トイレ下の物語

 マンホールの蓋が開いていたらしく、よそ見して歩いていたら、見事に穴の底へ真っ逆さまに落っこちてしまった。幸いうまく着地出来たため怪我はしていない。それにしても、なんとも情けないことだ。

 見上げると、ぽっかりと開いた穴から明るい空が見えた。ふわふわの雲が右から左にゆっくりと流れている。

 円柱状の壁面には簡易的な鉄ばしごが設置されている。あれを使えば地上に出られるのだが、それすら高くて届きそうにない。

 足下には足がすべて浸かるほどの水が溜まっている。

 暗くてよく見えないが、茶色く濁っている。そして強烈な臭いが鼻をつく。腐った卵のような臭いだ。


 どうやらここは汚水管のようだ。町内の集会所で長老が話をしていたことを覚えている。

 下水道には、ふたつの種類があるそうだ。

 ひとつは、雨水や地下水などの自然現象による水を集めた「雨水うすい」、もうひとつは、トイレから排水される屎尿しにょう、台所や洗面所、風呂場から排水される雑排水といった人間の生活によって出された生活排水を集めた「汚水おすい」だ。

 雨水と汚水は、混ざり合わないように別々の下水管を通して処理される。分流式と言うそうだ。雨水はそのまま海に排水されるが、汚水は遠くにある「下水処理場」という施設に送られ、綺麗な水に変えてから海に排水されるのだ。


 長老が言っていた。この町の地下には、下水道が縦横無尽に張り巡らされ、それらのおかげで綺麗な水が循環しているのだと。集会所の飲み水もそうなのだ。



 汚水管には通れるほどの大きさの横穴がふたつ開いていた。汚水は、片一方の横穴から出てきており、もう片一方に流れていっているようだ。

 ここに居ても地上に上がれそうにないので、出口を求めて、横穴を進むことにした。

 汚水の流れと同じ方向に進む。横穴は真っ暗だ。先ほど居た場所から、地上の明かりが届いているが、数メートル進むと、その明かりも頼りにならない。いくら夜目が利くといっても、ほとんど見えない状態だ。

 水の流れる音を頼りにゆっくりと進む。汚水管は微妙な勾配がついているようで、汚水は停滞することなく流れている。

 所々で、脇からも水が流れる音が聞こえる。おそらく、地上にある各家庭から出た排水が合流しているのだろう。

 脇の穴から出られないか探ってみたが、穴の大きさが小さくて入れそうになかった。

 さらに奥に進んでいくと、チュウ、チュウと聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。

 ネズミだろう。ネズミは突然の訪問者に驚いたように鳴き声を出しながら走り去っていく。その音を頼りに追いかけた。

 ネズミを追えば、出口に繋がっているだろうと思ったからだ。

 しかし途中で見失ってしまった。よだれが出るほどの貴重な存在だったのに。


 それからさらに奥まで進んできたが、いっこうに出口は見つけられない。その上、暗さと臭いで気がおかしくなりそうだった。

 引き返そうにも、ここまで来るのに、いくつもの分岐があったため、もう先ほどの場所に戻れる自信がない。突き進むしかないのだった。



 しばらく歩いた後、突然、耳が張り裂けそうな巨大な高音が辺りに鳴り響いた。何かを切断しているような人工的な音だ。下水道内が小刻みに振動する。

 辺りを見渡すと、来た道が真っ白く光り出した。眩しい。瞳孔が一気に細くなる。

 出口かもしれない。光る方へ走りながら、「助けてくれ」と叫んだ。

「おいっ! なんかいるぞ!」

 良かった。気がついてくれたようだ。










「にゃーん!」

「おーい。こんなところに子猫が迷い込んでいるぞ」

「にゃーんっ! にゃーんっ!」

 オイラは必死に鳴く。排水管の穴の大きさが小さすぎて人間は入れないようだった。

 懐中電灯で中を照らしながら、一人の人間が手を差し伸べる。

 オイラはその手に導かれるように人間に近づくと、人間はオイラを抱きかかえてくれた。

「よくこんな狭いところにいたな。もう大丈夫だぞ」

「どこから迷い込んだんだろな。かわいそうに」

「いやあ、硫化水素ガスにやられなくて良かったナァ」

「ネズミでも食べて生きてたんか?」

「飼い猫か?」

「いや、ノラだろ」

「開削工事で良かったよ。非開削だったら救出できないもんな」

「おい、誰か子猫洗ってやってくれ」

 工事が中断され、人間たちがオイラを覗き込みながらいろいろ話している。

 オイラは、抱きかかえられたまま、地上へ運ばれた。

 地上はもう夜だったが、太陽のように明るい光の玉が二つ輝いていて、周りは昼のように明るかった。

 そこで、工事の看板を目にした。人間の文字は読めないが、「公共下水道管渠かんきょ布設工事に伴い、交通規制を下記の通り実施します」と書かれていた。

 オイラは冷たい水を思いっきりかけられ、身体を洗われた。水嫌いだが、こんなにも気持ちが良い水浴びは初めてかもしれない。臭いが一気に取れた。

 

「じゃあな、元気でな」

 オイラを洗ってくれた人間が、脇道にオイラを降ろす。

「にゃあん」

 オイラはお礼を言って、その場を後にした。

 大きな音を立てて、工事は再開していた。

 下水道内を結構歩いたと思っていたが、ここは見慣れた土地だった。

 そう、この先には集会所「第二児童公園」がある。集会所にいって水飲み場にある美味しい水を飲み、長老に下水道冒険記を話そう。

 オイラは集会所に向かって走った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る