(39) Miru

 ペペはそのままスピードを上げて、大河を引き離していった。

 大河が尻を上げ、全力のスタンディングで漕げば追いつけないこともない速さだったが、これからトラックターミナルでの仕事が控えている身で、体力を使い尽くすわけにはいかない。

 向こうもそれは同じで、ペペの体格に似合いの小さなお尻は、サドルに乗ったまま。普段の仕事で走る巡航の範囲内の速度。ペペはそのスピードが大河より一枚上手。

 アン先輩は社内における最速の座を自分に譲りたいと言ったが、大河はペペのほうがその役に相応しいと思っていた。

 仕事中も学校でも陰気な目で人の顔色を疑うちっぽけな少女が、逆にTopressとして皆に見られ、憧れられる立場になったなら、醜いアヒルの子はどんな姿に変わっていくのかにも興味があった、彼女が自分を守る殻を、ショック療法的な強引な手段で引き剥がしたかった。


 ペペの振り切られた大河が、人工島の右舷区画と船首区画の境い目あたりにあるトラックターミナルに着くと、ついさっき大河を振りきったペペが自分のメッセンジャーバッグに荷物を収めていた。

 大河が何か話しかけようとすると、メッセンジャーバッグを背中に回したペペは大河を避けるように、俯いてグリーンのトラックレーサーを漕ぎ出す。

 俯くペペのヘルメットに描かれた双頭の蛇が、物言わぬ彼女の替りに大河に向かって威嚇の毒牙を剥き出したように見えた。

「嫌われちゃった、かな?」

 大河はヘルメット越しに頭を掻いた。だからといって、Topressの仕事を押し付けることを諦めたわけでもない。


 昼のトラックターミナル発の仕事が終わった後も、飛び込みで幾つか入った仕事をこなした大河は、その日の仕事を終えて事務所に戻った。

 大河が最後らしく、ロコからは「遅せーぞ!」と言われる。ペペは大河が事務所に入ってくると一度目をそらしたが、顔を上げていつも通りの、スピーカーの貧弱な電子機器のような、小さく機械的な声を出す。

「大河ちゃん、おかえり」

 それから、大河が横を擦れ違う時に、もっと小さな声で言う。

「ごめんなさい」

 大河はペペを見て言う。

「ん?何が?」

 ペペは黙り込んだが、いつもの陰気な顔のまま目元が和らぐ。


 全員が揃ったところで、皆がタブレットのGPS機能で記録された今日の走行距離を報告し合う、社のルールで一番距離の短かったメッセンジャーが全員の夕飯を買いに行く。

 今日の最短走行距離は、ここ数日ずっとその役を負っている烏丸ミル。アン先輩以外でこの社の事務、実務が出来る唯一の人材なので、どうしても走行距離は短くなりがちで、彼女も歩いて十分ほどのテイウアウトショップまでの買い出し選任になることに慣れている様子。

 ミルが事務所を出ようとするタイミングで、大河も立ち上がった。

「今日もミル姐さんが行くんですか?わたし今日は麺類の気分じゃないんだけどなー」

 夕食のメニューは買い出しに行く人間が選ぶことになっているが、ミルはいつショップ自慢の日替わりエスニックヌードルを買ってくる。

 選ぶのが面倒だしすぐに買えるからという理由だけど、烏丸ミルが長く美しい金髪と整った容姿に加え。ジャージ姿で自転車を漕いでいると通行人が振り返るほどの女らしい体型を、このアジアン焼きそばで維持していると思うと、大河としても嫌いじゃない、むしろ歓迎したいメニューだった。

「今日は私、自分で選ぶわ」

 そう言って大河は、ミルの後ろからついていく。 

 ロコは「選んだってロクなもんねーぞ」と言った、ミルとアン先輩と何か目配せを交わしてから言った。

「じゃあ一緒に行こ!大河ちゃん」

 話す相手まで明るい気分にさせるような陽気な雰囲気のミル。妹のペペは少し眩しそうな顔をしていた。

 

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