第8話 冷えきった身体


雨に打たれ枝についていて桜の花びらが、道路に出来た 水溜りの上に浮かんでいる。 そして、依然雨が止む気配はない。 俺は、道端の水溜りを気にせず走り抜け、駄菓子屋目掛けて走っている。 片手で傘を差しているせいか、いつもよりも速度が出ない。 俺の焦る気持ちばかりが加速していっていた。


そうして走っていき、ようやくあの交差点が視界に入ってくる。 ラストスパートと言わんばかりの、最後の力を振り絞り俺は駄菓子屋へと入っていった。 駄菓子屋の中は、ガランとしていて、ただ壁時計の針の音だけが店内を木霊している。 雨のせいで、いつもは 小学生などで賑わっているこの駄菓子屋も客は来ていないみたいだった。朱路さんの姿も見えなかった。 俺が店内でウロウロしていると、奥からこの駄菓子屋の店長の、歳の割に元気なお婆ちゃんが出て来る。


「いらっしゃい。 何か探し物かい?」 お婆ちゃんは、俺にそう問いかける。 「いえ、そういう訳では無いのですが、少し前にここに女子高生が入って来ませんでしたか? 雨宿りの為に」 俺がそう返すと、お婆ちゃんはクスッと微笑し、俺の顔をじっと見つめた。 そして、「あぁ、来たよ。 雨に打たれて寒そうにしてたから、いまお風呂に入れてるんだ。 しかし、驚いたよ。 あの子がね、多分私と同い年の男の子が追いかけてくると思います、って言ってたもんだから」


お婆ちゃんはそう言うと、俺にレジの前に備え付けられた椅子に座るよう促し、お茶を入れて来てあげるよ、と言って再び奥に姿を消していった。 そんな事はさておいて、「まさか、朱路さんが言っていたっていう男子って俺の事⋯⋯ ? 俺が追いかけて来ることを確信していた辺りからして、もしかして、俺って朱路さんに信頼されてる⋯⋯ ?」

という、淡い期待を一瞬抱いたが俺はすぐにそれを頭の中で否定した。 生徒会役員の人にあそこまでの迷惑をかけた俺が、信頼されてるなんて⋯⋯ 。 とんだ、妄想話だ。


そこまで考え終わると、奥から誰かがこちらに歩いて来る音が聞こえてくる。 お茶を持ってくる、と言ったお婆ちゃんだろう、と俺は思い何の警戒もせずに後ろを振り返る。 俺が振り返った先には——朱路さんプロデュースの絶景の花園が広がっていた。 お風呂上がりで、綺麗な髪がまだ半乾きで少し濡れている感じ、お婆ちゃんの服を借りたのであろう、サイズが合っていない服を着ている為に、大事な所はきちんと隠れているが、肩の肌などははだけて綺麗な肌色が露わになっている。 そして、運んできたお茶から出ている湯気が何とも言えない良さを出していた。


「き、綺麗です」 俺は思わずそう呟いていた。 美しさの余り息を呑むという現象を俺は初めて身をもって経験した瞬間だった。 「あんまりジロジロ見ないでよ。 恥ずかしい」 そう言いながら頰を赤らめる朱路さんは、レジの机に熱々のお茶が入った二つのコップを置くと、俺の隣の空いている椅子に腰かけた。 「熱いから気をつけてね、ってお婆ちゃんが言ってたわ」 朱路さんは、そうコップに目線をやったまま呟く。 「分かりました、って熱っ!!!!」 予想以上の熱さに驚かされ、俺は思いっきり叫んでしまう。 やばい、フゥーフゥーしたのに舌を火傷してしまった。 「だから、気をつけてって言ったのに、もう。 おっちょこちょいなんだから」 そう言ってハニカミながら朱路さんは、俺の頭をコツンと叩いた。


そうして、二人でゆっくりとお茶を飲み、二人だけの時間が流れる。 今更だが、こんなに長時間朱路さんと二人きりになったのは初めての事なのでは、と俺は思う。 朝野さんとならこれくらいの長時間仕事上の関係などで一緒にいる事は多々あるが、帰り道も違い、役職的にも二人だけで仕事することは無い朱路さんなので、新鮮さを覚えていた。


「何で追いかけてきたのよ」 半分以上お茶を飲み干したところで、朱路さんが未だその力を緩めない雨の振り方を見ながら尋ねる。

「雨が降っているなか、傘も持たない朱路さんを一人で帰すことは出来ないよ」俺がそう言うと、「そう。 でも円谷君なら例えば、私じゃなくて、朝野さんだったとしても追いかけていたでしょうね」 朱路さんは遠くを見ながら呟く。 「そりゃ、そうですよ。 大切な生徒会役員のメンバーなんですから。 でも、俺は、俺が出来る範囲で皆さんの力になりたいって思ってるんです。 特に、あの時一番支えてくれた朱路さんは」 朱路さんは、遠くを向いていた視線を、俺の顔にやる。 そして、「じゃあ、雨で冷え切った私の身体を抱きしめて、って言ったら? 円谷君は抱きしめる?」と尋ねる。 冷え切ってたから、お風呂に入ったのでは、という疑問は置いといて、俺は、ふっと笑みをこぼして、今までコップを持っていた手を朱路さんの後ろにまわす。 そして、力強く一気に俺の胸にへと、朱路さんの身体を抱き寄せた。


「当たり前です。 朱路さんになら、俺の胸くらいいつだって貸しますよ」 俺がそう言うと、朱路さんは俺の胸に顔を沈めて、「本当、分からない人」とだけ、呟いた。

外の雨の音だけが響く。 他の人から見たら、この状況をどう捉えるのだろうか? 仲睦まじいカップルがイチャついているように見えるのだろうか。実際、朱路さんの身体の温もりは、俺に不思議と安心感を与え、離れるのが惜しいとさへ思わせる。それが、いつもは周りの目線を気にする俺を、他の人の事なんてどうでも良く思わせていた。 この胸に沈んでいる、朱路さんに少しでもあの時の恩を返せるなら、それで良いというこじ付けすら頭に浮かばせていた。


長い間の抱擁を終え、俺と朱路さんは密着していた身体を離した。そしてその後 、俺たちは駄菓子屋を後にしたが、そのときもまだ雨は降っていた。 長い間誰もやって来ない駄菓子屋に滞在したが、それでも雨の力は衰えることはない。すると、俺はここである重大な失敗をしていることに気がつく。

「すいません、朱路さん」 突然謝罪をする俺に朱路さんは疑問の表情を浮かべる。

「どうしたの?急に」 「急いでいたせいで傘が一本しかありません」 俺は、そう言って自分の頼りないところを見せてしまったと、肩を落としたが、朱路さんは、「何言ってるの。一本で十分でしょ?」と言って俺が差した傘に入り込んでくる。 そして、「私の家まで送ってくれれば良いのよ」と、満面の笑みでとんでもないことを話した。

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