シェアハウス

 俺はギターひとつで家を出た。高校を卒業してしばらく地元でバイトをしながら音楽活動をしていたが、やはり夢を叶えるにはもっと多くの人に見て貰う必要があると思ったんだ。

 だから俺はすべてを捨てて、夜行バスで上京した。夢を叶えるためには犠牲も必要なんだ。

 自分の部屋もあった実家暮らしはなくなり、ネットカフェで寝泊まりするようになった。

 俺の所持金は全部で十五万円。俺には金がない。親とは半ばケンカ別れで出てきたので親も頼れない。いや、頼らない。俺は俺の力で大きくなってやるんだ。

 そうは言ったものの、住所がないとバイトできないところも多く、このままネットカフェ生活を続けていると、金が本当に底をついてしまう。

 それで目にとまったのが「シェアハウス」だったんだ。知らない複数の人と生活を共にするアレだ。

 池袋を歩いていた時にたまたま見つけた、聞いたこともない小さな不動産屋で紹介された物件だった。

 審査不要、連帯保証人も不要、さらには敷金礼金も不要で、即日入居可。それでいて家賃も光熱費込みで二万八千円という好条件に、俺はその場で契約し、カギを貰ったんだ。

 これでバイトができるし、ネットカフェではできなかった曲作りも部屋でできる。

 しかもシェアハウスなので、新たな出会いや人脈作りにも役立ちそうだと思ったんだ。

 

 こうして契約したシェアハウスだったんだが、「シェアハウス」とは名ばかり、その実態は「脱法ハウス」だったんだ。

 脱法ハウスとは、国の建築基準法や消防法といった堅苦しい法律を無視して改築した、共同住宅を目的とした家のことだ。

 例えば六畳の部屋をベニヤ板などで間仕切りをして、三、四部屋に分割し、それぞれを居住スペースとして貸し出すんだ。窓がない部屋も多く、それが消防法的に良くないらしい。

 運営業者は「住居」ではなく「レンタルオフィス」として貸し出しているようで、それが違法性を曖昧にしているらしい。

 確かに俺も、契約時に「ここはレンタルオフィスだ」と言われた記憶がある。

 だが俺にはそんなこと知ったこっちゃない。住所があり、部屋があり、寝泊まりができて、曲が作れればそれで良いんだ。


 俺が住んでいるシェアハウス……いや、脱法ハウスは見た目はどこにでもあるごく普通の一軒家だ。

 の間取りは4LDK。それが今や12LDKとなっている。六畳の部屋は、簡易的な間仕切りによって三部屋に作り替えられている。一畳分が廊下として使われるので、ひと部屋辺りおよそ1.7畳だ。この構成の部屋が四つあり、合計で十二部屋。

 ちなみに、それぞれの部屋の扉にはカギがついているが、自転車で使うような簡素なナンバー式のカギなんだ。

 リビング、ダイニング、キッチンは元々の状態と変わってなく、住人たちが集まる共有スペースとなっている。

 風呂場は、浴槽だった部分がボックス型のシャワールーム二つに改造されており、洗い場だったところに洗濯機が二つ。さらに脱衣所だった場所は、洗面台が二つと、トイレがもうひとつ増えている。


 ここに日本人が俺ともう一人の男、それから十人の外国人が住んでいる。中国、韓国、台湾など、アジア系はもちろん、アメリカ人、フランス人、ブラジル人もいる。家の中では共通言語がなく、外国人と会話をするのは一苦労あるが、異文化交流は楽しいし、俺の知らないことをたくさん教えてくれる。

 しかも俺が作った曲をリビングで披露すると、誰かが聴いてくれ、誰かが踊ってくれる。ちょっとしたミニライブが出来て、音楽の練習にもなる。

 アーティスト志望、芸人志望、ダンサー、プログラマー、日本語学校へ通うもの、日本アニメが好きすぎるヤツ。みんな、金はないが夢があるヤツらばかりなんだ。

 一部、闇取引をしてそうな裏の人間もいなくはないが、基本的にここに住んでいるヤツらは、良いヤツばかりだ。


 ただ、こうも多国籍の集団生活となると、決められたルールが守られなかったり、マナーが悪いところがあるのも事実だ。

 夜十二時以降は騒がない。外出時は必ずカギをかける。リビングを私有化しない。掃除当番をサボらない。冷蔵庫の自分の物には名前を書く。ゴミの分別をしっかりする。

 家の至る所に簡単な英語とイラストで描かれたルールが貼られているのだ。

 

 中でもトイレのマナーは格段に悪い。尿撥ねは日常茶飯事。トイレ内で平気でタバコを吸ったり、トイレットペーパーを使いすぎて詰まらせた上、そのまま放置していることもある。

 二箇所のトイレどっちもゲロまみれとなっていたこともあった。


 トイレの話を続けると、朝のトイレラッシュもひどいものだ。

 なかなかトイレが空かないという問題もあるが、それ以上に、短時間に入れ替わり立ち替わり使われたトイレ内の臭いは、壮絶すぎてもう言葉に出来ない。

 しかも、うんこが流されずにそのまま便器の中に残っていることもあるのだ。

 この前もなかなかのうんこが残っていた。黄土色で粘度が高く、長さもボリュームも申し分ないぐらいの量だ。一体何を食っているんだと思うぐらい強烈な臭気を放っていた。

 「他人のうんこはどうしてこんなに気持ちが悪いんだ」と思いながら、俺はうんこを流す。


 お笑い芸人を目指している日本人の男にこの話をすると、「もっとるねー。しかも黄土色のうんこって、強運やん。ラッキーカラーやん。あんた絶対成功するわー」と笑いながら言ってくれた。

 俺はその話を聞いて以来、うんこがあることに嫌な気がしなくなり、むしろラッキーと思ってしまうようになった。

 うんこが験担ぎのようでおかしい気もするが、何事もポジティブに考える方が良いに決まっている。

「ナニシテル? 始マルヨ!」

 中国人が俺を呼びに来た。今日はシェアハウスのメンバーで忘年会を行うのだ。と言っても家の中でだが。

 俺の夢はまだまだ遠いが、ようやくここでスタート地点に立てた。

 この場所には応援してくれる住人がいる。仲間がいる。

 必ず運を掴んでみせる。俺はようやく夢に向かって進み始めたんだ。


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