黄色いおばけ
これは私が実際に体験した夏の夜の不思議な物語です。
その夏、S市に住む父親が手術をすることになり、私は実家のあるS市に急遽、戻ることになったのです。
あと一週間もすればお盆休みという時期に、平日仕事を休み、帰省することは、職場の上司や同僚に申し訳ない気持ちになりましたが、先輩から「気にせずいっておいで」と声をかけられ、手術日の前後含め三日間、実家へ滞在することにしたのです。
実家に帰省するのは何年ぶりのことでしょうか。母方の実家が東京近郊にあり、年末年始は親戚一同そこに集まり年を越します。そのため直接実家に帰ることがなく、かれこれ五年以上は帰っていませんでした。
実家のあるS市までは新幹線、S駅からはバスを使い、私の家から実家までは四時間ほどの道のりとなります。
S市は山に囲まれている盆地型の地形で、冬は寒く、夏は真夏日となる年もあるほど暑い、夏冬の寒暖差の激しい地域なのです。また朝晩の寒暖差も激しく、特に夏の夜は盆地によって温められた空気が一気に冷え込み、肌寒く感じる夜もあるのです。
私がS市に戻った日も、最高気温三十二度のまさに真夏日と呼ばれる汗ばむ暑い日でした。
久しぶりにS市の地に降り立った私を迎えてくれたのは、遮るものがなく直接照りつける太陽、それからジンジンとやたら耳障りなセミの声でした。
S市の中心地には大きな病院が二つ存在し、父はそのうちの一つにその日の午前中から入院をしています。
バスで病院に向かい、そこで母と、県南から来た妹夫妻と落ち合うことになっていましたが、予定より早く来た私は先に父の見舞いに病室へ行きました。
「遠くからよく来たね」
父はブルーのストライプ柄のパジャマで、点滴をしながら少し辛そうに話しベッドから起き上がろうとしました。
「ううん。無理しないで」
私は父をベッドに戻し、病状について父から話を聞きました。
脊髄近くに腫瘍があるのが見つかったらしく、明日の手術ではそれを取り除くというのです。手術は細かい作業になり午前十時から始まり、午後四時までかかる予定のようでした。
その後、夕方には母と妹が病室へやってきて、それぞれ父へ激励し、皆で病院を後にしました。
ちなみに妹の旦那と二歳になる姪も来ていたのですが、病院で悪いものを貰わないようにと車で待機していました。
帰りはその義弟の車に乗り、実家へと向かったのです。病院から市街地を抜け、大きな国道を北上して行きます。
国道沿いには飲食店が多数並んでいて、それを見た母が「この辺でご飯食べようか」と言い、「焼肉なんか良いんじゃないの?」と妹が提案し、「じゅうじゅうたべゆー!」と姪が賛成しました。
そして義弟はこの先にある焼肉屋へと車を走らせたのです。
その道中、「この交差点で自殺した人の霊が出るんだってね」、「この先に廃墟の遊園地があって、そこにもいるらしいよ」、「あのニュータウンの幽霊屋敷、取り壊されたらしいよ」となんとも夏らしい怪談話が続いたのです。
その後、私たちは焼肉を堪能し、みんなで実家に帰りました。妹夫妻も今日は実家に泊まるとのことでした。
久しぶりに帰った実家の私の部屋には物が溢れていました。
学生時代まで使用していた私の部屋には、使わなくなったブラウン管テレビや鏡台、リビングにあった白いソファなどが無造作に置かれていました。物を捨てられない性格の母が私の部屋を物置部屋変わりに使っていたようです。
そんな窮屈になった部屋で私なりにくつろいでいると、姪がイヌのぬいぐるみのみみちゃんを抱っこしながら部屋にやって来ました。
姪は何もない空間を見て、「ここね、黄色いおばけがいゆの」と言って走り去って行きました。
私は姪の発言に対し、焼肉屋に行く道中の怪談話に影響を受けたのかなと、あまり気にも留めていませんでした。
その夜も特に何か起こるわけでもなく、夜が明けたのです。
翌日、父の手術は予定通り午前十時に始まり、母と私は手術が終わるまでずっと手術室と同じフロアの待合室で待機していました。
長椅子が並べられただけの待合室で、母と世間話をして過ごすものの、次第に話すこともなくなり、母はただ黙って手術が終わるのを待つようになりました。
私も普段見ないネットニュースをスマホで見たり、壁に貼られた院内新聞を読んだりしながら時間を潰しました。その時に病院のフロアマップを見たのですが、ちょうど私たちのいた二階の待合室の真下、地下一階部分には「霊安室」があるのを知って、変な寒気を感じたのを覚えています。
手術は終了予定時刻を十五分ほどオーバーしましたが、無事腫瘍を取り除くことが出来ました。
父はまだ麻酔が効いていて意識朦朧としていため、その日はちゃんと話せずに病院を後にしました。
その夜。妹が夕食を作り、妹夫妻、姪、母と私で夕食を食べた後、昨日と同じように部屋でくつろいでいるとみみちゃんを抱っこした姪がやってきて、「まだいゆの。黄色いおばけ」と部屋の空間を見ながら言うのです。
私はいくつか姪に質問をしてみました。
「どこにいるの?」と訊くと「肩のところ」と指をさし、「いつからいるの?」と訊くと、「昨日から。ついて来たの」と言うのです。
そしてさらに「どんな顔してるの?」と尋ねると、「こんな顔」と苦しそうに顔をひしゃげるのです。
さすがに怖くなり妹に相談したのですが、「子供の作り話だよ。気にすることないよ」と言われてしまったのです。妹にそう言われてしまっては成すすべもなく、私は仕方なくそのまま床に就きました。
しかしその夜、私は急な腹痛で目を覚ましたのです。時刻は午前二時過ぎ。夏なのに妙にひんやりとした夜でした。ぶるぶるっと身震いをし、掛け布団を頭まで被り、再び寝ようと目を
あまりにもお腹が痛く、起き上がりました。すると腸内のモノが一気に下へ向かっていく感覚になり、直後、肛門が勝手に開きそうなぐらいの便意を覚え、急いでトイレに駆け込んだのです。
便座に腰を下ろすや否や、堰を切ったように水溶性の下痢が大量に吐き出されました。
静かな夜に排泄の音だけが大きく響いたのです。
お腹の中でまたギュルギュルと音を立てたかと思うと、すぐに下痢が続きます。
それでも腹痛は治りません。変に力んだせいか、肩付近が重いのです。
さらに全身から冷や汗が出始め、手も震えてきました。しかし下痢は止まりません。出しても出しても下痢が続くのです。
やがて酸性の下痢を浴び続けた肛門付近がヒリヒリと痛くなってきました。火がついたような熱さを感じ、動くこともできませんでした。
このような経験は私の中で初めてで、結局その日は明け方までトイレから出ることが出来ませんでした。
腹痛、冷や汗、震え、寒気、下痢、肛門の痛み、肩の重さ、それら全てを抱えトイレで朝を迎えました。
下痢になった原因は分かりません。
食あたりなのか、疲れによるものなのか……、はたまた夜の気温低下によるものなのか。
それとも……、病院に行った時や怪談話をした時、なにか憑いてきたのか……。
私の下痢が治った朝、姪が「おはよう」と部屋にはいってきて、部屋をキョロキョロと見回し「黄色いおばけ、いなくなっちゃった」と言ったのでした。
黄色いおばけ。一体何だったのでしょうか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます