スッキリィー♪ 水洗トイレ 後編

 彼女からのメッセージにはこう書かれていた。

「土曜日、友だちと遊ぶことになった! ごめん!」

 毎週末、彼女と過ごすのが僕の楽しみだっただけに、彼女の突然の予定変更に落ち込んでしまった。

 しかも、どうやら男友達と遊ぶようだった。男女数人でバーベキューをして、夜はライブに行くそうだ。それって合コンじゃなかろうか、と思った瞬間さらに気分が悪くなった。

 彼女が言うには、地元の友だちが久々にこっちに来るから遊ぶらしい。

 その言葉を信じ、彼女には「分かった。楽しんでおいで」と言ったものの、やはりどうも納得がいかなかった。

 お互い平日は仕事が忙しくて、なかなか会えないから週末だけでも一緒に過ごそうと、そういう話だったはずなのに。


 そんな気持ちがスッキリしない状況だったからか、仕事が終わって自宅に帰る時に、気がついたら例の公衆トイレの前に来ていた。

 「スッキリィー♪ 水洗トイレ」だ。見た目はどこにでもある普通の公衆トイレ。円柱状の外壁で、男女共用のひとつだけの公衆トイレ。

 ゴォォオンと音を立て、錆びた鉄の扉を開ける。中に入り扉の内側を見ると、そこには昨日と同じく貼り紙がしてあった。

 

 

 ようこそ。

 スッキリィー♪ 水洗トイレへ。

 今日あった嫌なことを思い浮かべながら用を足してください。

 嫌なことは大きなことでも小さなことでも構いません。

 それから用も大でも小でも構いません。

 用を足したら、レバーを引いてください。

 すべて水に流しましょう♪

 スッキリしますよ!

 

 

 僕は昨日と同じく用を足した。彼女の急な予定変更を思い浮かべながら……。

 そして水を流した。

 

 スッキリィー♪

 

 水の流れる音に混じって、「スッキリィー♪」と聞こえた。昨日は気のせいかと思ったが、間違いなく聞こえた。

 直後、ふと思った。

 彼女も平日は忙しくて、土日しか自由な時間がない。しかも久々に地元から友だちが来ているのであれば、僕と一緒にいるよりもそっちを優先させるべきだろう。僕はなんて自分勝手で心の狭い人間だったのだろう。

 それに彼女は土曜日遊びに行くと言っていたので、日曜日に会えばいいだけじゃないか。

 土曜日まるまる空いた時間で、僕も久々に趣味のビリヤードにでも行ってこようかな。

 なんだか急にスッキリした。

 どうやらこのトイレで用を足すと、物事の考え方を変えてくれるようだ。

 

 

 僕はそれから「スッキリィー♪ 水洗トイレ」をよく使うようになった。

 スッキリ出来るのは一日一回だけだったが、それでも十分役に立った。

 満員電車で「押した押してない」のトラブルになりかけた時、通販サイトで買った商品が不良品だった時、そのカスタマー対応でたらい回しにされた時。

 嫌なことがある度に公衆トイレに行っては用を足す。そうするとたちまち、ポジティブな考え方が出来るようになり、心がスッキリするのだった。

 

 そして今日も非常に理不尽なことが起きて、僕はイライラしていた。

 課長が参加する毎月定例の会議が今日あったのだが、そこで使う資料を僕が作っていなかったのだ。課長はそれを僕のせいにしたのだ。しかし、そもそも資料作成の依頼は受けていない。依頼しなかった課長が悪いはずなのに。

 課長は直接、僕を怒ったわけではないものの、僕が悪い雰囲気を出していて、非常に居心地が悪かった。


 例によって自宅近くの公園にある「スッキリィー♪ 水洗トイレ」に向かった。

 今日もこのイライラをスッキリさせよう。

 

 ところが、いつもの円柱状の公衆トイレの鉄扉には見慣れない貼り紙がしてあった。

 そこには「故障中につき使用禁止」と書かれていた。

 故障中ならば仕方がないか。僕は諦めて家に帰ることにした。今日はスッキリできなさそうだ。

 家に帰り、自分なりに今日の出来事を考えてみた。

 課長は確かに資料作成の依頼を僕にしなかった。ただ、依頼を待つだけの僕も良くなかったのではないか、と思い始めた。

 会議は毎月定例で行っているのだ。課長の指示がなくても資料を作るべきだったし、どんな資料を作れば良いか分からなければ、自ら課長に聞くべきだったのだ。それを作成依頼を受けていないから課長が悪い、とするのはあまりにも自分勝手だったかもしれない。

 僕も僕で、仕事をする上で周りに気を掛けることが足りなかったのかもしれない。

 そう思うと先ほどまで感じていた課長へのイライラがスッと引いてきた。

「スッキリィー♪ 水洗トイレ」を使わなくても、気持ちをスッキリすることが出来た。


 翌日、仕事帰りに公衆トイレに行ってみると、故障中の貼り紙がなくなっていた。

 ゴォォオンという錆びた鉄扉の開閉音は変わらず鳴り、中も変わらず汚かった。中に入り扉を閉める。扉の内側を見ると、貼ってあったはずの「スッキリィー♪ 水洗トイレ」の貼り紙がなくなっていた。

 僕はいつものように、今日あった嫌なことを思い浮かべながら用を足した。

 しかし、水を流した時に聞こえていた「スッキリィー♪」という声も聞こえなくなっていた。直後のひらめきもやってこない。

 どうやら、ただのトイレになってしまったようだった。


 「スッキリィー♪ 水洗トイレ」がなくなってしまったのは残念だった。でも、僕はもう「スッキリィー♪ 水洗トイレ」を使わなくても大丈夫だった。

 実は最近、イライラする出来事があっても、その気持ちを落ち着かせることが出来るのだ。

 自分の立場で物事を見るとイライラするが、もしかしたら相手はこう思っているのかも、と相手側の立場に立って一度考えてみることにしている。

 すると大抵のことはポジティブに考えられるようになり、イライラしなくなるのだ。

 これも「スッキリィー♪ 水洗トイレ」のおかげである。

 ポジティブに考えると、心に余裕が出来るのか、今まで見えていなかったものが見えるようになる。

 忙しかった仕事も楽しく出来るようになり、彼女とも週末以外も会えるようになった。

 これからもポジティブ思考を続けていこうと思う。


 それから、消えてしまった「スッキリィー♪ 水洗トイレ」はきっとどこか別の公衆トイレで、他の誰かの心をスッキリさせているんだろう。

 

 

 スッキリィー♪

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