第20話 隣室の声は響く

時間は過ぎ行く定めを忘れてしまったのか、それともこの部屋の中だけなのか。

その言葉を私——朝野真紀に発してきた会長も、私の言葉を待つ様にその場から一ミリたりとも動かない。同様に、今の今までワイワイ騒ぎながら鞄の中にしまっていた日用品を取り出していたココアと朱路さんも動かしていた手を止めて、こちらに顔を向けている。

恐ろしく思えるほどにこの部屋は一瞬にして静寂に包まれてしまった。

まるで、この瞬間——この部屋の時間は止まっていると錯覚させるほどに。

こんな状況に陥ったのは、少し前のたわいもない会話に遡る。


事前に送っていた荷物を受け取ると、私達はホテルのエントランスの端にへと集合させられた。不必要と思われるが、学院側からすれば必要事項を伝える為に不可欠なものらしい。

そうは言っても伝えられるのは、お風呂の使い方や、マナーをわきまえろと言う林間学校のしおりに書いてある事項だが。

先生達による伝令が終わると、私達は今から寝泊まりをする自室へと向かった。

スキーのシーズンで無いにも関わらずホテルの利用客が多い事に少し驚きながら、私は階段を登る。

私の前で階段を登っている他の男子グループはこの林間学校を余程楽しみにしていたのか、既に夕食を食べ終えてからの夜の自由時間の話をしていた。

そして、私は隣で歩いている彼に目をやった。彼は、他の男子達とは違って楽しみにはしていない様に見て取れた。まぁ、バスの中であれだけ色んな事があれば、先が思いやられる気持ちも分からなくも無い。その色んな事の内の一つは私のせいだが。


それ以外にも彼が楽しみに思えない理由は沢山あるだろう、と私は思った。まずは、このグループ分け。部屋分けにも用いられる大事な班だが、彼以外全員女子といういつ如何なる時も心が落ち着かないグループ分けにしてしまった。

それに、この林間学校には幾多もの親睦を深める事を旨とするイベントが企画されている。勿論、それらは私達生徒会が企画したものであるので、彼は既に理解しているが、そのどれもがグループの枠を超え、同じクラスの人や、他クラスの人とも協力しないと達成できないイベントも少しだがある。

彼は被害妄想が強いのか、自分が学院全員から嫌われていると思い込んでいる。やはり、あの事件がまだ彼の中では強く生き続けているのかもしれない。


私は横に向けていた視線を前に戻して、踏み外さない様一段一段確認しながら階段を登っていった。そうこうしていると、いつの間にか私達の部屋がある階——4階に辿り着いていた。


