(40) Reason

 事務所を出て颯爽と歩くミルの後ろから、大河はついていった。

 昼間の肉体労働で沼津の陽光と潮風に晒されていることが信じられないような、長く綺麗な金髪。オレンジのジャージに包まれた女性的でグラマラスな体。ただの夕飯の買い出しなのに女性雑誌の写真素材にでも使えそうな姿。

 美人は得だねと思いながら、大河は従者か用心棒にでもなったような気分で後ろを歩く。

 このメッセンジャーカンパニーに来てから数日。大河はミルとあまり言葉を交わしたことが無い。

 社長のアン先輩とは中学からの付き合いで、ロコは向こうから無駄に絡んでくる。ミルの妹のペペも、今日かまいすぎた猫のように嫌われるまでは大河に懐いていて、会話が短く不器用なペペとも喋る機会はそれなりにあった。


 烏丸ミルは社内ではアン先輩に肩を並べられる唯一のメッセンジャーで、人工島の右舷区画でも指折りの速さで知られている。加えて彼女っは社の実務を引き受けていることもあって、いつも忙しそうにしている。

 朝の仕事を始める時も、大河が準備している時にはもうオレンジのトラックレーサーは事務所から道に走り出していて、帰ってくるのは大河や他のメッセンジャーが戻り、夕食はまだかと騒いでいる頃。

 事務所に居る時も隅のオフィスデスクでPCに向かっていることが多く、大河が話しかけるのを躊躇するような難しそうな仕事をしている。


 一緒に買い物に出てみたものの話すことも無い。大河が沈黙に気まずさを感じ始めた時、ミルは唐突に振り返って大河に話しかけた。

「ペペちゃんのこと、気にしないでね。そういうの苦手な子だから」

 昼に大河がTopressの仕事を押し付けようとして、ペペに拒まれたことについては、もう知っているような感じ。口調より、この人が知らないことなど何もないと思わせるような底知れぬ瞳から、そう感じた。

「何も気にしていませんよ。諦めてもいない」 


 大河は両腕を頭の後ろで組みながら答える。正直なところ大河がわざわざミルと二人で話す機会を作ったのは、ペペに単刀直入に頼んだTopressの仕事を断られたなら、相手がイヤとはいえない搦め手の方法が無いものかと思ったから。

 それに、他社では高報酬と名誉に釣られ皆がその座を競うというTopressの仕事は、実力だけ見ればミルのほうが相応しい。妹につらい事をさせるくらいなら、とミルがTopressになってくれれば、それこそ大河としては言うこと無しだった。

 もう一人面倒な仕事を押し付けるのにちょうどいい奴が居た気がしたが、あの雑魚に社の看板となる仕事を任せるのは、烏丸姉妹がどうしてもTopressになってくれなかった時の、予備の予備の予備くらいに考えておくことにした。


 いつのまにか歩く速度を緩めたミルが、さっきまで後ろを歩いていた大河の真横に来た。大河はアン先輩の言葉を思い出す。車や歩行者、それに他のメッセンジャーが縦横に動く公道でトラックレーサーを速く事故なく走らせるのには、脚力だけでなく道の状況や周囲の物々の動きを常に把握し、複数の情報を同時に処理しながら走行する独特の感覚が必要で、そのセンスのある奴は自転車を漕いでいる時だけでなく、普段何気なく人込みの中を歩いていても、自分の身の置き方や動かし方が上手いらしい。

 大河より頭半分ほど背の高いミルは、ちょうど大河の耳の近くある口から、音色の綺麗な弦楽を思わせる声を発した。

「そういえば私とペペちゃんがこの島に来た理由って、まだ話してなかったっけ?」

 大河はミルの声と、吐く息から発する独特のフェロモンに気圧され「はい」とだけ答えた。

 

 様々な理由で普通の高校に行けなかった十代女子が集う定時制高校ポラリス学園。この学習塾のようにシステマチックで無味乾燥な学校にも、暗黙のルールというものがある。それは何でここに来たかという問い。

 貴方に人生のやり直しの機会を提供する、という宣伝文句で人を集めていて、身分調査が厳しくなった今もなお元犯罪者を呼び寄せる軍の外人部隊にも同じルールがあるというが、親の扶助や学費の支援が受けられない少女の中には、誰にも言いたくないような理由を抱えている子が少なからず居る。大河がここに来た原因となった親の夜逃げも、大河自身は特に抵抗なく話したが、人によっては他人に知られたくないような恥ずべき事実。

 それゆえに本人が理由を話すまでは聞かないということは、新入生が学校や職場の先輩からそれとなく伝えられる不文律となっていて、大河も、他人より余計に物を知っていると途端に威張りだすロコから、偉そうな口調で教えられた。


「わたしとペペちゃんはね、二人で家出してきたの」

 昭和時代かよ!という返答が口から飛び出してきそうになった頃合で、大河とミルは夕食を買うテイクアウトショップに着いた。

 ミルが一方的に話を切り上げ、同業者のメッセンジャー少女が多くを占める客の中に並び始めたので、大河も口先を襲ったもう一つの衝動である空腹を満たす物を選ぶべく、メニューボードに目を走らせた。

 話の続きは帰路でも聞ける。その中にこの姉妹の攻略法が隠されているのかもしれない。

 あるいは、教えてくれるのかも。 

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