月日が流れるのは早い

 一月五日。正月休みも明日で終わりだ。明日には都心に帰り、明後日からは仕事が始まる。

 今年の年末年始は土日が上手く重なって十連休となり、久しぶりに実家でゆっくりと過ごすことができた。

 あっという間の休日だった。月日が流れるのは早いものだ。

 まだ今日入れて二日も残っているのに早くもそんなことを考えてしまう。

 今日は朝から地元の神社にお参りに行ってきたのだ。今年は四十一歳の前厄なのでしっかりお参りをしてきた。それほど大きな神社ではないが、初詣の参拝者が多くいて賑わっていた。

 その帰り道、ふと懐かしい電話ボックスが目についた。電話ボックスの扉部分には貼り紙が貼られていた。

 それは公衆電話を撤去する告知書だった。

 告知書によると、近年、携帯電話やスマートフォンなど通信手段の多様化により、公衆電話の利用が激減しているそうだ。現状のままでは事業の安定化が図れないため、利用の少ない公衆電話を撤去するという。

 そしてこの公衆電話は今月末に撤去、電話ボックスは三月に撤去するそうだ。

 告知書の最後には「長い間ご利用ありがとうございました」と書かれていた。

 もうずっと使っていないが、この公衆電話には思い入れがあった。

 それは中学生の頃の話だ――。

 

 

 ――学校のチャイムがなり、休み時間となった。

 僕は正面玄関に行き、自分の下足箱の扉を開けた。中には運動靴が入っている。右足の運動靴の中に手を入れると、手にそれが触れた。

 今日も入っていた。と、僕は嬉しく思う。

 運動靴の中に入っていたのは、丁寧にハートの形に折りたたまれた小さな手紙だった。

 僕は早く手紙が読みたくて、教室に戻らずに近くのトイレの個室に駆け込んだ。

 トイレの個室の中で立ったまま、さっそくハートを形作っている折り目をひとつずつ開いていく。

 彼女と付き合っていることをクラスメイトに黙っているわけではないが、変にからかわれるのが嫌で、いつもトイレで手紙を読んでいた。

 手書きの手紙にはハートや星、音符マークが散りばめられ、字体も丸みがある女の子らしいものだった。

 昨日見たドラマの話、好きなアイドルの話、夜ご飯の話、家族の話。それから、僕が体育の授業で校庭を走っているのを見た話、僕のことを好いていること。

 手紙を通して彼女のことをたくさん知った。僕は手紙の返事を授業中にノートの切れ端に書いた。

 僕もそのドラマを見た話、僕が好きなアイドルの話、夜ご飯の話、家族の話。それから、彼女が音楽室に向かって歩いているのを見た話。そして彼女のことが大好きだということ。

 彼女みたいに器用にハートの形には折りたためないので、四つ折りにして、次の休み時間に彼女の靴の中に入れた。

 この手紙のやり取りを最低でも一日一回、多い時は三回行った。僕は毎日届く彼女からの手紙がすごく好きだった。

 彼女との関係はもちろん手紙だけではなかった。放課後には一緒に手を繋いで帰るし、休日には街にデートしに行く。

 デートといってもお金があるわけではないので、ウィンドウショッピングをして、カフェでお茶をする程度ではあったけれど。

 夜、会えない時は、公衆電話で彼女の家に電話をする。寒い冬の夜、僕は自分の部屋からこっそり抜け出し、家の近くの神社脇にある電話ボックスに入った。

 どうして公衆電話かと言うと、彼女の家の電話には子機がついていて、部屋で電話が出来るのだが、僕の家には子機がなかった。彼女との会話を親に聞かれるのが恥ずかしくて、公衆電話を使っていたのだ。

 五〇度数のテレホンカードが一回でなくなるぐらい通話していた。冷える手を交互にポケットに突っ込みながら、時にはトイレを我慢しても彼女と話す時間が惜しかった。

 こんなにも近くに彼女の声が聞こえるのに、会うことが出来ない。公衆電話に表示される残りの度数は刻々とカウントを減らしていく。声が聞ける時間も残りわずか。

 その切なさから残りの十分、ただただお互いがどのくらい好きかを言い合っていた。

 とにかくお互いいつもべったりで一緒にいた。僕にとっても彼女にとっても初めての恋人だったのだ。


 しかし、その関係も長くは続かなかった。彼女よりもひとつ学年が上だった僕は、春には中学を卒業し、高校へと進学した。

 それと同時に、今まで毎日続けてきた下足箱への手紙がなくなってしまった。

 僕は僕で新しい環境で男女共に新たな出会いがあり、忙しいながらも充実した高校生活が始まっていた。

 彼女は「もっと会いたい」、「もっと電話してほしい」と求めるようになった。僕も彼女の気持ちに応えようと努力したのだけれど、高校生活を送る僕と、まだ中学生である彼女との会話で、次第に彼女の存在が疎ましく感じるようになってきたのだ。

 

 

 そして。最後は顔も見ずに公衆電話で別れを切り出した。それで彼女とは終わった。

 彼女は何も悪くなかった。当時の僕があまりにも未熟で、自分勝手なヤツだったと思う。

 今思っても、残酷な別れ方だったな、とそう感じる――。



「どうしたの? ぼーっとして」

 妻と娘が不思議そうにこちらを見ている。

「ん? あぁ、ちょっと昔を思い出してた」

「なあに? 昔って」

「いや。大したことないさ。この電話よく使ったなーって」

「電話?」

 妻が公衆電話の貼り紙を読み始める。

「もう撤去されるみたいだな」

「テッキョってなーに?」

 娘が妻に訊いている。


 あの頃の連絡手段は手紙か電話だった。紙に書かなくても覚えていた電話番号。何度もダイヤルした彼女の家の電話番号。今では全く思い出せない。

 初めての彼女。彼女はいま、どこで何をしているのだろうか。元気でやっているだろうか。


 告知書の最後に書かれた「長い間ご利用ありがとうございました」という文章をじっと見つめた。

 青春を彩った公衆電話よ、ありがとう。またどこかで……。


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