信じたかった

◆◆◆

 どうも最近、彼氏の様子がおかしい。しょっちゅうスマホを見ているのだ。

 リビングでテレビを観ている時には、ちらちらスマホを見てはニヤニヤ笑っているし、「ちょっとトイレ」とトイレに立った時でさえ、スマホを持ち歩いている。

 さらに今まで部屋で散々吸っていたタバコも、ある時急に「ベランダで吸うわ」と、タバコとスマホを持ってベランダに行く。


 ねぇ、どうしてそんなことするの?

 私が気がついてないとでも思った?

 ねぇ。私をひとりにしないで。


 スッとベランダから彼が部屋に入ってきた。手にはタバコとスマホ。

 ひとり掛けの真っ赤なソファに深く座ると、すぐにスマホを弄り始める。

 私がいるのにあなたはいつもその四角い画面ばかり見ている。

 ねぇ。昔みたいに私だけを見て。

 そこには何があるの?

 そこに誰がいるの?

 聞きたい。聞きたいよ。

 知りたい。知りたいよ。


「なに? どうした?」

 ぼうっと立って彼のことを見ていたら、彼がスマホから目を離し、私を見てくれた。

「あ、ううん。何でもないの」

 聞けない。聞けないよ。

 だって、聞いてしまったら終わってしまうから。

「そう」

 彼はまたスマホに目を向けた。

「よし、勝ったぜー」

 彼は人気のスマホゲームをしている。それは私も知ってるの。彼が私に見せてくれたから。「人気のゲームなんだよ」って。……一度だけ。

 私はその言葉を信じている。だから聞けない。

 知ってるよ。知ってるの。

 彼がスマホで本当は何をしているか。もちろんゲームをしているんだろうけど、それはきっとただの口実。いつでもどこでもスマホを持つための口実。

 何か決定的な証拠があるわけじゃない。ただの勘だし、嘘であって欲しいし、それに、もし聞いてしまって、何かが崩れしまうのが怖い。だから聞けない。

「横、座っていい?」

「え? ああ、良いよ」

 私がソファの横で床に座ると、彼はさっきまでずっと見ていたスマホをズボンのポケットにしまった。

 ゲーム、しないの? 私にもゲーム見せてよ。

 彼はガラステーブルの上にあるリモコンを操作し、テレビをつけた。バラエティ番組がやっていて、お笑い芸人のトークで笑っている。私も笑う。

「コイツ、面白いな」

「うん」

 それだけ。ただそれだけの時間が、すごく幸せ。

 

 それなのに彼は「トイレ行ってくる」と、私の隣から離れていく。ポケットにはスマホを持って。

「……うん」

 ちょっと前まで、私が彼の後にトイレに行くと、便座が上がっていることがよくあったのだけど、どうしてか最近はそれがない。

 座ってしてるの? そっか。座ってした方が両手、使えるもんね。


 ねぇ。あの子は誰? どうしてここにいるの?

「ねぇ……」

 あの子は誰?

「あの子は……」

「あの子?」

「誰?」

「なに? 何の話?」

 あぁ、聞いてしまった。私の中で何かが壊れた。彼はスマホから目を離す。

 それ、誰と連絡してるの?

「それ、誰と連絡してるの?」

「なに? どうした、急に」

 さっきまでスマホを見てニヤニヤしていた彼が真顔になる。でも。動揺が隠しきれていない。

 知ってるよ。女なんでしょ。

「知ってるよ。女なんでしょ」

「女? 何、言ってるんだ?」

 嘘。嘘つかないで。もう全部知ってるの。ベランダで電話してるの見たの。話の内容も。あなたが浮気しているのは知ってるの。

 嘘つかないで。隠さないで。もういいから。

 全部、全部知ってるから。知りたくなかった。

「誤解だよ」

 違う。だって毎日見てる。知らない子を家に連れ込んでるの。

 誰なの、あの子。あの女。アレ。どうして私のいる前でアレを家に入れるの? あんな若い子が好みなの?

「だから、それは誤解だって」

 誤解じゃない。見たもの。この目でアレを。あの女を。浮気じゃないって言うなら何だって言うの。今日もきっとあの女は家にやって来るわ。

 どうしてそんな見せびらかすようなことするの。私にどうして欲しいの。別れないわ。私はずっとあなたと一緒なの。だからあの女をどうにかして。

「……もう、いい加減にしてくれ」

 嫌。嫌よ。離れない。ずっと、死ぬまで。

「もうお前は死んでいるんだ、俺を自由にさせてくれ」

 なにそれ。ひどい。

 我慢していたものが溢れ出て来た。何もかも。何もかもが壊れる。

 あなたもあの女もいなくなればいいのに。


◆◆◆

「事故物件?」

「えぇ。引っ越しの時、説明されなかった?」

 職場の先輩が驚いた顔をした。

「い、いえ……なにも……」

 この春、新社会人になったあたしは上京してひとり暮らしを始めた。お金もないので家賃が安い物件を選んで住み始めたのだ。

 間取りも悪くないし、職場からもそう遠くない。それでいて家賃も安かったので即決したのだ。

 インテリアショップで見つけた真っ赤なひとり掛けのソファとガラステーブルだけ新しく買って、他は実家から持ってきた。

 さっそく荷物をいれてみると、結構狭い部屋になってしまったけれど、初のひとり暮らしとしては我ながら良い部屋を借りられたと思っていたのだ。

 しかし入居してすぐ、深夜に妙な物音が聞こえるようになった。先輩が言うには「ラップ音」と言うようだ。

 本当に小さな音でそこまで気になるものでもなかったのだけど、音は次第に大きく聞こえるようになっていった。

 会社から帰ってきた時に、消したはずのテレビがついていたり、閉めたはずのトイレの扉が開いていた時には、さすがに恐怖を感じた。

「えっと、事故ってどんな……?」

「え、知らない方が良いと思う」

「でも……」

 ネットに記事が上がっているらしく、先輩は渋々といった感じで教えてくれた。

 なんでも痴情のもつれで住んでいた男女が部屋で死んだらしい。そして嘘か本当か、そこにはまだ男女の地縛霊いるといった噂までも囁かれていて、以後、その部屋に住んだ女性は浮気相手と勘違いされて呪い殺される、と……。

「悪いことは言わない。はやく引っ越しな」

「う、うん……」


 先輩の話を聞いてさすがに怖くなり、早々に引っ越すことにした。

 ただ、そうは言っても自宅に帰らないわけにも行かないので、仕事が終わると、今日は仕方なく家に帰った。


 二十一時過ぎ。玄関の扉を開けて中に入る。電気をつけてすぐに目についたのは玄関脇にあるトイレの扉だ。閉めたはずなのにやはり開いている。

 そして何か視線を感じる。ねっとりとあたしを見るような視線を。

 やっぱりホテルに泊まれば良かった……。今から引き返そうか……。そんなことを思う。

 そして、居間に入った時だった。

 ガッシャーン!

 部屋中央のガラステーブルが突然大きな音を立てて割れた。部屋の電気が点滅して消える。

 暗くて何も見えない。

 シャリ、シャリ。

 粉々に砕け散ったガラスの破片の上を誰かが歩いている。

 シャリ。シャリ。

 二人の足音があたしに近づく。

 シャリ。シャリ。

 急に首筋がひんやりとする。真横に視線を感じる。何かの気配がある。荒い鼻息さえも伝わってきた。

 叫ぶ余裕もなく、あたしの意識はそこで途切れた……。


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