(38) Pepe

 大河は午後の仕事先に向かいながら、アン先輩の言った事の意味を考えた。

 本当は熱情的な走りを欲していた先輩。陸上部では熱くなれなかった先輩は、ここに来てバイシクル・メッセンンジャーを始めることで、熱い走りを知った。

 大河の憧れていた先輩が、実は先輩自身の望んでいない姿で、先輩がやりたかった事が、大河の憧れていた先輩とは違う形だったことについては、それなりにショックだったが、アイドルに自分にとって都合のいい姿を求める少年のように、先輩に自分好みになってもらいたくなるほど子供じゃない。

 アイドルの意味は偶像。大河にとってアン先輩は間違いなく偶像だったが、先輩も生身の人間。アイドルが楽屋裏で予想外の顔を見せていたとしても、それで先輩を嫌いになるわけがない。


 問題は、アン先輩がその熱い走りを、大河に継承させようとしていること。

 大河としてはいくら先輩の希望でも、それだけは勘弁願いたかった。今まで親の夜逃げや高校進学の失敗という逆境を、外面だけは涼しい顔で乗り越えてきた大河、今さら人前で熱く汗臭くみっともなく、全力を振り絞るようなことをしたら、今の自分が踏ん張っていられる気持ちの柱が折れてしまいそうになる。

 先輩はやらせたい、自分はやりたくない。単純な問題には、メッセンジャーカンパニーとして商売をしている以上、全力全速で走るTopressの仕事を引き受けなくてはいけないという事情もある。


 狭い海上都市で幾つものメッセンジャーカンパニーが競い合うこの島で、最速の看板を出していないことには生き残れない。

 カンパニーの中には儲けになるが危険が大きく、メッセンジャーへの負担も強いTopressの仕事を引き受けず、ルート配送などで地道に堅実に稼いでいるところもあるが、そういうところは大概、大手運送会社との提携などの後ろ盾がある。

 それに、大河は熱く激しくブっ飛ばすのは嫌いだったが、自分の所属するメッセンジャーカンパニーが遅いと思われるのも癪だった。


 受けたくない。受けなきゃならない。ジレンマに襲われた大河が、それを解決させるかもしれない善後策を思いついたのは、前方を走っているメッセンジャーの被っているヘルメットが視界に入ったから。

 サドルから尻を浮かせた大河は、全身の筋肉を使ってトラックレーサーのペダルを漕ぎ、かなりの速さで走っている前方のメッセンジャーに追いついた。


 二台の自転車が余裕を持って追い越せるだけの広さを持つ自転車道で、マナー違反の横並びをする。モスグリーンのジャージに同色のトラックレーサー。青地にグリーンの双頭蛇が描かれたヘルメットが動く。

 大河はポケットに手を突っ込み、アン先輩から抹茶のリングと交換してもらったストロベリーのリングを取り出す。そのまま手を伸ばし真横を走るメッセンジャーの口に押し込んだ。


「はい、補給食」

 大河の差し出したストロベリーリングをもぐもぐと食べたのは、烏丸ペペ。

 ペペは突然のエネルギー補給に目を泳がせながらも、ストロベリーのリングを食べている。大河はなんだかリスかハムスターに食べ物をあげている気分になった。

 先輩からやらされそうな仕事。やりたくないなら、他の奴に押し付ければいい。


 大河はペペの口がストロベリーリングで塞がり、口を挟んだり反論したり出来ない頃合を見計らって、ペペに向かって話し始めた。

「あんた、Topressやんない?」

 ヘルメットに描かれたヘビのようにストロベリーのリングを丸呑みしたペペは、大河を見て、それから視線を下げてトラックレーサーを漕ぐ自分自身を見つめ、首を横に振った。

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