(29) KhaoPhat
社内のルールに従い、今日の走行距離が最も短かった烏丸ミルが皆の夕食を買いに行った。
社長の亥城アンは、事務処理や各種の交渉を受け持つため頻繁に夕食当番が回って来がちのミルに、走行距離ではなく交代制にすることを提案したこともあったが、ミルはむしろ頻繁に行きたがる。夕食を買いに行くテイクアウト店で、他のメッセンジャーと交わす情報収集もまた彼女にとって大事なことらしい。
ほどなくしてミルは五つの紙箱を下げて帰って来た。今日の夕飯はタイ風チャーハンのカオパット。事務所に折りたたみのテーブルとチェアが出され、五人揃って食べる夕飯の時間が始まる。
総じて金の無い勤労女子学生のメッセンジャーたちが利用する、テイクアウトにしては本格的なカオパットのスパイシーな香りが食欲を誘い、皆が旺盛な食欲でフォークを動かす。
この後に待っているいつもとは異なる予定については、誰も話題にしない。大河とロコのヘルメットを賭けたレース。
大河は今使っている古びヘルメットを、少々趣味悪いペイントながら新品にするため、ロコはヘルメットに描かれた虎のエンブレムを自分のものにするため。この後、皆で行く定時制高校の授業が終わった後、互いの速さで決着をつける。
ロコはさっきから、食べているカオパットよりもピリピリしている。大河はヘルメットのためとはいえ、予想外の補習というか残業が入った気分。烏丸姉妹とアン先輩はいつもと変わりない。
食事中、夏に予定される自転車部品の即売会の話をしていたミルが、そのついでといった感じで言う。
「大河ちゃんとロコちゃん、学校終わったらハマチ通りのコンテナヤードが使えるように話をつけといたから」
大河はここ数日で頭の中に作り上げた海上都市の地図を脳内検索した。右舷区域の海沿いにあるコンテナの集積所。昼夜を問わずトラックの出入りする物流拠点ではなく中古コンテナの在庫置き場なので、夜は常駐警備員しか居ない。
島内を右舷から左舷へと貫くハマチ通りの行き止りにあるヤードはここからトラックレーサーで十分ほど。行き帰りの面倒が無さそうなのはいいと思った。
場所と内部の走行状況をもう一度思い返す大河の向かいに座るロコは、ちっぽけなニセモノの虎を本物が食ってやるといった感じで、カオパットを頬張っている。
その後、大河は皆と学校に行き、ノルマみたいな授業を済ませる。帰り道もアン先輩や烏丸姉妹、そしてロコと一緒。先頭を歩いてたアン先輩が振り向いて言う。
「この後、私も行くわね。大河ちゃんとロコちゃんが本気で走るとこ、見たいわ」
スマホで事務仕事の書類を確認していたミルも、大河とロコを交互に見ながら言う。
「私も行くわ。私が一晩かけて塗ったヘルメットの行き先を決めるんだもん」
まだ深夜とはいえない時間ながら、もう眠そうにしていたペペも手を上げる。
「隣のプレハブヤード、共同のダチがレースしてる、その後、大河ちゃん見に行く」
この島では交通安全や勤労学生の学業のため、日没後のメッセンジャー業務は禁じられている。しかし大河が学校で他の生徒の話を聞くに、仕事と学校が終わった後、夜中にトラックレーサーを持ち出して競争をしている奴らは結構居るらしい。
ミルはウェイトや消費カロリーが気になった時はよくアンを誘って走りに行っていて、ロコは他社のメッセンジャーに勝負を挑んで恥を晒している。ペペは誰も居ない海沿いの道を、真っ暗な海を見ながら一人で走るのが好きらしい。
大河は降って湧いたようなロコとのレースも、この島では見世物にもならぬ日常的なことなのかと思った。陸上部時代から部活の時間には皆よりメニューの多い練習をこなしていたが、時間外に好き好んで走るようなことはしなかった大河には理解できなかったが、かといって時間の面倒はあれど嫌悪するものでもない。
ただ、楽しみと言うには、走る相手が小物すぎると思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます