第7話 怒りの後は、寂しくない食卓

私——朱路祐奈は、今まで覚えたことのない怒りを覚えていた。 不穏な動きを見せつつある今田さんの監視を頼んでいた友達から、櫻田公園で円谷君と密会を企てている、という報告を電話で聞くと、すぐに会長と朝野さんを放って今まで通ってきた道を逆走した。 今しがた二人と肩を並べて歩いた道を、走って、走って、あの二人と別れた交差点までやって来てもその足を止める気にはなれなかった。 嫌な予感がする——その考えが私の身体を突き動かしていた。


私が公園に着いたと同時に、公園の中央付近に立っていた二人の人影の内、大きい方の人影が大きな悲鳴を立てながら地面にひれ伏した。 私は、その人影が瞬時に円谷君のものである、と分かった。 だって、あの悲鳴は——た旧聖堂の古倉庫で、自らの全ての行いに気付いた彼が上げた悲鳴と全く同じものだったから。


私は、そのままの速度で公園内へと入って行く。 そして、一直線に中央付近に向かう。 彼をここまで追い込ませた彼女に対する怒りが私を支配していた。 彼は地面に倒れてから、ピクリとも身体を動かさなかった。 ただ、その顔は——涙に埋もれていた。 その表情が私を更に感情的にさせてしまった。


「今田さん? 貴女は彼に何をしたんですか?」 怒りを露わにしながら、私は一人呆然と立ち尽くす彼女にそう問いかける。

「あぁ、貴女が来たんですか? 私の予想では、朝野くらいが来るかと思ったんですがね」 いたって普通だ。 今田さんは、彼のこのこの変貌を見ても何も感じないのだ。

「そんな事は聞いていません。 彼に何をしたのですか?」 すると、今田さんは不気味に笑みを浮かべて、「何を、ですか⋯⋯ 。 ただ私の考えを、いや、私達ファンクラブの考えを本人にお伝えした、ただそれだけですよ? だからそんな怖い顔をなさらないでくださいよ」 彼女はそう答えて、その場から立ち去ろうと、私に背を向け歩き始める。 何型も無かったような、その素振りは私の感情を逆撫でさせた。


「待ちなさい! まだ話は終わってないわ!」

私は、立ち去る背中に言葉をぶつけるが、彼女は逆に歩く速度を上げて、立ち去っていく。 勿論、私の言葉は聞いて聞かないふりだ。 その時だ、私の身体は私の理性を置いて、立ち去る彼女を早歩きで追いかけ始めた。 そして、追いついた私は、彼女の肩を掴んだ。 その行動に驚いたのだろうか? 彼女は、「何ですか?」と私の顔を睨みながらそう尋ねた。 私は、その返答に、「貴女、最低ね」 とだけ言うと、彼女の右頬を思いっきり引っ叩いてしまった。パアァァン!! 高い音が公園内を響かせた。 引っ叩かれ、蹌踉めく彼女を尻目に私は倒れた彼のところにかけて行こうとする、その途中、背後から彼女が声をかけてきた。 「あーあ、やっちゃった⋯⋯ 。 手出しちゃったね⋯⋯ 」 不気味な笑みから、高々とした笑い声に変えながら、彼女はその場から立ち去った。 私は、その言葉の意味を理解しようともせず、また耳に彼女の声を入れようともせず、彼の元に近寄った。



俺が目を覚ましたのは、自分の学院寮の中であった。 随分と昔の記憶の夢を見たものだと、自らを嘲笑しようとするが、頰に涙を伝った感触が残っているのを感じると、まだあの時の記憶に呪縛されているんだな、と未だに未熟な自分自身に向けたため息を一つ吐いて、俺は不自然な事に気がついた。 「あれ? 俺公園にいたはずじゃ⋯⋯ 。 それに、何かいい匂いが漂っているような⋯⋯ 」 このいい匂いを例えるなら、そうだな、薔薇の香りの様な感じで、高級感を持ちつつ、でも身近な感じの匂いだ。 しかし、匂いはともかく、誰が俺を運んでくれたんだろう? ここまで、俺が思考した時、ある音が高々と部屋に響いた。 グウゥゥゥー ! と、空腹を知らせる腹の音だった。 未だ昼食を食べていない事に今更ながらに気がついて、俺は寝室からキッチンのあるリビングにへと繋がるドアを開けた。


そこには、何時もの新聞やら、飲み終わったペットボトルなどのごみか散乱している、何時ものリビングは無かった、あったのは、ゴミひとつ散らかっていない綺麗に片付いたリビングだった。 「な、何が起こったんだ⋯⋯ ?」 俺は思わず呆気にとられてしまう。 すると、今まで微かに漂っていたいい匂いが、更に強く俺の鼻腔を潜り抜けた。 そして、「あ、円谷君。 ようやく目が覚めたのね。本当びっくりしちゃったわよ」と言いながら、エプロン姿の朱路さんがキッチンからひょこっと顔を出した。 うわぁ、こんな強烈なエプロン姿があるのかよ、と俺は初めて見るその絶妙なマッチングに思わず絶句してしまった。 「ど、ど、どうして朱路さんが俺の寮室に!?」

