だけど猫のよう

「じゃあティーナ、ちょっと待っててね」

 ベッドの上で毛繕いをしていたティーナは一瞬だけ動きを止め、あたしを見る。だけどすぐに何事もなく毛繕いを再開した。

「もう。冷たいなー」

 あたしは居間を出ると、すぐ横にあるトイレの照明と換気扇をつけた。トイレに入り、奥の壁にある小窓を少しだけ開けてさらに換気をする。

 便座の蓋を下げてその上に座り、持ってきた爪やすりで爪の形を整え始めた。

 あたしもセルフネイルじゃなくてネイリストさんにやってもらおうかな。なんてことを思う。

 思い浮かぶのはあの子の爪。流行りの透明感のあるジェルネイルをしてきているのだ。細かなデザインが施されていて、仕事場にするようなネイルじゃないと思いつつもやっぱりかわいいな、と思う。

 あたしは昔からマニキュア派だ。しかもセルフネイル。ネイルサロンに行かなくても自分でできるし、比較的安く買えるから、今まで気にせずずっとそうしていた。

 以前は部屋で塗ってたのだけれど、あのポリッシュの独特な臭いが、もしかしたら猫に良くないんじゃないかって思うようになってから、トイレで塗るようにした。

 あの鼻につくような有機溶剤の臭いは人間でも頭が痛くなる時があるのだ。今年で十二歳になる高齢猫のティーナには、さぞかしストレスになるだろう。

 一通り爪を整えたところで、ベースコートを取り出す。透明な液体を左手の小指、爪の先端からゆっくりと塗っていく。

 この下地があるかないかで色の持ちがだいぶ違うのだ。

 あたしとあの子。今の会社に入社したのは同時期で、仕事の下地も同じくらいなはずのに、あの子の方が輝いて見えるのはどうしてだろう。

 あの子はいつも猫のように周りに振る舞っている。それ自体は別に否定しないけれど、あたしはいつも彼女のやり残した仕事を手伝わされているのだ。

 それなのにあの子はいつも生き生きとしてて、なんだかあたしだけ損した気分。

 ポリッシュを取り出す。色はベイビースカイブルー。パステル調っぽい明るい空色だ。ボトルの蓋を開け、蓋についている刷毛をボトルの縁に数回当てて、液の量を調整する。

 少量だけつけた刷毛で爪の先端の縁部分をゆっくりと塗っていく。細かい作業なのでつい前屈みになってしまう。

 刷毛をボトルに戻し、液を刷毛に染み込ませる。今度は爪の根本から先端に向かって、ゆっくりと塗っていく。綺麗なスカイブルーのラインが現れる。塗りムラが出ないように両サイドも塗っていく。

 いつもあの子のミスを直す役割はあたしなのだ。正直いい気はしない。もっとしっかり仕事してほしいと思うし、せめて同じミスぐらいはまた起きないように学んで欲しいものだ。

 あ。皮膚についてしまった。あとでリムーバーで拭き取ろう。

 一度塗りが終わったら、ムラが出来ないようにもう一度塗り直す。

 あの子と仕事をして三年。あの子の尻拭いはいつもあたし。どうしてそんな簡単なことミスるのだろうと思っていた。いい加減にして欲しいと。

 だけどこの前、あたしが簡単なことでミスをしてしまい、それが結構お店に損害を与えてしまったのだ。その時、あの子は真っ先に、先輩よりも上司よりも先に、あたしのミスをカバーしてくれたのだ。

 あぁ、あの子が輝いて見えるのはこういうところなんだろうな、と思った。

 なんの損得勘定なしに動ける彼女はすごいなって。

 二度塗りが終わり、右手を猫の手のようにして目の前に掲げる。うん、悪くない。あとはトップコートを塗って終わりだ。

 ツヤツヤと輝いているスカイブルーの爪を見て思う。ジェルネイルも良いけれど、マニキュアだってまだまだ良い。

 あの子も輝いてるけど、あたしだって輝いてる。もともと違うものなんだし比べる必要なんてない。

 左手も同じようにブルースカイを塗る。

「にゃーん」

 扉の外でティーナが鳴いた。

「ごめんねー。もう少ししたら出るからねー」

 両爪が乾くまでもう少しかかりそうだ。やることもないのであたしはトイレで鼻歌を歌った。


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