泥棒よごれ、最後の五分


 『泥棒かささぎ』序曲(ロッシーニ)。今、この白い空間にはこの曲が流れているように感じる。

 円形の白い陶器は、まるでコンサートホールのような、オペラ座のような感じがする。

 どこでこの曲を知って、どんな内容の曲で、どうしてタイトルが『泥棒かささぎ』なのか、あたしにはさっぱり分からないけれど、軽快感のある音色と、後半に進むにつれてよりダイナミックに奏でられるリズムが、今のあたしたちの気持ちの高鳴りに合っていると思う。

 だって、あたしたちは結婚することにしたのだから。

 彼の茶色く荒っぽい身体が好きで、隣にいるだけで安心できる。もちろん、優しい性格も大好きだ。

 だからあたしは、隣で彼にべったりとくっついている。今、とても幸せな時間なのだ。



 突如、白い空間の扉が開き、人間の女が入ってきた。この家の主である。

 彼女はあたしたちの遙か上にある戸棚を開け、使い捨てのペーパータオルを取り出すと、この白い空間の掃除を始めた。

 掃除は床からはじまり、白い陶器全体、蓋部分、そして彼女がいつも座る部分を拭いていく。

「きたなーい。こんなところに汚れが」

 彼女は陶器の中を覗き込みながら、そう言った。そして彼女は一瞬どこかに行ったかと思うと、次の瞬間、粘性のある青い液体を大胆に陶器の縁にかけていった。


「よし。『汚れがひどい時には、五分つけ置き』ね」

 彼女はそのまま白い空間から出て行った。

 青い液体はゆっくりと垂れていき、その面積を広げていった。


 あたしの頭の中に流れていた『泥棒かささぎ』は、それまで優雅な曲調だったけれど、次第に楽器の音色が増え、焦らすように、せわしなくティンパニとシンバルが鳴らされているように感じる。

 曲の激しさに合わせ、陶器についていた黒や茶色の小さな汚れがみるみる落ちていく。

 ひとつ。またひとつと汚れが落ちていく。陶器はより白く、純白になっていく。見る限り残された汚れはもう最後だ。

 そう、もうあたしたちは……――














 人間の女が再び白い空間に戻ってきた。彼女は陶器の中を覗くと、満足そうに頷いた。

 そしてレバーを引き、水で洗い流した。

 陶器はより白く、純白に。まるで祝福されているよう。『泥棒かささぎ』はラストスパートに入り盛大に音を鳴らす。


 そう、もうあたしたちは……――結婚するのだ。


 人間の女が、あたしたちを持ち上げ、位置を整え直す。

「ん。かわいい。やっぱりウサギの子、買って良かったぁ」

 あたしは茶色いクマにべったりとくっつく。隣にいるだけですごく落ち着く。

 クマとウサギ。あたしたちはこの白い空間の小さな棚に置かれた小さなぬいぐるみ。あたしはこの前、この白い空間に連れてこられた。前までは「お店」というところにいた。

 「お店」にいたたくさんの仲間から引き離され、最初は不安だった。けれど、彼に出会えて、こうして静かにふたりで居られる時間が幸せなのだ。



「よし、トイレ掃除完了っと」

 人間の女はそう言うと、白い空間から出て行った。


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