「なんて、情けない声出すのよ。 別に、たまたま学院に忘れ物をしたから、取りに帰ってきてみれば円谷君が公園内で倒れていたから、ここまで運んであげただけよ。 それに、倒れてるにも関わらず、その我儘なお腹がグーグー鳴ってたから、冷蔵庫にある物で昼食を作ってあげてただけよ」と、朱路さんは冷静にそう応える。 「そ、それはご迷惑をおかけしました」 取り敢えずお礼を言った方が良いと思った俺は、そう言って頭を下げる。 すると、キッチンで料理している朱路さんは、ふふっと笑って、「良いわよ、このくらい。 もうすぐ出来上がるから、手洗ってきたら?」 と、微笑みを浮かべた顔で俺にそう促した。


洗面所で軽く、手の汚れを落とした俺が再びリビングに戻ると、既にテーブルの上にはいくつかの料理が盛り付けられた皿が出されていた。 どれも完成度の高い料理で俺の空腹のお腹を更に刺激する。 そして、キッチンから、エプロンを脱ぎながら朱路さんが出てくる。 エプロンの下は制服だったので、忘れ物と言うのは本当だろう、と俺は思い、テーブルの椅子に腰かけた。 それと同様にして、朱路さんも腰掛ける。 「悪いけど、私も昼食がまだなの。 一緒に食べさせて貰ってもいいから?」 朱路さんが俺にそう尋ねてくる。 断る理由も無いので、「良いですよ」の返事を返した。


「「いただきます」」この何時もは一人の寂しい食卓が、二人になるだけの事で、こんなにも明るくなるものなんだな、と俺は目の前で同じご飯を食べている、朱路さんを見ながらそう思う。 だって、ご飯を食べなから会話することが出来るんだから。 食卓に並べられた料理は、野菜多めの野菜炒めと、ふんわりとした卵焼き。 どちらも俺がする味付とは異なっているが、それが又美味しい。


「凄い美味しいです、この野菜炒め! 朱路さんは料理も上手なんですね!」そう言うと、朱路さんは少し頬を赤らめて「ありがとう。 そう言ってもらえて何よりだわ。 実は、母が料理教室の先生をしていて、母に料理についてだけは厳しく教育されたのよ」 と、笑みを浮かべながら話し、茶碗のご飯を口にへと運んだ。 「そうだったんですか、 初耳です」俺がそう言うと、「親の事なんて、そんな頻繁に話さないでしょう?」と、浮かべた笑みを崩さずに応えられる。 それもそうですね、と返した俺も、皿に盛られた卵焼きを切り分けると、そのまま口へと運んだ。


二人で会話しながらご飯を食べていると、食事が終わる頃には、夕暮れどきになっていた。 そして、今は二人でキッチンに立ち、食器洗をしている。 朱路さんが食器を洗って、俺がその皿を受けとり、タオルで拭き、食洗機にへと運ぶ。 その作業を何度かこなしていると、不意に俺は思い出したかのように、言葉を発した。 「そうだ、朱路さん。 朝野さんを見なかった? 俺が公園に行く前に、電話かけたんですけど、出なかったから留守電残したんですけど」 ちょうど食器洗が終わり、濡れた手をタオルで拭きながら朱路さんは、「そうなの? 私が円谷君を運んでいるときも見かけなかったけど?」 と応える。 「そうですか⋯⋯ もしかしたら気付いてないかもしれませんね」俺がそう言うと、「そうなんじゃないの?」 と朱路さんはキッチンを後にして、リビングの端に置かれた鞄を取りに向かった。


「今日は昼食ありがとうございました。 また食べたくなるほど美味しかったです」 流石にこれ以上遅くなると帰り道も危ない、と言う事で玄関のところで、俺は朱路さんに別れ際そう告げた。 「ふふっ、またいつでも作ってあげるわよ。 私も円谷君と二人でご飯を食べれて楽しかったわ」 またね、と言い外へと繋がるドアを開け、朱路さんは俺の部屋から立ち去って行った。 そうして、また一人になった部屋で、俺は二人でご飯を食べた余韻に浸かっていた。 いつでも作ってあげる、とも言われたし、機会があればまた頼んでみるか、と考えたその時、俺の目の前に位置するベランダにへと繋がる窓に水滴が付いた。 そして、水滴は瞬く間に色んなところにつき始めた——急な雨が降ってきたのだ。


そして、俺は今出たばかりの朱路さんを、玄関に差している傘を手に持ち、急いで追いかけた。 雨は思ったよりも激しくなり、傘を持っていない人は、たちまち服もびしょ濡れになる勢いだった。 俺は、冷静な朱路さんなら、この雨を通り雨だと推定し、どこかで雨宿りをしていると直感し、学院の坂の下の交差点のところにある、小さな駄菓子屋目掛けて走り出した。

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