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大河の企みは進退窮まってしまった。
社内最速のメッセンジャーとして違法な時間報酬の仕事を請けるTopressを、現在その位置に居るアン先輩から引き継がされる羽目になった大河は、クールに仕事をしたい自分の嫌うホットな走りをさせられるくらいなら、脚力や速度で自分を上回っていると思っている烏丸姉妹に譲ろうと思ったが、姉の烏丸ミルから聞かされた姉妹の経緯は、大河の押し付けを許さないものだった。
あとは牛海老ロコしか残っていないが、それは問題外。自分の属している社の恥を晒すのは回避したい。
正直なところ、大河を悩まさせているのは、アン先輩が自分に熱い走りをさせようとしていることではなく、自分自身がアン先輩の期待に応えられる走りが出来ないこと。
今さらそれまでの自己を抑制し、余裕を見越した走りを捨てて、己の全てを前進のスピードに費やすことは、走りのフォームを根底から変えることになる。
自分が親無し身寄り無しという逆境をうまく乗りきり、涼しい顔で消化して日々の暮らしを営んでいるのではなく、見苦しく足掻き、すがり付いて生きていると認めるのは、大河にとって受け入れがたいものだった。
その日も大河は、あれこれと考えながらトラックレーサーを漕ぎ、メッセンジャーの仕事を続けていた。
車やバイクでの流通に不備のある人工島では、小口配送の仕事をバイシクル・メッセンジャーの仕事がほぼ独占していて、考え事の片手間にやるような仕事でも、必要にして充分な歩合給は貰える。
日々稼いでいかなくてはならない学費や生活費も、通常の高校に行けなかった生徒を受け入れるポラリス学園の分納学費は、一般的な私立高校や、高校中退者を子に持つ親の弱みにつけこむようなフリースクールよりよほど安く、寮暮らしで趣味や贅沢をあまり求めない大河は生活費も微々たるもの。
大河は自分がどれくらい服を買っていないのか考えた。たぶんこの島に来て買い足したのは下着とシャツ、靴下くらいだろう。仕事着は学校衣類の納入業者から流れてきた中古の体育用ジャージで間に合っているし、通学や仕事の終わった後の外出もジャージで間に合わせるメッセンジャーが周りに多く、大河も自然とそうなっていた。
この島では体育シャツと膝丈のジャージに体育館履き、そしてメッセンジャーバッグという姿なら、トラックレーサーに乗っていなくともバイシクル・メッセンジャーを表わす。
彼女たちは島の流通を支配する者として肩で風を切って歩き、定時制学生特有の居心地の悪さや劣等感を微塵も感じさせない。
大河も最初は便利だし皆がそうしているからという消極的な理由で、ジャージ姿のまま出かけていたが、そのうち自分が陸上部時代の脚力と計算高い走りで、海上都市の右舷地区では速いグループに属するメッセンジャーだと知られるようになると、他のメッセンジャーが大河の赤いメッセンジャーバッグと青いジャージを見て、自然に道を開け、列を譲るのを楽しむようになった。
大河はトラックレーサーを漕ぎながら、また一台のメッセンジャーを追い抜いた。この島でメッセンジャーをしている定時制生徒の中には、それまで運動と縁のなかった女子も多分に居る。幸い大河は中学時代の陸上部経験で、脚力に関しては凡百のメッセンジャーより有利だった。
こうやって余裕を持って仕事をしていれば、それで充分、そう思っていた大河の肩に固定していたトランシーバーが鳴った。
携帯やタブレットより即座の連絡が出来るため、国内外を問わずメッセンジャーに愛用されているトランシーバーから聞こえたのは、二連続の発信音。
メッセンジャーが音声での通信を行う余裕の無い時に、発信ボタンを連打することで行う合図。二連続音の繰り返しが意味するのは、今すぐ走路を空けてほしいという意味。
それまで他のメッセンジャーに先行するスピードでトラックレーサーを走らせていた大河も、競争をしているわけではない。速い奴や急いでいる奴が来たならば、どけと言われて道を譲ることに異存は無いと、トラックレーサーを左に寄せた。
間もなく大河の横を追い抜いていったのは、三台一組のやたら速いメッセンジャー達。三人揃いの黄色いメッセンジャーバッグには、赤い文字で共同と大書されている。
島内最速のメッセンジャーを抱え、人工島中心のブリッジ区画で活動する共同輸送社。名に違わず三台の車列は凄い速度差で大河を引き離していく。
筋肉を不必要に発熱させない、自分のペースを守りつつトラックレーサーを漕ぐ大河の胸中で、何かがチリっと音をたてたが、それがなんなのかはわからなかった。
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