デートの味方

「おまたせ。ごめん、遅くなっちゃった」

 余裕を持って家を出たのだけど、彼に会う前、やっぱりちょっと不安で駅のトイレでもう一回メイクの手直しをしていたら、ちょっと遅れてしまった。

「おう、おはよう」

 約束場所の駅前広場でスマホをいじっていた彼が顔を上げた。彼は、一瞬目を見開いて私の顔を見たかと思うと、全身を見るように視線が移動し、また顔を見るとスッと私から視線を外し、口に手を当てた。

 やっぱりメイク変だったのかな……。

「どうしたの?」さりげなく訊いてみる。

「ああ。なんか、いつもと違うっていうか……服、似合ってるな」

「え、ほんと? 嬉しい」

 今日のデートのために、レースフリル付きの白のブラウスを新しく買ったんだ。ほんとうは上下でコーデしたかったのだけど、お小遣いがそこまでなかった。

 でも。メイクについても気づいて欲しかったな。気づいているのかな。

 彼はそそくさと、バス停に向かって歩いて行ってしまった。

 私は小走りになり彼の隣を歩く。彼の服装もいつもと違っていた。

 普段は制服で。休日に会う時も部活帰りが多くって、やっぱり制服で。だから彼の私服自体が珍しいのだけれど、その珍しい私服の中でも今日はちょっと違っていた。なんというか、その……おしゃれだった。

「あ、バス来てる! 走ろう」

「あ、うん」

 駅前のロータリーには「市営動物園行き」と表示されたバスが止まっていた。

 こうして私たちはそのバスに乗り、初めてのちょっと遠出のデートが始まったのだった。



「あ、見て! ハシビロコウ!」

「口でけぇな」

「寝癖みたいなのついてる。かわいいー」

 ハシビロコウは展示スペースの隅でじっと遠くを見つめていた。

「全然、うごかねぇな」

「先輩って感じね」

「この重鎮さは大将だな」

「あ、動いた!」

 ハシビロコウは顔をぶるぶる左右に振りながら、自慢の大きなくちばしで毛繕いを始めた。口が半開きになっていて、その姿が愛らしい。


 動物園に入ると、動物たちの迫力とかわいさに、朝に感じていたお互いの微妙なぎこちなさもすっかりなくなり、感情のままに楽しんだ。

 動物たちを見るのも楽しいけれど、やっぱりこうして好きな人といっしょにいれるのが一番良い。来て良かった。


「お。そろそろ、お昼にするか」

 園内を歩いているとちょうど二階建てのレストハウスが見えた。

 二階がレストランになっていて、高い位置から動物を見ることが出来る場所だ。

 昼時でレストランは大賑わいだ。家族連れも多いけれど、私たちくらいの学生カップルも結構いた。

 知り合いがいたらどうしよう、と、ちょっと見回してみたけれど、人が多くてよく分からなかった。

 セルフ式のレストランで、オレンジ色のトレイを持ちながら、注文した料理を受け取りレジに進む。

 私は「クマさんのコトコトビーフカレー」、彼は「カツ丼」を頼んだ。

 運良く窓際のカウンター席が空いたので、二人並んでそこに座った。

 窓の外には羊の展示スペースが見える。

「ひつじ、かわいいー」

「お前今日、かわいいーしか言ってないんじゃないか」

「そんなことないもん。かっこいいも言ってるよー」

「かわいいといえば」

「ん? なに?」

 窓の外を見ていた彼が、私の方を見た。

「いつもかわいいけど、今日のお前、かわいい、な」

 え。急に予想もしていないことを聞いてびっくりする。激しい喧騒の中、少女マンガのように私たちの周りだけキラキラ星が輝きだした。カーッと耳が赤くなるのも感じる。

 私がなにも言えずに黙りこくっていると、「小動物みたいだな」と、頭ポンポンされた。

 彼もなんだか恥ずかしそうに視線を正面に戻したかと思うと、「食べるぞ」と目の前のカツ丼を豪勢に掻き込んでいった。

 燃えそうに顔が熱い。目の前のカレーを一気に食べて辛さでごまかしたいくらい。

 でも、良かった。メイクのおかげかな。

 お母さんには「肌が荒れるからメイクはまだ早い」って怒られたんだけれど、やっぱりやってみたくて。でもお小遣いもそんなにないから、ドラッグストアで買える安いプチプラコスメでアイシャドウとリップだけ買って、あとはお母さんの化粧品ボックスからこっそり借りて、朝早くにメイクした甲斐があった。

 派手なメイクはちょっと抵抗があったから、ほんのり色づく程度のナチュラルメイクにしたんだ。それでもメイクしてるってバレそうだから、家を出る時にはお母さんとお父さんがテレビを観ている時に、急いで玄関に行って「いってきまーす」と飛び出してきたんだ。

 

 私はカレーをスプーンですくった。

「ん。おいひー」

「カツ丼もうまい」

 窓の外では数頭の羊がもふもふの毛を揺らしながら歩いている。かわいい。


「あー。うまかったなー」

 彼は園内マップを見ながら、「こことここはまだ行ってないから、こっちからか」と、午後のコースを確認していた。

「ちょっと、トイレ行ってくるね」

 私はカバンを持ってトイレに向かった。ご飯も食べたところだし、一度メイクを直したかったのだ。

 トイレの洗面所でカバンからリップを取り出し、塗り直す。ピーチクリア色のオイルリップを一塗りするだけで、まるでジュレのような透明感のある唇になるのだ。

 鏡の前で唇を動かす。ふっくらと艶のある唇が輝いている。なんだか大人になったような気がする。

 メイクに慣れてないので、アイシャドウはそのままにしておいた。

 短時間で直せる自信がないし、変になっても困るから。


 午後には爬虫類館やふれあい広場を見て回り、アイスクリームを二人で食べて、最後にお土産屋さんに寄った。

 二人でお揃いのフラミンゴの小さなキーホルダーを買った。


「今日は楽しかったね」

「ああ、良かった」

「それじゃ、またね」

「おう」

「夜、ラインするね」

 夕方十六時過ぎには、朝待ち合わせした駅前で彼と別れた。

 門限があるわけではないけれど、十七時前には家に帰っておきたい。

 電車に乗る前に駅のトイレに入る。カバンからクレンジングシートを取り出し、洗面所の前で自分の顔を拭いていく。

 このまま家に帰ったら、絶対に怒られちゃう。

 二、三拭きもするとメイクはすっかり落ちて、いつもの私の顔に戻った。

 なんだか夢から覚めたみたい。メイク、もう少ししていたかったな。

 今日は本当に夢のようなデートだった。カバンにつけた買ったばっかりのフラミンゴのキーホルダーが揺れている。ああ、幸せ。


 私は彼の笑顔を思い出しながらトイレを出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る