コテージの惨劇 ― 後編 ―

「A太、大丈夫か!」

 C也がトイレに入り、A太の身体をゆする。

「息してる。救急車呼んで!」

「わかった」

 A子がリビングへ戻っていく。

 A太は呼吸が荒く、意識が朦朧としているようだ。便器にはA太が吐いたと思われる嘔吐物が流されずに溜まっているのが見えた。

 ツン、と鼻に刺激臭を感じた。嘔吐物の臭いかと思ったけれど、続けて目にも染みるような刺激を感じた。

 C也が訝しげに鼻をひくつかせた。

「これは……塩素ガスだ。ここから離れて! B作、手を貸せ」

 C也とB作がA太をトイレから運び出す。

「リビングにつれて行くぞ」

「B美、行こう」と、しゃがみ込んでしまったB美を抱き起こす。

 と、その瞬間。ふっ、と電気が消えた。

「て、停電?」

「いやあっ!」

 B美が再び叫ぶ。

「大丈夫。B美、落ち着いて」

「持ち上げるぞ。せーのっ」

 暗がりの中、A太を持ち上げ、ゆっくりとリビングに向かって進む。



 A太はそのままリビングのソファに寝かせた。

「救急車、来られない!」A子が叫んだ。

「なんだって?」

「土砂でここまで来るのに時間が掛かるって!」

「くそ! 窓、開けて!」C也が叫ぶ。

「え、でも雨風が……」

「いいから! 新鮮な空気が必要だ」

「わかった!」

 私が窓を開けると、横殴りの雨が風とともに室内に入り込んできた。

「きゃあ」

「C香さん、大丈夫ですか!」

 暗闇の中、B作の声が聞こえる。

「大丈夫!」

「牛乳! 牛乳持ってきて!」C也が叫び、B作が反応する。

 男性陣二人が動く中、私はどうしたらよいのか分からなかった。

「A子、そのスマホ照らして!」

「う、うん」

 A子がスマートフォンの懐中電灯機能でリビングを照らす。光源ができ、いくらか動きやすくなった。

 私もテーブルに置いていたスマートフォンを手に取った。B作のところに行き、冷蔵庫の中をライトで照らす。

 B作は牛乳を手に取った。

「C香さん、ありがとう」

 B作とリビングへ戻ろうとした時、突然、「チン!」と音がした。

「なに?」

 周囲をライトで照らす。

「トースター?」

 何が音を出したのか分からない。ただ、音を出しそうなものはトースターぐらいだった。

「なんで鳴ったの?」

「分かりません……。でも今はそれよりも急ぎましょう」

 B作に促され、牛乳を持ってリビングへ戻った。

 

