日雇い派遣
ぼくは、ぼくの人生で初めての新横浜駅に降り立った。
集合時刻は朝8時。集合場所は、新横浜駅から歩いて5分の場所だ。現地集合だった。
メールには「8時から作業開始、遅刻厳禁」と書いてあった。
だが、もうすでに15分も遅れてしまっている。朝早いからって寝坊したわけじゃない。
いつもより早く起きて、いつもより早く家を出た。普段は大学と自宅の半径5キロが生活圏内、それからせいぜい大宮に遊びに行く程度の埼玉県在住のぼくが、東京を飛び越えて、神奈川に足を運ぶことなど今までなかったのだ。
慣れない電車の乗り換えに手間取ってしまったのだ。
ぼくは急ぎ足で指定された場所に向かった。
大通りを抜けると、すぐに静かな住宅街となった。目的の場所にはすでに白いトラックが正面を向いて止まっていた。運転席には誰もいない。
トラックの側面に企業ロゴが大きくプリントされていると思ったのだが、そこには何もなかった。あるのはどこかで擦ったような
トラックの背面に回り込むと、荷台の扉が開いており、中に男がいた。
ぼくと同じくらいの年で、だっぽりとサイズが合っていない青い繋ぎ服を着ている。貧弱そうだ。ぼくも人のこと言えないけど。
「お、おはようございます」ぼくは彼に向かって挨拶をした。
彼は状況を把握したようで、「会社の人、向こうにいます」といって、斜め上を見た。
そこには白と黒のハイセンスな壁面のデザイナーズマンションが建っていた。2階の廊下には青い繋ぎ姿の男が見えた。
「あ! あの、これに着替えてと言ってました」
ぼくがマンションに向かおうとしたところ、彼はトラックの荷台に転がっている青い繋ぎ服を指さした。
ぼくはトラックの荷台に乗り込み繋ぎ服に着替えた。着替え中、彼や外から見られていないかドキドキした。
「おはようございます。遅れてすみません」
「ああ。さっそく、そこにある段ボールを下に運んで。作業が遅れてる」
男は挨拶も疎かに指示を出した。男の顔は笑顔だったが、目が笑っていなかった。きっとお客様の手前、営業スマイルだったのだろう。
『おう。いいからそこにある段ボール運べや。お前のせいで作業が遅れてるんだ』と言われているような苛立ちと怒りを感じる目つきだった。20分も遅刻したぼくが悪いのだ。
開け放されている玄関の扉からは、ワンルームの部屋の奥で、若い女性が荷造りをしているのが見えた。
ぼくは学費のために、講義のない午後や休日に日雇い派遣の仕事を行っている。仕事内容は様々だ。県内の物流倉庫での梱包作業、主要道路の交通量調査、化粧品メーカーのサンプル品袋詰めなど。
そして今日は引っ越し作業である。力仕事は極力避けていたのだが、日給に惹かれ応募したのだった。
マンションの廊下には段ボール箱が3箱積み重なっていた。
「早く運んでー」
もたもたしていたら急かされてしまった。男は2段重ねになった透明な衣装ケースを軽々しく運んでいく。
ぼくは段ボール箱を一つ抱えて階段を降りる。1階の廊下で、男とすれ違った。後ろにはぼくと同じ派遣の彼がついてきていた。
やはり引っ越し作業には向いてなさそうな気弱そうな感じだ。ぼくも人のこと言えないけど。
「今日、この後2件回んなきゃいけねぇんだ。急ぐぞ」
男はそう言って、段ボールをたくさん持てる持ち方を教えてくれた。
「無理して落とすんじゃねぇぞ」
それからぼくと派遣の彼はひたすら段ボール箱を運んだ。
段ボール2箱。段ボール2箱。段ボール3箱。
3箱持てた時は嬉しかった。廊下で男とすれ違う。男は冷蔵庫を軽々しく1人で運んでいく。やはりプロは違う。
段ボール2箱。段ボール2箱。衣装ケース。
男はトラックの荷台で段ボールを受け取り、横にも縦にも隙間なくぴったりと詰め込んでいく。
液晶テレビ。段ボール1箱。空気清浄機。腕に力が入らなくなってくる。
派遣の彼は、扇風機や炊飯器、段ボール1箱に傘立て。なんだか軽いものを選んで運んでいる気がする。
ぼくはさらに衣装ケース。衣装ケース。段ボール3箱・・・・・・。
一体何往復しただろうか。
「おーい、ちょっと手伝ってくれ」
男は洗面所で洗濯機を取り外していた。狭いスペースに収まっている洗濯機は、壁に当たらないよう2人で連携しながら持ち運んだ。
洗面所から出してしまうと、あとは男がひょいっと持ち上げていった。
ぼくは洗面所にあった蓋の開いている段ボールを持って行こうとしたら、「あ。それは掃除用具なので、運ばなくていいです」と家主の女性に止められた。
ようやくすべての荷物を運び終わり、ぼくたちは10分ほど車に揺られ、引っ越し先へと移動した。
引っ越し先は2LDKの広さで、感じの良い若い男性が迎えてくれた。先ほどの女性はまだ着いていないようだ。
目的地に着くと休む間もなく、荷下ろしが始まった。ついさっきトラックに載せた荷物を、今度はひたすら部屋に運び込む。
洗濯機。掃除機。段ボール2箱。衣装ケース。衣装ケース。
やはり派遣の彼は、ぼくよりも仕事をしていない。
段ボール3箱。ステンレスラック。段ボール3箱。段ボール2箱・・・・・・。
「ありがとうございました」
荷物を運び終わり、若い男性に挨拶をした。
「これ、よろしければ皆さんで」
若い男性は缶コーヒーを3つ、ぼくに手渡した。最後まで女性は来なかった。
トラックに戻り、派遣会社へ提出する出勤シートを男に渡す。
「そうか。君はここまでか」
ぼくは午前中だけのシフトなのだ。
男が出勤シートにサインをする。5段階評価の出勤態度は「ふつう」に丸がついた。
結構、頑張ったんだけどな、少なくとも同じ派遣の彼よりは働いた、と内心思った。でも、仕方がない。ぼくの遅刻で作業が遅れてしまったのだから。
男はこの後、2件作業があるそうだ。派遣の彼も最後まで同行するのだろうか。
ぼくはもう腕も足もへとへとだった。
「遅れてすみませんでした」そう言って、トラックを降りた。
引っ越し会社のロゴもプリントされていないどこにでもあるトラックは、大きな音を立てて走り去っていった。
街で見かけても、何のトラックだか分からない。
ぼくは最寄りの駅に向かって歩いた。
駅のトイレに入り、小便器に向かった。黄色い尿が勢いよく飛び出した。
「ふぅー」
肩の荷物が降りた瞬間だった。
トイレから出ると、ぐーっとお腹が鳴った。
牛丼でも食べに行こうか。
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