第9話 私の想い人

雨雲が更に空を暗くし、いつもより早く道路の街灯は道路を照らしている。 そして、雨は俺が差す傘に降り続けている。雨に濡れないように、俺と朱路さんは肩が擦れ合うくらいの近距離で肩を並べて歩いていた。


「雨止まないわね」 朱路さんはポツリと呟く。 「そうですね」 俺はそれだけ応えると、右手で持っていた傘を左手に持ち替えた。 その光景を見ていた朱路さんは、傘を持っていた俺の左手に右手を重ねてくる。 途端に、今まで冷えていた俺の左手に熱が感じられる。 「ど、どうしたんですか? 急に」俺がそう言うと、朱路さんは、「別に。 冷たそうだから、あっためてあげようかと思ってね」 と、いつもの冷静さで応える。 俺は、それ以上何も——朱路さんの重ねてきた手が震えていた事も、伝えなかった。


特に会話も弾まず、傘を打つ雨音しか俺たちには聞こえず、ただただ朱路さんの家を目指して歩く。 何か話すべきか、と思ったが、これまで共に過ごした時間で頑張って話しかけていた為か、俺の頭には会話になりそうな話題は一つも浮かばない。 それは、朱路さんも同じらしく、うーんと小さく唸っては顔を小さく横に振っていた。


「あ、副会長! すいません、お待たせしてしまいましたか?」 二人で歩き始めてから、数分経った頃、朱路さんの帰り道に通る交差点の中では、一番大きい交差点に差し掛かった時、電信柱の街灯に照らされながら一人の女子が話しかけてくる——朝野さんだった。

「朝野さん? 貴女はここで何をなさってるのですか?」 朱路さんがいつもの調子の声に少し殺気を含ませた様な感じで朝野さんに問いかける。 しかし、朝野さんは朱路さんのことを見もせずに、「副会長。 ここまでで十分です。 あとは私が送りますので、今日のところは寮室にお戻りください」 と、今差している傘と、それとは別に左手に持った傘を俺に見せながら、朝野さんは言ってきた。 ここで、変に家まで送ることに固執すると変かな、と考えた俺は、「そう? それじゃ後はお任せするよ。 朱路さんも、同性と一緒に帰るほうが会話も弾むでしょ?」 と、朝野さんの提案に乗っかった。 朱路さんはあからまさに不機嫌になったが、「分かったわよ⋯⋯ 。 本当、分からない人」と言うと、朝野さんから傘を受け取り二人で帰路についた。


俺が、二人と別れて寮に戻った時には既に夕食時となっていた。 その為、寮内に存在する食堂は腹を空かせた人で賑わっていた。 いつもの俺だったらその賑わいの中に身を投じるが、今日は何だか一人でいたい気分だったので、そのまま寮室にへと戻った。


寮室に戻った俺を最初に驚かせたのは、 机の上に放置しておいた自分のスマホだった。 一回スクロールしただけでは一番下まで辿り着けない程の通知は、朝野さんからの電話だった。 それを見て心配をかけてしまったと思い、その通知を全て消去してから朝野さんの連絡先から通話のボタンをタップした。


プルル、プルル——。 電話のコール音が鳴り響く。 しかし、相手は電話を取ることは無く、そのまま留守番電話に繋がってしまう。 もしかすると、まだ朱路さんを家まで送っているのかも、と思った俺は取り敢えず電話の事は置いといて、まずこのすっからかんになった胃に何か入れようと、キッチンへと向かった。



私——朝野は、既に朱路さんの家に着いていた。 着いてはいるけど、まだ朱路さんとは別れていなかった。 朱路さんの家の前で、二人は険悪な雰囲気を漂わせていた。

「今日のはどういうことですか? 朱路さん」 その雰囲気の中、口を開いたのはまず私。 「あれ、とは何のことですか?」 「とぼけないでください。 駄菓子屋の中での事です」 茶化そうとする、朱路さんを逃すまいと私は質問を重ねる。 「覗き見ですか? 余り良い趣味とは言えませんよ」 朱路さんは余裕の笑みを浮かべて、そう応える。 くっ、この朱路さんの表情は苦手だ。 何を言っても全て流される感じがしてくるから。 しかし、今日はそんな事を言ってはいられない。


「あの時、朱路さんが彼にした善行をダシにして⋯⋯ 。 恥ずかしくないのですか?」 「えぇ。 全く恥じてはいません」 朱路さんは、すぐにそれを肯定する。 やりにくい事この上ない。 「それに、私に任せてくれてたら、朱路さんが今田さんに手を出す事も無かったのに」 私がそう言うと、朱路さんは急に調子を変えてきて、「はっきり言ったらどうです? 自分がやられた事のない事を、やられて悔しい、と。 それを遠回しに、遠回しにして⋯⋯ 。 そちらの方が言っていて恥ずかしくないのですか? 今、朝野さんが言っていることは、ただの嫉妬ですよ?」 と私の顔から視線を晒さずに話してくる。 「それこそ、全く恥じてはいません。 朱路さんに、私が嫉妬している、と思われても私は特に何も変わったりしませんから。 でも、引く気はありません。 例え、朱路さんが私より先に彼を口説いたら、私は朱路さんから彼を奪います」

そう言うと私は朱路さんに貸していた傘を受け取ると、自分の帰路についた。



祐奈ちゃんの家の前、祐奈ちゃんと真紀ちゃんがある人を巡って口論しているのを聞いてしまった。 別に立ち聞きするつもりは無かった。 ただ、一緒に帰っていた時に急に、忘れ物をした、と言って逆走し始めた祐奈ちゃんが心配になり、家に向かった所、不穏な気配を漂わせる二人を見てしまったのだ。そこで、何も聞かないうちに帰れば良かった、と今の私は思った。 あの二人が誰かに想いを寄せているのは何となく気付いていた。 でも、それが⋯⋯ それが⋯⋯ 。 私の想い人と一緒だなんて⋯⋯ 。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る