第2話

いつまでも慣れない喧噪。

こんなにぎやかな場所はあたしに似合わない。

「それでさぁ、その男が言うのよ」

安い居酒屋は若い学生の集団であふれている。金曜の夜。

コンパなんて大嫌い。男を見つける目的、大多数の友情を深める目的、何にしろ、あたしは独りだ。

たとえそこで出会った男に抱かれても。

「この子、ナオって言うんだけど、変わってるの」

いつの間にか話題にされている。

美咲はおしゃべりだ。耳をふさぎたくなるほど。

「どんなコンパに来ても、一言もしゃべらないの」

なのに断らないの。あたしは。

あたしの体は。

「ナオちゃん、付き合いいいんだね」

ヘラヘラ笑う男。

誰それ?

ちゃん、なんて言われたら、ぶっ飛ばしたくなる。

「だめだめ、この子、笑うの苦手だから」

さすがは美咲。よく分かっている。あたしは笑わない。

あたしは話さない。

そして、ただそこにいる人形。

「余計気になっちゃうなぁ」

笑い続けるヘラ男。

あたしには分かる。この男の下心。

美咲が面白そうにこちらを見ていること。

何より一番分かっているのが、あたしがきっとこの男に今夜抱かれるだろうこと。


こんな笑わない女なのに男は真剣だ。

あたしの体を自分のものにしたくて。

もう誰のものになるつもりもないこの体を、一生懸命求めている。

いつものオヤジたちみたいに、ストレスの捌け口にしてくれればいいのに。

真剣な目を見ていたら、かすかにせつなくなってしまう。

あたしの意識が。

体に対して何の権限もない意識が。

何かもどかしいような思いに包まれて、軽くシーツの端を握る。

「愛してる、愛してるよナオ」

男があたしの手に手を重ねる。

愛っていう言葉はキライ。

愛なんてもろくて儚い言葉、聞くだけで吐き気がする。

男の中へと流れ出しかけていたあたしの意識は逆流し始める。

やっぱりあたしはキライだ。

愛を口にする男とあたし自身が。



「送っていこうか?」

眠りから覚め、目も合わさずコーヒーを飲みながら男は聞いた。

あたしは無言で首を振る。

この人は知らない。

あたしにとって昨夜がどんなに冷え切ったいつも通りの夜だったかを。

「そっか、じゃあいいんだ」

少し残念そうに言う。

またあたしは傷つけたのかな。

下心と純粋の狭間でゆれる一人の男とあたし自身を。

それでもあたしは無言を通す。

あたしの殻も意識も、ずっと寒いままだから。

「ありがとう」

男が言う。

不意を突かれてあたしは男を見上げる。

不器用な笑顔を浮かべた男。

少し寝不足気味の顔は、昨日見たよりずっと幼く映る。

「なんかよくわからないけど、ちょっと癒されたかも」


イヤサレタ?


「ナオちゃんの体、すごく拒絶して絶望してて、すごくほっとした。ワケわかんないけど」

男の言うことがいちいちわからない。

それでも、すごくドキっとした。

ただ寝ただけで、あたしの抱く絶望を読み取ったのはこの男が初めてだったから。

動揺を隠したくて、冷めたコーヒーを口に含む。

「じゃ、そろそろ行くわ」

立ち上がると男は、少し照れたように近づいてきた。

「それじゃ」

言いながらあたしの頭をくしゃくしゃっと撫でる。

意外と大きな手のひら。

「バイバイ!」

小学生みたいにそう言うと出ていった。

現実の中へ。

離れてしまった手の感触を寂しいと思うことに自分で驚く。

自分で選んだくせに、なぜか取り残されたような気分になる。

感傷?

頭を振る。

あたしにそんな気持ちがあるわけない。あの日から。

あたしの心が時を止めたあの日から。

もう一口コーヒーを飲む。

ただ苦いだけのコーヒーは、なんだかせつない味がした。

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