このホテルの部屋は、私が想像していたよりもしっかりとした作りとなっていた。

シングルベッドが頭側を壁向きにして両壁際に三つずつ並んで置かれていて、残りの一人にはソファベッドが置かれていた。

お風呂も人数が多いためか、玄関を入ってすぐ右にあるのと、もう一つ奥に設置されている。

クローゼットもちゃんと大人数が泊まっても大丈夫なほどの大きさで、これなら不慮の事故で服が濡れても乾かすくらいのスペースはあった。

このホテルには特に難癖をつけるところは無いと私は思った。しかし、その考えは安易過ぎた。やはり、部屋と言うのは生活してみないと分からないものだ。


その難癖に気づいたのは、私達が大きめの鞄から取り敢えず今必要な物を出している時だった。

「おい!あれ見たか?」

隣の部屋から声が聞こえてくる。声の大きさからして、そこまで大きな声を発していると言うわけでは無いと思う。しかし、間違いなく声は私達の部屋にまで届いていた。

そう、隣接する壁が薄過ぎたのだ。それこそ少しテンションが上がり、声が大きくなってしまうとすぐに隣の部屋の人に聞かれてしまうほどに。


隣の部屋からの声はまだ聞こえてくる。

「バカ!見たに決まってんだろ?俺だぜ?」

もう一人もテンションが上がったのか、先ほどよりも鮮明に聞こえてしまう。

「壁が薄いのかな?丸聞こえだよね?」

井上さんが、そう小さな声で話す。

やはり、皆んなにも聞こえているみたいだ。

「多分、そうですね。聞こえていると、隣の奴らに伝えてきましょうか」

そう言って、彼が立ち上がろうとした時だった、

「なになに?あっ!もしかして、学生グラビアアイドルの果穂ちゃんの写真集の事言ってんの!?」

彼の隣の部屋を見る目線が途端に睨みつけるものに変わる。その変化は長い間彼と共に過ごしていても恐怖を感じるものだ。


「修司さん、顔が怖いですよ?あれは関係ありませんから」

私は笑みを浮かべながら彼にそう話しかける。何時もは人前では使わない、修司さん、という呼び方で。

「え、俺怖い顔になってた?なんか、ごめんね」

彼は右手で頭を掻きながら、私に謝罪をしてくる。

「謝る必要なんてありませんよ。もうあれは過去の事なんですから、修司さんは気にしないでください」

「そ、そうだね⋯⋯ 」

彼は、そう言って隣の部屋に声が漏れている事を注意しに行った。


その直後、担任の先生が私達の部屋を訪ねてくる。

「おーい! 円谷と、杏樹はいるか?」

大きな声でそう言いながら部屋へと入ってくる。

「あたしはいるが、副会長様は隣の部屋に声が漏れている事を注意しに行きましたよ?何か用でしょうか?」

杏樹さんは、今まで鞄の整理をしていた手を止めて、先生の前まで歩いていく。

「あぁ、美化委員長のお前に女子しかいないグループの最初の見回りを頼みたいんだ。何分に皆んな浮かれているからな。何をしでかすか分かったもんじゃない。円谷を呼ぶのは、男子だけの部屋に女子であるお前を行かす訳にはいかないからだ」

先生は腕を組んで、堂々とそう話すと、よろしくな!という言葉を残して、私達の部屋を後にする。

杏樹さんは、「はぁー!面倒クセェ!」という言葉を残して隣の部屋に行った彼に先生に言われた内容を伝えるために、先生に続いて部屋から出て行った。


残ったのは、私と、井上さんと、浅田さんと、朱路さんと、ココアさん。

特に会話も起こる事も無く、着々と荷物整理 が終わっていき、五十分と与えられた時間の最初の十五分程でやるべきことが終わってしまい、私達はする事も無く、とりあえずテレビを点けて面白くもない番組を五人で見ていた。

そんな時だった。面白くもない番組が終わり、次の番組への繋ぎとして流れていたcmを無感情で眺めていた時。

井上さんが、私に話しかけてきたのだ。


「ねぇ、真紀ちゃん」

静かな声で私の名前を呼ぶ。

私はすごく嫌な感じがした、何か聞かれたくない事を聞かれるようなそんな感じが。

「なんでしょうか?」

「綺羅ちゃんがポツリと言った時から気になってたんだけど、しゅー君との出会いが屋上ってどういう事なの?」

私は、返答に少し困りながら、

「⋯⋯ どういう事もありませんが」

間が空きながらも私はそう答える。

「じゃあ聞き方を変えるよ。どうやってあの状況から、生徒会選挙で賛成票をあそこまで勝ち取れるところまで持って行ったの?」

「既に、井上さんなら知っているんじゃないのですか。私が直接話すこともありませんよ」

「噂程度なら知ってるよ。真紀ちゃんが、あの時内の学院の男子から絶大な人気を誇っていた学生グラビアアイドル——マキにそっくりで男子から嫌がらせを受けていた事くらいはね」

私の脳は昔の事を意識せずとも自然に思い返していた。

最悪の偶然。全く知りもしない無関係の人。その人が偶々グラビアアイドルをしていて、余り人気が出なくてだんだん露出が多い水着の写真が増えていく。そうすると、学院の男子の間に人気が出てきてしまって。

偶々芸名と名前が同じで。偶々顔が似ていて。

私は気が付けば、入学して少したった頃には男子のおもちゃとして位置付けられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る