(28) Tiger

 大河は自分のものになるはずだった新品のヘルメットをひったくったロコを睨みつけた。

 このヘルメットを大河のイメージに合った模様にペイントするのに丸一日かけたという烏丸ミルは、ヘルメットを抱え込むロコの肩に触れた。

「やっと自分のパーソナルマークが決まったの?」

 大河より早くこのメッセンジャーカンパニーに入社し、既に新入りというにはフレッシュさに欠けるくらいには仕事をこなしていた牛海老ロコは、自分が今まで使っていた黒無地のヘルメットを大河に放った。

「替りにそれ、やるよ」

 ロコのヘルメットは、大河が被ってた中古のくたびれたヘルメットよりだいぶ状態が良かったが、ついさっき新品を貰えると言われ、それを受け取る寸前だった大河は、他人に譲る気など無かった。

 

 この島のメッセンジャーは皆、金の無い勤労学生。それゆえに乗っているのは安価で丈夫なトラックレーサーで、着ているのは体育ジャージ。しかしヘルメットだけには個々のお洒落を反映したペイントを施していた。

 メッセンジャーを初めて間もない大河が見る限り、ずっとペイントされていない黒無地のヘルメットを被っていたロコは、大河のためにペイントされたという金色の虎を気に入った様子で撫でている。

 姉と正反対に無口な烏丸ペペがロコに近づき、何も言わず大河のヘルメットを掴んで取り返そうとした。離さないロコとの間で引っ張り合いが起きている。

 ミルはオモチャを取り合う子供たちをあやすように言った。

「ロコちゃん。マークが決まったんなら、私がペイントしてあげる。明日までに仕上げるから」

 同じ新しいオモチャを買ってやると言われたら、大概の子供は機嫌を直す。しかしロコは所有欲とは違った感情で、大河のヘルメットを欲しがっていた。

「これは私のマークだ。この島に虎は二人いらない」


 ペペにヘルメットを引っ張られ、ミルに肩に手を置き宥められても、ロコはヘルメットを離さない。烏丸姉妹はもう自分のパーソナルマークがあって、今まで決めかねていたというロコにはまだ無い。

 大河としては今すぐこの泥棒女をぶちのめして、もう被るのがイヤになってきた中古ヘルメットに替わる新しいヘルメットを取り返す積もりだったが、アン先輩の作った会社で衝突や揉め事を起こすわけにもいかない。 

 困った様子で首を傾げながら皆のやりとりを見ていたアン先輩は、何か思いついたように言った。

「じゃあどっちがこのヘルメットを貰うか、勝負すればいいんじゃない?」

 全員が同時にアン先輩を見る。ロコは胸に抱え込んでいたヘルメットをテーブルに置いた。

「最初からその積もりだ。佐山大河!わたしはあんたの鈍りきった脚がわたしのライバルだった頃に戻るのを待ってたんだ」

 皆の視線が大河へと移る。大河は食べ残したドーナツを口に放り込み、ミルクで流し込んだ後、ロコではなくアン先輩に言った。

「いつ?」


 答えたのはアン先輩ではなく、いつも理性的な受け答えをするミル。

「二人ともこれから学校でしょ?その後がいいわね。明日に響かないように三十分以内で」

 ヘルメットを取り返すため、ロコの横に居たペペがテーブルを回り、大河のところまで駆け寄ってくる。

 普段から表情に乏しい顔のペペは、大河のジャージを摘んで小さな声で言う。

「大河ちゃん。危ない」

 大河はペペの頭をポンと撫で、それからペペの手を取って自分の腿をピシャンと叩かせる。この島に来てすぐの頃は贅肉の感触で柔らかく頼りなかった腿が、今は陸上部時代の硬い筋が感じられるようになっている。

 ペペはそれで納得したのか、大河の元を離れ、またロコに近づいて腿を叩いた。音だけは大河と同じ。それからロコを指差して言う。

「大河ちゃんは、お前なんかに負けない」

 ペペは大河がこのメッセンジャーカンパニーに来て以来懐いている。しかしロコとは仲が悪く、背の小さい者同士しょっちゅうケンカをしている。メッセンジャーとしての速さについてはペペのほうが上だが、人の大勢居るところが苦手で仕事を選ぶところのあるペペに比べ、小さな仕事をせこくこなしているロコのほうが稼ぎでは若干勝ち越している。


 ロコは不敵に笑いながら言った。

「私は本物の虎だ。ニセモノの虎モドキになんか負けるか」

 学校の準備をしなくてはいけない時間が迫っていた。大河は立ち上がりながら言った。

「囀るな」

 速さで勝負したいというならマイクパフォーマンスなんて不要。どちらが強者なのかは口先じゃなくこの腿が決めてくれる。

 大河に何か言い返そうとしたロコも、時間を見て慌てて登校の支度を始める。皆が一階の事務所から各々の部屋のある二階へと階段を昇った。

 学校や仕事先でケンカがあった後というのは、独特の重苦しい空気が流れるが、どうらやここはそうでもないようだった。むしろ当事者である大河とロコ以外の面々までもが、祭りか何かの直前のような高揚に包まれている。

 大河は新しいヘルメットのため、ロコは虎の名を賭けて、どちらが速いのか勝負することとなった。

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