断水ディストピア


 高音と低音を混ぜ合わせた不安定な音程の、聞くに堪えない不協和音が辺り一面に鳴り響いた。

 また始まった。計画断水の警報サイレンである。このところ毎日のように断水が行われているのだ。

 蛇口をひねれば当たり前のように水が出て、コップに注いだ並々の水を一気に飲む。そんなことを日常的にしていたあの頃が懐かしい。


 今や環境汚染や気候変動により世界的な水不足が発生している。私たちの住む国は、もともと水資源が多く、当初「水」自体に関しては世界の危機的状況にさほど影響を受けなかった。

 しかし、「仮想水」と呼ばれる、所謂、「水」を利用することで作られる農産物や畜産物、工業製品の生産が世界で滞り、それらの輸入に頼っていた我が国も徐々に影響を受け始めていった。

 それが今から二十年前。当時の国策により自国での生産量を増やすことで何とか危機を乗り越えてきた。

 しかしそれも五年と持たなかった。十五年前に起きた大規模気候変動により、この国の四季がなくなってしまったのだ。

 それにより山は枯れ、水は朽ち、農作物も育たず、延いては工業製品等各種産業にも多大な損失を与えたのだった。

 海水から真水を取り出す「海水淡水化」という技術もあるが、生産量が追いついていないのが実情だ。

 水道はもちろん、電気、ガスのライフラインも不安定な状態が続いている。


「ママ、またお水でなくなるの?」

 娘は手を耳に覆い忌々しい警報サイレン音を遮断している。

「またしばらくね」

「お風呂入れないね」

「しばらく我慢しなきゃね」


 計画断水は一度実行されると二、三週間は継続される。毎日定刻に警報サイレン音が鳴り響き、その日は一日水が使えない。翌日も、またその翌日もその繰り返しだ。

 その間、風呂はもちろん、トイレも洗濯も炊事だってろくに出来ない。

 風呂は我慢するしかないし、排泄物はゴミ袋に入れて焼却処分だ。ゴミを出すのにもお金が掛かるため、ほとんどの住民は違法と知りながら不法投棄を繰り返す。

 だから街中不衛生で、病気を患う人も少なくない。

 一日一回、私たちの居住区の入り口前に国営給水車が水を配りに来るが、一世帯あたりに与えられる量が制限されている。

 民間の給水車も水を販売しに来るのだが、費用が高すぎてとても買えないのだ。

 しかも貰った水もほとんどが飲み水として使うため、炊事だってままならない。

 育ち盛りの娘のために、肉や野菜をたっぷり使った料理でも作ってやりたいのだが、食材も高騰していてとても手が出せない。

 夫の残した貯金も残りわずかとなり、さらに生活が苦しくなるのは目に見えていた。


 ああ、コップ一杯の並々の水を思う存分娘に飲ませてやりたい。

 ああ、温かいシャワーを心ゆくまで浴びたい。

 ああ、せっけんの香りのする服が着たい。

 ああ、水で流せるトイレを使いたい。


 思えば、あれほど普及した水洗トイレは今や過去の産物だ。レバーをひねったところで水なんか出やしないのだ。


 窓越しに外を見る。空は暗く、分厚い雲が空を覆っていた。

 ここから二十キロほど先に、煌びやかに光輝く高層タワーが見える。政府関連施設に従事する者達と一部の選ばれし者達の高層居住区だ。

 高層居住区を中心に半径十キロ圏内は一般市民の立ち入りを禁止している。

 その内部では、断水もなければ電力もガスも安定していて理想郷のような場所なのだ。

 私たちと彼らの生活格差は広がるばかりで、それによる反乱も次第に大きくなっている。

 街の至る所で小規模な爆発が発生している。政府軍とレジスタンスの交戦が繰り広げられているのだ。

 レジスタンスに所属していた私の夫も、去年政府軍との交戦により還らぬ人となった。

 光り輝く高層タワーを見る度に悔しさが込み上げてくる。


 どうして世界はこんなにまでなってしまったのだろうか。

 あの頃。あの頃、この星の資源を大切にしなくてはならないと叫ばれていた頃、どうしてもっと耳を傾けなかったのか。

 温暖化、大気汚染、洪水、干ばつ、飢饉。

 水を、森を、海を、動物を。大切に。

 どうしてもっと危機感を持たなかったのか。

 娘達の将来はどうなってしまうのか。

 あの時、もっと私たちが出来ることがあったのではないか。


 窓の外に眩い光が走った。光はまっすぐ高層居住区に伸びていた。

 直後、高層居住区が大爆発をした。レジスタンスがミサイルを放ったのだろう。

 墓標のようにそびえ立っていた居住区が崩れ落ちていく。


 唸るような警報サイレン音が辺りを喚き散らした。


 私は、抱きかかえるように娘の耳を塞いだ。


 ああ、この国はどうなってしまうのだろう。


 もっと私たちが耳を傾けるべきだった。


 けたたましい警報サイレンは私を責め立てるように大音量で鳴り響いていた。


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