あの子は猫になれない

「ただいまぁー。ごめんね遅くなったね」

「にゃぁ~ん」

 トコトコトコと、猫のティーナが玄関先まで迎えに来てくれた。足の周りをすりすりしてくれる。

「ちょっと待ってね、今あげるからね」

 今日の朝、ごはんをあげ忘れてしまったのだ。あたしは急いで台所の脇に置いているキャットフードの入ったケースを開けた。スコップで多めにドライフードを取り、隣に置いてあるステンレス製のお皿に入れる。カラカラカラと音が鳴った。

 いつの間にかお皿の前でちょこんと座っていたティーナが、「待ってマシタ! ご主人サマ」とばかりに「きゅーん」と鳴き、ガツガツガツと食べ始めた。よっぽどお腹を空かせていたのだろう。悪いことをしてしまった。

 ティーナは茶トラのアメショーだ。あたしが大学進学で上京した時に実家から連れてきたメス猫だ。高一の時に飼い出して、今年で9歳になる。もうだいぶおばあちゃんだ。

 あたしは部屋着に着替え、トイレを済まし、手を洗い、ベッドに倒れ込んだ。

「ふぅ。疲れたぁ~」

 ティーナはごはんを食べ終わり、ベッドで毛繕いをしている。

「聞いてティーナ」

 ティーナは一瞬だけ、毛繕いの動きを止め、こちらを見た。そして何事もなかったかのように毛繕いを再開した。

「またあの子のミスしたところ、あたしが直したのよ」

 仕事場の同僚がミスをしたところを直していたため、帰りが遅くなったのだ。

「あの子、直しもせずに帰っちゃうんだもん、ホントやんなっちゃう」

 ティーナはあたしの横にきて、ころんと寝っ転がった。

「ティーナはいいこね」

 背中を数回撫でると、ぐるるると喉を鳴らす。

「ん……? なんだか、おしっこ臭いわね」

 部屋中に猫のおしっこの臭いが充満している。立っている時は気がつかなかったが、こうしてベッドに横になり低い位置にいると、臭いが流れてくるのが分かる。

 強烈なアンモニア臭が鼻につく。常時、空気清浄機をつけているが臭いが取り切れていない。

「よっこいしょっと」

 ベッドから起き上がり部屋の隅にある猫のトイレに向かった。

 フード式トイレの中を覗くと、手前に大きいモノが、奥には湿った猫砂があった。

 スコップで大きいモノを取り、ポリ袋へ入れる。

 次は尿だ。猫砂はペレットと呼ばれる木材チップを固めたものを使っている。猫に安全で消臭力も優れているのだ。

 ペレットは尿を吸うとおが屑のように粉々になる。それをスコップで平し、すのこ状の床下に落としてやる。

 じゃらじゃら、じゃっ、じゃっ。

 すのこの下にはトイレシートがあり、そこで尿は吸収されるのだ。

 最後に消臭スプレーをかけて完了だ。 

「よし、と。ティーナ、トイレ綺麗になったよ」

 ティーナは丸くなってすぴすぴと寝息を立てている。ごはんを食べて満足したのだろう。

「かわいいなぁ」

 あたしはティーナの横にそっと戻った。


「……あれ?」

 アンモニア臭が消えていない。猫のように鼻をくんくんとしながら臭いのする場所を探す。

 するとある1ヶ所からキツい臭いが放たれているのが分かった。ベッド下だ。

「え、やだ。もしかして……」

 すぐにベッドの位置をずらし確認した。資源回収に出す雑誌の束やスリッパ、使わなくなった古いクッションが置いてある。

 黄色いクッションの上が濡れている。

「え、やだ。ティーナ、ここでしたの?」

 声に驚きティーナが起き上がった。

 そっと臭いを嗅ぐ。

「うっ……」

 ここだ。濡れたクッションを持ち上げると、たっぷり水分を含んで重たい。さらにフローリングまでばっちり濡れていた。

「もう……。どうして、こんなところでしたの?」

 ティーナはそばに来てクッションの臭いを嗅いでいる。

「こら。ダメダメ」

 キッチンからゴミ袋を持ってきて、クッションと床の尿を拭き取ったティッシュを入れた。もともと使っていなかったし、捨ててしまおう。

 フローリングからはまだ強烈なアンモニア臭がする。猫は自分のおしっこの臭いがする場所がトイレだと思うのだ。フローリングについた臭いを取らないとまたここでしてしまう。

「どうして、こんなところでしたの」

 きっと怒ったんだ。朝、あたしがごはんをあげ忘れたから、その腹いせにこんなことをしたんだ。

 ティーナはあたしの横にちょこんと座り、首をかしげ不思議そうな目で見ている。

「ごめんね……」

 猫のおしっこの臭いはなかなか取れない。またベッドの下でしないようにしっかりと臭いを取る必要がある。

 あたしはインターネットで調べて、可能な限り掃除をした。ドライヤーで温める方法、柑橘系の皮をこすりつける方法、酢水をかける方法。

 1時間近く掃除をした。完全に取り切れたわけではないが、今は酢の匂いの方が強い。これはこれで不快だが、またされるよりましだろう。

 ふと、ティーナを見ると、お腹を出して気持ちよさそうに寝ていた。

「かわいいなぁ」

 その寝顔を見ると、なんだか1日の疲れが吹き飛んだ。

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