「飲ませるぞ。おい、A太飲めるか?」

 C也がA太の口に牛乳パックのまま持って行く。

「飲め。飲めるか」

「グフッ」

 A太が一口だけ飲んで吐き出してしまった。

「大丈夫か! 少しで良いから、飲め」




 ◆

 A太の具合は依然悪い状態ではあったけれど、呼吸はだいぶ落ち着き、今は隣の部屋のベッドで寝ている。

 それからA太に牛乳を飲ませた後、B作が「ぼく、ブレーカー見てきます」と出て行き、その直後、電気が復旧した。

 花形のシェードから普段通りの優しい明りが灯っている。

 窓からは大量の雨が部屋に入り込み、窓際の床が水浸しになった。バスタオル数枚を使い、みなで水を拭き取ったのだった。


 A太を除く全員がガラスのテーブルを囲むように座っている。B作がみなを集め座らせたのだ。

 私とB美、B作がソファに、A子とC也が床に座っていた。

「大変言いにくいのですが……」

 B作は一拍置き、話を続けた。

「ブレーカーを見に行った際、下足箱の上が濡れていました。それで気づいてしまったんです」

「なにを気づいたっていうのぉ?」ソファの上で、膝を折り曲げて抱え込むように座っているB美が言う。

「ええ。つまり……彼を殺そうとした犯人がこの中にいるということです」

「うそ……」A子が不安そうな顔をする。

「おそらく……。順を追って説明していきますね。まず――」

 そう言ってB作は状況を説明し始めた。

 この部屋を基準に考えると、まずC也が風呂に入っている最中に、B美が「疲れたからもう寝る」と部屋を出て行った。

「B美さん、間違いないですね」

「んー。眠かったし、あんまり覚えてないよぉ」

「そうですか、分かりました」

 次にA太が気持ち悪いと言ってトイレに向かった。

「A子さん、C香さん、そうでしたよね」

「確かにそうだった。覚えてるわ。その後、A太が心配で私が部屋を出て行った」

「そうです。A子さんはA太さんの様子を見に行き、その後C也さんと一緒にこの部屋に戻ってきた。ですよね?」

「ああ。俺が風呂から上がったところ、A子がちょうど廊下にいたんだ」

「その時、C也さんはA太さんの様子を確認しましたか」

「したよ。酔っ払ってぐったりしてた感じだったな」

「なるほど。分かりました」

 それからA子とC也がふたりでこの部屋に戻ってきたのだ。その後、廊下からB美の悲鳴が聞こえ、事件が発覚するのだった。

「この時点で、ぼくとC香さんはこの部屋から出ていないため、犯人ではない、として構わないですね」

「えー。お酒に毒盛ってたら、この部屋にいたとか、いないとか関係ないんじゃないのぉ?」

「ええ。確かにその可能性もあると思います。ただ、今回A太さん発見時に、塩素ガスが発生していたと思います。ですよねC也さん」

「あぁ。あれは塩素ガスだ。間違いない」

「つまり、凶器は塩素ガス、となりますね」

「塩素ガスってそんな簡単に作れるものなの?」

 あのツンとした刺激臭は確かに塩素のような気がする。ただ、どうやったらガスが発生するのか、私には分からなかった。

「それは簡単だ」

 C也が説明してくれるようだ。

「覚えてるか? 高速道路での会話。三塩化窒素の話だ。塩素入りのプールの水に、アンモニア入りの尿が混ざることで毒性を持つ話。原理はあれと同じだよ。強酸性物質に次亜塩素酸ナトリウムが混合することで塩素ガスが発生するんだ」

「よくわかんなぁい」

「つまり――、アルコールや胃酸の含まれた嘔吐物に、トイレの漂白洗剤を混ぜると、塩素ガスが発生するということなんだよ」

「まぜるな危険、ってこと?」

「そう。それです。それが凶器の塩素ガスです」

「しかも塩素ガスってのは、最悪の場合、死に至るほど有害なガスなんだ」

 一体、誰がそんなことをしたのだろう。

 嘔吐物に液体洗剤を垂らし、塩素ガスとなるのを待つだけなので、風呂に入っていたC也、先に寝ると言ったB美、そしてA太を見に行ったA子、誰もができる方法なのだ。

「ただ、このままではトイレ内の塩素ガス濃度が濃くなることはありません」

「二十四時間換気システムか」

「そうです。ここのトイレはスイッチのオンオフ関係なく、二十四時間換気システムが稼働しています。このままでは塩素ガスは換気されてしまいます。なので犯人はシステムを停止させたのです」

「それでブレーカーってわけね」

 ようやく私も話が理解できてきた。

「はい。しかも犯人は二度、ブレーカーを落としています。一回目は恐らくトイレの漂白剤を垂らした直後、二十四時間換気システム用のブレーカーだけを落としました」

 トイレとお風呂は昨年リフォームしたため、新しくつけた二十四時間換気システムは独立した電源を取っていたようだった。

「そして二回目は二十四時間換気システムが停まっていることを隠すために、家全体のブレーカーを落としました」

 私がB作とキッチンにいた時に聞いた「チン!」と言う音。あれはトースターの音で、恐らく同時間に電子レンジや電気ケトルのスイッチも入れられたのではないか、とB作は推理した。

 そしてB作がブレーカーを見に行った時に、メインのブレーカーが落ちている他、二十四時間換気システムのブレーカーも落ちていたため不思議に思ったそうだ。

「ちょうどブレーカーの下にある下足箱が濡れていたのです。ぼくはこれで犯人が分かりました」

「いったい、誰が……」

「背伸びしてもブレーカーに手が届かなかったのでしょうね。だから傘の柄を使い、ブレーカーを落とした。その際、雨で濡れた水が下足箱に落ちたのでしょう。そうですよね、この中で一番背の低い――……」

 B作はゆっくりと全員の顔を見回す。私もB作の視線を追う。そして彼は言った。

「A子さん。あなたですね」

 一瞬、耳を疑った。A子が犯人? まさか。

「……そう。隠してもしょうがないわね……」

 A子はあっさりと罪を認めた。

「A太が悪いの。それからB美、あんたもよ……」

 A子はA太が心配でトイレに行った際、便器を抱え込むように座っていたA太に、「大丈夫?」と声を掛けたそうだ。すると、「大丈夫だって。絶対バレないから」と意味不明なことを言ったそうだ。

 さらに「バレないって何が?」と尋ねると。「おまえと浮気していることだよ。言わせんなよB美」とあっけらかんと言ったらしい。

「その一言ですべて崩れ落ちたわ。気づけば手元にあった漂白剤を嘔吐物にかけて、二十四時間換気システムのブレーカーを落としてた。運が悪いのか良いのか、ちょうどC也が風呂から出てきたから、二人でA太の状態を確認してアリバイを作ったの。後はB作が推理したとおり。自殺か事故に見せかけようと思って……停電させて、すべてのブレーカーが落ちれば二十四時間換気システムが停まっていた事実を消せると思っていたんだけど。メインのブレーカーしか落ちなかったのね……。仕方ないわね、そこまで考える余裕なんてなかったから」



 ◆

 こうして大学生活最後の夏休みは私たちに深い傷を残して終わった。A子は殺人未遂として逮捕。A太は一命は取り留めたが、しばらく病院通いだそうだ。B美もA太との関係を清算したそうだった。

 それから、B作とふたりきりになった時、B作が言った「好きな子のタイプ」の話。「ぼくは……」と言いかけたその続きが知りたかったけれど、こんな状態のため訊けていない。



おわり

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