忘れ物には髪がある

 腹痛ぇ。やべぇやべぇ。俺は急いで近場にあった公衆トイレへと向かった。マジやべぇ。漏れるわ。

 ドンッ。

 ちょうど男性トイレから出てきたヤツに軽くぶつかった。相手は若いチャラそうなひょろい男で、歩きスマホをしていた。相手は俺の顔を見たが、そのまま気にも留めず、謝りもせずに立ち去っていった。

 歩きスマホなんかしおって。悪いのはあんただろうが。謝罪ぐらいしろよ。食ってかかろうかとも思ったが、腹が痛くて漏れそうなのでやめた。

 俺は空いてる個室に入り、即座にズボンとパンツを降ろし、便座に座った。

 そして一気に排泄する。ふぅ、間に合った。近くに公衆トイレがあって助かった。

 ポケットからスマホを取り出し、ニュース系まとめサイトを閲覧した。

 「公取委、新たな調査に着手。その中身がすごい」、「国キャラ管理協、新方針を打ち出す」、「オープン戦、スタメン一覧公開」

 ニュース記事をスクロールしながら見ていく。と、その中で見慣れた文字が目に入った。

「速報! ●●河川敷で人の胴体が見つかる。頭部見つからず」

 この河川敷、ここの近くじゃねぇか。

 記事を読むと、今朝、●●川の土手沿いを散歩していた男性が、河川敷に人が倒れているのを見つけたそうで、近寄ってみると、それは頭部がない遺体だった、とのこと。警察の調べによると、遺体は三十~四十代、女性。発見当時、衣服の乱れなどはなかった。女性の頭部の発見を急いでいる、とのこと。

 こんな地方でも物騒な事件が起こるもんだな。ま、俺には関係ないか。

 スマホを閉じ、ポケットにしまった。さて、飯でも食いに行くかな。俺はトイレットペーパーを引き出し、尻を拭いた。ふぅ、スッキリしたぜ。パンツとズボンを上げ、水を流そうと後ろを振り向くと、背面の出っ張り部分にある棚の上に、見慣れないカバンが置いてあった。茶色の革製で長方形のトランクのようなものだ。忘れ物か。

 高級そうなカバンだ。もしや金目のものが入っているのではないか。俺の頭の中にはいくつもの札束が整然と並べられている姿を想像した。いや、さすがにそんなことはないだろう。金目のものじゃないにしても中身が気になる。少し開けてみようか。開けるだけなら問題ないだろう。

 そう思い、カバンを持ち上げたところ、目を疑った。なぜならカバンの隙間から髪の毛がはみ出ているのを見たからだ……。長い髪が数本垂れている。髪質から女性だろうと思う。

 そこまで思い、勘の良い俺はピンと来た。人間の頭部がここに入っているに違いない、と。

 さっきまとめサイトで見た行方不明の女性の頭部なのではないだろうか。重さ的にも人間の頭ほどありそうだった。

 そう思うと、途端に気持ちが悪くなり、蓋の上にカバンを置いた。

 やべぇ。マジやべぇもん見つけてしまった。警察に届けようか。面倒なことになりそうだな。このまま立ち去った方が良いだろう。

 トイレだし、すぐに他のヤツが見つけて通報してくれるに違いない。

 早くこの場から逃げた方が良い、と頭が警告する。

 っと、危ない。便器の中を流し忘れていた。ここまま立ち去ったら、俺のクソから俺が犯人だと疑われてしまう。そうだ、カバンについた指紋も拭き取らなくては。

 

 コンコン。

 

 突然、個室の扉が叩かれる。うるせぇ、扉が閉まっているんだ、入っているのぐらい分かるだろ。こっちは今忙しいんだ。俺は扉を叩き返す。

 

「入っている中、すんません。そこにカバン、ありません?」

 扉の向こうから男の声でそう言ってきた。

 カバン。なぜ知っているんだ。もしや犯人か。ここで俺が出て行って「あるよ、これだろ」なんて渡そうものなら、俺までも殺されかねない。

 かといって、「いや、ないねー」と言ったとしても男が諦めて立ち去るかも分からない。俺がトイレから出た瞬間、一刺しってこともあり得る。

「あります?」

 男が急かしてくる。

 俺は一か八かの賭に出た。

「ああ、あるよ」

「良かったぁ。なくしたかと思った」

 コイツ、さっきトイレの前でぶつかったチャラい若い男だろ。声の感じとか話し方からそう感じ取った。

 ヤツなら俺の力でも取り押さえられそうだ。とっ捕まえて警察に突き出してやる。

 俺は正義感に駆られ、トイレの水を流すと、扉を開けた。

「これか? カバンって」

 俺は蓋の上に置いたカバンを指さした。正直、気持ちが悪くて持ちたくはなかった。

 個室の外にいたのは、予想していたとおりさっきぶつかったチャラい男だった。

「それっす! ありがとうございます!」

 男はカバンを渡してもらおうと手を出してくる。

「おい、これもあんたのか?」

 俺はカバンから飛び出している髪の毛を指さして言った。

「はは。はみ出してる」

 男は笑いながら言う。ふざけている。人が死んでいるというのに。

「これから後輩に譲るんすよ。もう使わないからあげるって」

 なんだと。譲る? どういう神経しているんだ。狂っていやがる。殺人犯の思考は俺には分からん。

「よく、笑っていられるな。俺が何もしないとでも思ったか」

 このヤロウ! っと俺は男を取り押さえ、トイレの床面に押さえつけた。

「ちょっ、痛い。なにすんだよっ」

 男が喚き立てる。

「うるさい。自分が何をやったか分かってるだろ」

「離せ。やめろって!」

「お前が河川敷殺人の犯人だろ!」

「やめろ。離せって。おっさんなんか勘違いしてるって」

 おっさんだと? そこまで歳食ってないわ。

「これ、人形だって。人形! マネキン」

「……え?」

 俺は押さえつけていた手をゆっくりと離した。


「ほら、人形でしょ?」

 男はカバンを開け中を俺に見せた。そこには確かに女性頭部のマネキンが入っていた。

「カットウィッグっていう美容師が練習する時に使うマネキン」

「そ、そうか……」

 俺はとんでもない勘違いをしていた。勝手にコイツが殺人犯とばかり思い、押さえつけてしまった。しかもこんな公衆トイレの床面に顔をこすりつけるように……。

「さて、おっさんどうしてくれようか?」

 このまま「じゃ」とは立ち去れなさそうな雰囲気だ……。

「勝手に勘違いしちゃって。悪いのはおっさんだよね? 謝罪ぐらいしたらどうなの?」

「すすすすす、すみませんっ」

 蛇に睨まれた蛙のように、その場で平謝りをした。トイレに入った時、若い男がぶつかってきても謝らなかったことなどどうでもいいくらい、俺は必死に謝った。


「どーしよっかなぁ」

 男はカバンの中から商売道具であろうハサミを取り出し、チョキンと鳴らす。


「ひぃぃぃ。それだけはご勘弁をぉぉ!」


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