二つの月

マフユフミ

第1話

あたしには実体がない。

ここにあるこの手もこの足もこの髪も、きっとあたしのものなんかじゃない。

そうさせたいだけなの。

あたしという人形を使ってあたしがやったかのように。

誰かが。

どこかにいる誰かが。


今日もあたしのものとされてる体は夜の街をさまよっている。

あたしの意識はこんなにもネオンとか酔っ払いとか路地裏の生ごみとかを嫌っているというのに。

あたしのカラッポのカラダは何かを求めている。

真っ赤な爪で、真っ赤なドレスで。

大嫌いなピンヒールに体を任せて。

そしてそのうち、通りすがりのくたびれたオヤジなんかに身を預けるのだろう。

だって何をされても何をしても、あたし自身には届かない。

それでもいつか何かを感じたいから。

この鈍った人形の真ん中に、何かを響かせたいから。

体という殻からぼんやり漏れ出てくるかすかなぬくもりに身を沈めている。

何もあるわけないのに。

はげたマニキュアのことなんかを気にしたりして。

バカみたい。

このつぶやきは、意識のもの?体のもの?

あたしの意識は、厄介なあたしというイキモノを飼っている。


あたしの体。

笑うことも話すこともないまま、下心に抱かれる。

ケバい服を1枚1枚剥がされていくと同時に、あたしの意識は1枚1枚フィルターに覆われていく。

「キレイだよ」

舌先で転がされる言葉の一つ一つが、あたしの鎧になるのに。

「愛してる」

バカな男。

そんな男に抱かれているバカなあたし。

からっぽの体は、今日も埋まらない。

「ナオちゃん…」

愛撫は続く。 

あたしの意識は大粒の涙をこぼしている。

あたしの体はこんなあたしをせせら笑っている。


猫なで声、全面紫色のホテルの壁、固いシーツ、広いベッド、赤いランプ、あたしをまさぐる不器用な指。あたしのキライなもの。

そして、唐沢菜生という女は一番キライ。

「ナオ…」

呼び捨てられるのはキライじゃない。

なんとなく、「聞こえる」気がするから。

それがたとえこんな無意味な場所であっても。

「ナオ…」

でもあたしは答えない。

唐沢菜生はあたしの形。誰かに操られているあたしの人形の名前だから。


朝日が差し込んでくる。

この部屋に残されるのは、生暖かいシーツと傷痕。

ゲスなピンクのカーテンが居心地悪そうにそこにいる。

つい今しがた日常へと帰っていったオヤジの名前を、あたしは一生知ることがないのだろう。

にたにたといやらしそうで、でもどこか後ろめたそうなオヤジたちの表情を、あたしは一生背負い続けていくのだろう。

朝日が差し込んでくる。

むくみのとれない足を無理やりピンヒールの中に押し込める。

気怠さの抜けない体を引きずって、湿った部屋を出る。

安っぽくて趣味の悪い部屋。反吐が出るほどに。

でも、そんな部屋でさえも追い出されるあたしは一体なんだろう。

朝日が痛い。




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