紙がない!

 書店に来ると、どうしてこうもトイレに行きたくなるのだろうか。下腹部が急に騒がしくなる。

 僕は、読んでいた新刊『転生して勇者になったが、異世界の食べ物がクソ合わなさすぎて下痢をする 3』を棚に戻し、トイレに向かった。個室が空いていると良いのだが……。

 雑誌コーナーで立ち読みしている人々の間をすり抜けようとしたが、皆、立ち読みに夢中で上手く抜けられない。

 小声で「すみません」と言いながら、ようやく文芸書コーナーまで来た。

 平然を装って歩いていたが、いよいよ漏れてしまいそうで早歩きになる。

 これで個室が埋まっていたらどうしよう。

 書店奥の技術書コーナーの横にトイレの入り口を見つけた。


 扉を押し開け、急いで男子トイレに入る。そこには小便器が二つ、個室が二つあった。

 そして手前の個室がぽっかりと口を開けていたのだ。

 良かった、一つ空いていた。

 僕は導かれるように個室に入り、すぐに用を足した。

「ふぅー」

 緊張がほぐれたのか、我慢していたものを出した解放感なのか、自然とため息が漏れる。

 ホッとする。

 そう、僕は安心しきっていた。まさか手を伸ばした先にトイレットペーパーがないだなんて思ってもみなかった。

 えっ……。

 個室内を見回すが、トイレットペーパーホルダーはもちろん、個室後方の棚の上にも、トイレットペーパーはなかった。

 急いで入ったから気がつかなかったのだ。


 どうしよう、この個室には紙がない!


 僕はどうするか考えた。隣の個室からトイレットペーパーを投げ入れて貰おうか。扉に貼ってある「喫煙禁止」と「トイレのマナー」の紙を剥がして使おうか、はたまたカバンの中にティッシュでも入っていないだろうか。

 どうしよう。どうしよう。


 ……なんてね。そんなことを考える時代はもう終わったのだ。

 僕は温水便座の操作パネルにあるひときわ目立つ大きさの「フルコース」ボタンを押した。それからオプションボタンで「ムーブ」と「なめらか」を選択する。

 すると、機械音と共に一本目のノズルが出てくる。ノズルは前後に動きながら温水で尻を洗浄してくれる。

 ある程度動くと、一本目のノズルは収納され、二本目のノズルが出てきた。二本目のノズルは手のような感触で尻の穴に優しく触れる。そして取り付けられた使い捨て抗菌シート4ミリで周囲をなでるように拭いてくれるのだ。

 なんてなめらかなんだ。その動きはまさに人間の手のそれと同じである。いやそれ以上だ。まるでマッサージをされているかのような気持ちよさである。

 尻を拭き終わると、続けて三本目のノズルが出てきた。今度は心地よい温風が吹き出してきて、尻を乾かしてくれるのだ。

 そして最後に四本目のノズルが出てくる。仕上げだ。

 プシュッ、と尻専用の低刺激香水を一吹き。シトラス系の香りが漂う。うん、良い香りだ。

 四本目のノズルが収納されると、自動的に水が流れて完了である。


 そう、これが今の時代のスタンダードなのだ。今の時代、もう紙がないなんて言わせない。

 さて、書店に戻るか。僕はトイレを出た。


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