会いたい会いたい会いたい

 マンションのエントランスがオートロックだからって少し甘く見ていたかもしれない。あの女の性格なのだから、もう少し警戒しておくべきだった。


 今から4時間も前、21時過ぎにインターホンが鳴った。こんな時間に誰だろうと、備え付けのテレビモニターを見ると、あの女が立っていたのだ。

 驚いた。まさか本当に来るとは思ってもなかった。……いや、思いたくなかった。彼女との関係はもうとっくに終わったのだった。

 広角レンズのカメラに映った女は、マンションのエントランス前で白い歯を見せながらニコニコ笑い、カメラに向かって何か話していた。

 応答モードをオフにしているので声は聞こえなかったが、口の動きを見ると「あけて、ここあけて」と繰り返しているのが分かった。

 当然、「解錠」ボタンを押すことはしなかった。しばらくモニターで様子を見ていると、女は諦めたように帰って行ったのだ。


 部屋に戻り、携帯電話を手に取った。あの女とのメールのやりとりを見る。


 ――会いたい

 ――会いたい

 ――どうして無視するの

 ――会いたい

 ――そう。分かった

 ――さよなら


 彼女からの一方的なメッセージで終わっていた。日付は4ヶ月前。

 彼女と付き合っていたのはもう半年も前の話だ。彼女の方から告白してきて付き合うようになり、俺の方から別れを切り出し、別れた。彼女とは2ヶ月の短い付き合いだった。

 整った綺麗な顔で、艶のある長い髪、スタイルも良く、胸もそこそこあった。そんな子から告白されたら、「はい」と言わないわけがない。

 そうやって付き合い始めたのだったが、彼女は束縛が非常に強かった。告白した当日から俺の家に同棲するようになった。

 彼女はべたべたと身体をくっつけてきては「あたしのこと好き?」と訊いてくる。

「好きだよ」と答えると、「あたしも好き」とキスを求めてくる。

 初めのうちは嬉しかったが、執拗に繰り返してくる行為に次第にうんざりしてきたのだ。

 彼女はどこへ行くにもついてきた。風呂に入れば、一緒に風呂に来るし、トイレに行けばトイレの前まで来る。なかなか出てこないと「まだなの? なにしてるの?」と扉を叩く。

 男友達と遊びに行こうとしても「女じゃないの? あたしも行く」と付いてきて、仕事に行っても「本当に仕事? あたし近くで待ってる」と仕事が終わるまで待機している。

 最終的には俺が浮気をしているのではないかと疑うようになった。

 そんな状況に嫌気がさして、別れを切り出したのだ。


「浮気なんかしてない。疑うのはよしてくれ」

「じゃあ、証明して」

「こんだけお前といるのにどこに浮気する時間があるんだよ」

「夜寝てるときにこっそり出かけてるんでしょ」

「お前馬鹿だろ。そんなわけあるか」

「あたしのこと嫌いなの?」

「ああ。もう別れよう」


 確か、そんな会話だったと思う。そうやって4ヶ月前に半ば強制的に別れたのだ。

 家から出て行ってもらった後も、しばらくはメールで「あなたが良ければやり直したい」、「疑いすぎてごめんなさい」と反省と謝罪のメッセージが届いた。

 俺も「ごめんな、もう無理だ」とか「俺も疑わせるようなことしてたんだろな、ごめんな」と優しく返していたが、延々と続く謝罪と反省に、やはりうんざりし無視するようになった。


 ――どうして無視するの

 ――会いたい

 ――そう。分かった

 ――さよなら


 そして4ヶ月前のメッセージを最後に彼女とは終わった。終わったはずだった。パタンと携帯電話を閉じた。


 すると突然、バイブが鳴り、新着メッセージを受信した。



 ――会いたい



 一瞬、あの女からかと思ったが、差出人を見て安堵した。今の彼女である。

 今の彼女とは先月から付き合い始めている。あの女との関係が終わってから出会ったので決して浮気ではない。


 ――今から行こうか?


 そう、返信した。


 ――うん、大丈夫。ちょっと寂しくなっただけ

 ――そっか

 ――あたしたちいつでも会えるしね。おやすみ


 今の彼女は束縛をしない。お互い良い関係でやって行けている。俺も「おやすみ」と返した。

 時刻を見ると、深夜1時を回っていた。あの女はあれから来ていない。どうやら諦めてくれたようだ。


 寝る前にトイレに入り、用を足す。今の彼女からもらったメールをぼんやりと思い出す。

 あたしたちいつでも会える……あたしたち……

 今の彼女は、自分のことを「わたし」と言う。

 「あたし」というのは……、あの女だ。

 やばい。彼女が危ない。彼女の家に行かなくては。

 俺はトイレから出ようとした。


 すると、玄関に鍵が差し込まれる音がした。


――ガチャリ


 咄嗟に隠れた。暗くて狭いが、隙間から部屋の様子が窺える。

 

 あの女が部屋に入ってきた。なぜだ。あの女からは合い鍵は返してもらったはずだ。

 にやにや笑いながら、目の前を通り過ぎ、部屋に入っていく。

 危ない。見つかってしまっては面倒なことになる。


「あれぇ? いないのぉー?」


 あの女が部屋を歩き回っている音が聞こえる。こんな所に隠れていてはすぐに気がつかれてしまう。チャンスを見つけて外に逃げだそう。


「ねぇ。いるよねぇ?」


 ドンッ、と大きな音がする。部屋のクローゼットが開けられた音だ。


「いないなぁ。……ここかなぁ?」


 バタンッ。

 トイレ横の扉が開けられた。風呂場だ。


「おかしいなぁ」


 やばい。近づいてくる。


「じゃあ、ここかなぁ」


 あの女はトイレの扉を開けた。

 ドンッ。









「あれぇ? いないなぁ」



 このまま帰ってくれ。お願いだ。

 俺は風呂場とは反対側の、トイレ横の小さな納戸スペースに隠れていた。

 お願いだ。帰ってくれ、このまま……。



























「みぃーつけた」


 納戸を開けたあの女がニタニタと笑っていた。


「連絡がないから心配してきちゃった。やっと、会えたね」


 あの女の手には包丁。そしてもう片方の手には今の彼女に渡したはずのキーホルダー付きの合い鍵。



「あたしたちいつでも会える、死ね。おやすみ」



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