしにとって穏やかな日溜まりのような時間だ。ただ純粋にあたしに向けられる親愛の気持ちがくすぐったい。それと同時に、舞ちゃんを騙しているという罪悪感に胸がチクチクと痛む。あたしの本当は、話しを聞いてあげられるような人間じゃないから。


今日も二人、職場近くのカフェへ出かける。

舞ちゃんはパスタとサラダ、そしてパンのセット。あたしはピザがメインのプレート。それから「私の話に付き合ってもらうんですから」とのことで、舞ちゃんおごりのアイスカフェラテ。


他愛ない話しに耳を傾けながら、舞ちゃんの様子を探る。気持ちいいくらいパクパクとパスタを食べ進める表情は、ヘコむというより諦めや苛立ちに近い気がする。食べ方も、どちらかと言えばヤケ食いだ。察するに、どうにもならないことにもがくというよりは、抗うことのできない事実にケリをつけたいといったところか。


そう結論づけたあたしは、ゆっくりピザに手を伸ばす。舞ちゃんが苦しくて苦しくて仕方ないような、そんな事態には極力なってほしくない。そう思う程度には、あたしは舞ちゃんのことを気に入っている。


「ナオさん」

少し改まったように舞ちゃんが切り出したのは、一通り食事を終え、デザートを頼むかどうか悩むタイミングになった頃だった。あたしは無言で先を促す。

「私、吉本君のこと諦めることにしました」

吉本君というのは舞ちゃんが片思いしていた相手で、振り向いてもらいたくてけなげに頑張っていたのだ。

「どうして?あんなに頑張ってたのに」

「どうしても、無理になったんです」

哀しそうに、悔しそう続いた言葉は、なぜかあたしを打ちのめした。


「吉本君、奥さんがいたんです」


目の前の景色が色を失った。


「ナオ」

優しく呼びかけるあの人の声がする。

そんな声で呼ばないで。

あたしじゃないほかの誰かを選んだくせに。

「ナオ」

あたしじゃない誰かと運命を重ね合わせたくせに。

「ナオ」

あたしから、あたしの全てを奪っていったくせに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る