(46) Naked

 春のうちは心地よかった沼津西浦の日差しが、屋外で運動する習慣の無い人間には過酷なほどの厳しさを帯びてきた。

 太平洋岸の短い梅雨があっさり終わり、それと入れ替わるように夏の太陽が人工島を照りつける中、大河の懸念も条件つきという不完全な形ながら、晴れつつあった。

 近く海上都市で行われるメッセンジャー・パレードで亥城アンをサポートし、勝たせれば、大河はTopressの仕事を押し付けられずに済む。

 この島で日々競い合っているバイシクル・メッセンジャー達が最速の座を決定する、親睦パレードの名を借りた非合法な島内公道レースに優勝することは、大河にとって困難ながら不可能とも思えないものだった。 

 前年優勝者の亥城アンは、大河が見る限り本人の言うような衰えは認められない。むしろ社内に入って間もない大河の目から見ても、他のメッセンジャーから客観的な感想を聞いても、以前に増して速く安定した走りが出来るようになっている。

 陸上部時代からそうだった。アン先輩はいつも大河の前を、誰にも追いつけない速度で走っていた。それはずっと変わらない。大河はそう望んでいた。


 夏至に行われるパレードが近づきつつある海上都市、大河には島内を走るメッセンジャー達が心なしか落ち着かないように見えた。

 パレードで最速の座を勝ち得たメッセンジャーは、Topressのさらに上位に君臨する存在として、メッセンジャーの間ではNakedと呼ばれている。

 Nakedのメッセンジャーは次の大会が行われるまで、向こう一年の間、表向き違法な時間報酬輸送の中でも、多額の現金や医療用血清などの特に高単価な輸送を優先的に請けられる。

 それだけでなくNakedが走るだけで他のメッセンジャーは道を空け、普段はメッセンジャーに対して居丈高な交通警官さえ、Nakedを怒らせ、この島で流通を統べる百人ほどのメッセンジャー全員を敵に回すことを恐れて下にも置かぬ扱いをする。

 その筆頭は自分かもしれないと大河は思った。Nakedだろうと何だろうと、アン先輩に対して礼を失した態度を取る奴が居たならば、黙っている気は無い。

 これからもそうであり続けるために、大河もまた普段よりハイペースでトラックレーサーのペダルを漕いだ。


 一時期は受験とその失敗で運動から離れ、鈍っていた大河の筋肉はすぐに陸上部に居た頃に戻ったが、今は陸上部でアン先輩に次ぐ中距離のレギュラーを走っていた時とは違う筋肉が育ち始めていた。

 Topressの問題が解決し、アン先輩に最速であり続けてもらうという当座の目標が出来た大河は、日々の仕事をこなしながら、時々胸中を襲う奇妙な感じを自覚し始めていた。

 心臓への負担から来る肉体的な痛みとは異なる。逆に自分が熱い走りをしそうになったことに気付き、それを自重してペースを緩めた頃に現れる、精神的な違和感のようなもの。まるで胸の中に猫か何かが居て、爪を出さぬまま肉球で胸中をつついているような感じ。

 今までに経験の無い感触の正体を自分でも理解できないまま、午前の仕事を機械的にこなした大河は、昼休憩を取るためにドーナツショップに向かった。


 メッセンジャーカルチャーの取材と広告利用という形の無い物と引き換えに、島内のメッセンジャーに無料でリングを提供しているドーナツチェーンの店舗で、いつも通りブラックコーヒーと、チョコレートやクリームのあまり入っていないプレーンなリングを三つ貰った大河は、多くのメッセンジャーがランチタイムを過ごしている店前の芝生広場で、トラックレーサーを転がしながら自分の落ち着く場所を探した。

 普段は他人からいらぬ干渉をされぬよう、周囲の広く空いた所を探して時間を浪費していたが、その日は特に迷うことなく、広場の中心近くに落ち着く。その場所には既に先客が居た。

「シナモンのリングが揚げたてね。私が行った時は品切れだったわ」

 自分の青いトラックレーサーを倒した大河に、まるで友達か何かのように話しかけてきたのは、黄色いメッセンジャーバッグと、隈取りのヘルメットを傍らに置いた黒髪の女。

 島内メッセンジャーの中でもエリート集団として知られる共同輸送社。そのトップを走るメッセンジャーのサスケが、大河が座るのを催促するかのように、自分のすぐ隣の芝生を嬉しそうに掌で叩いた。

 

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