(26) Ring Ring Ring!
大河がメッセンジャーとして初めて運んだ荷物を受け取ったのは、鉄の箱だった。
事故を起こした宅配トラックの荷物を引き継ぐ仕事の入ったアン先輩を助けるべく、研修の身ながら自分も荷を運んだが、届け先が先輩と同じだということもあり、道順もトラックレーサーの停め方も、届け先の宅配ボックスの電子ロックをタブレットの赤外線通信で解除する方法さえ、先輩頼りだった。
苦手な接客を最初にいきなりやらされるのは勘弁だったが、この海上都市にある住宅や事務所の多くに設置され、早々に海風で錆びつつある宅配ボックスが相手の仕事では、感慨の一つも湧かない。
おつかれさまの一言すら無い仕事のしめくくりは、タブレットが鉄の箱からデータ受信した受領証。
タブレットを収めたメッセンジャーバッグを背に戻した大河の喉元からアン先輩の声がする。ストラップに固定されたトランシーバー。
「大河ちゃん、ありがとう」
これで充分。大河はそう思いながら、自分より重い荷物を何階も上のフロアまで届けに行っていたアン先輩と階段で合流した。
大河がその仕事内容よりも印象的だったのは、アン先輩のメッセンジャーカンパニーから支給され背負っているバッグだった。
最初は登山や軍隊で使う両肩ハーネスのディバッグより非合理的に見えたメッセンジャーバッグは、重い荷物を入れるとストラップが肩に食い込んだが、大河がトラックレーサーの上で前傾姿勢を取った途端、荷重が肩から腰に移る。
斜めにかけたストラップは、腰から背にかけての人間の最も太い筋肉に乗せ、支えている荷物のバランスを取っているだけで、きっと人一人を詰めて背負っていても、走行中ならストラップと体に生卵を挟んでいても割れることは無いだろう。
長方形のバッグを背に斜めに掛ける構造も合理的で、限られた背中のスペースを縦か横に使うより、斜めの対角線で使ったほうが、より嵩の大きな荷物を運べる。
ストラップの長さをワンタッチで調整する大きなフラップなど、この形になってからほぼ改良されることの無いメッセンジャーバッグは、同じく不変の出前オカモチや、南洋の住民が果実を頭に乗せるカゴを思わせた。
構造だけでは無い。バッグの色やプリントされた社名さえもまた機能。アン先輩と一緒のカンバンを背負う以上、無様な走りは出来ない。
最初の仕事を終え、大河は走り出すアン先輩を追ってトラックレーサーを漕いだ。この自転車も走行する機械に乗るというより、いつも履いている通学用のローファや陸上スパイクと同じような、身につける感覚で走れる。
予約を受けている仕事と、トランシーバーやタブレットを通して入る飛びこみの仕事の双方をこなすメッセンジャー。大河はまだアン先輩が次にどこに向かうのかを聞いていない。
大河が何度か使って多少なりとも扱いに慣れてきたトランシーバーを使って、行き先を聞こうとしたところ、ストラップで喉元に固定するという、とてもシンプルなハンズフリー構造のトランシーバーから、アン先輩の声が聞こえてくる。
「そろそろお昼にしようか?」
大河がハンドルにホルダーで固定したスマホを見ると、時間は正午少し前。空腹感はあるかといえばあるような無いような。
「お任せします」
大河はトランシーバー越しにアン先輩に伝えた。前方を走る先輩の黒いトラックレーサーは、海上都市の中心部に向かっていく。
右舷地区や左舷、船尾、船首と中央部のブリッジを隔てる、くじら道路と呼ばれる環状道路に出たアン先輩は、ビルとビルの狭間にある小さな空き地の前でトラックレーサーを歩道に乗り入れさせた。
建物に囲まれた芝生の広場には、自転車の花が咲いていた。
海上都市の中央近くにある緑地に、何十人ものメッセンジャーが集まっていた。
スタンドなど無い色とりどりのトラックレーサーはそこら中に横倒しにされ、個々のメッセンジャーによって異なるペイントを施されたヘルメットが放り出されている。
道路計画の欠陥を補うため、物流の多くを自転車メッセンジャーに依存している海上都市。このディズニーランドとシーを合わせたくらいの面積の島に、百人ほどのメッセンジャーが居るという話にも頷ける風景。
トラックレーサーを降り、芝生の広場に入ったアン先輩は、自分の黒いトラックレーサーを適当な場所に放り出す。大河もその横に青いトラックレーサーを寝かせた。アン先輩の真珠色に赤い目玉のヘルメットを見た他のメッセンジャーが挨拶をしている。新入りの白ヘルメットを被った大河は見向きもされない。
芝生広場の奥に、白い木造の建物があった。店名はRing Ring Ring!
店内に入っていくアン先輩についていった大河は、店内に充満する甘ったるい匂いで、ここが何の店なのかわかった。
「東京のドーナツチェーンが出している実験的な店舗でね、メッセンジャーとして働く人たちにドーナツを提供しているの」
アン先輩はそう言いながら嬉しそうに壁面のメニューを見て、今日は何のドーナツにしようか指差しながら考えている。大河は特に迷うことは無かった。嫌いではないが特に自分で買って食べることもしないドーナツ。何を食べても同じ。
すぐに順番が回ってくる。アン先輩はどぎつい色のストロベリーチョコと、キャラメルウォルナッツを二個づつとコーヒー。大河は地味なオールドファッションと、甘くないベーグル状のドーナツに砂糖を塗ったオリジナルグレーズド。それからミルク。
ドーナツと紙コップのドリンクを受け取った大河は、先輩に奢ってもらうわけにはいかないと思ってメッセンジャーバッグから財布を出そうとしたが、アン先輩に手を引かれたのでそのまま店を出る。
口座からの自動決済か何かかと思ってたら、アン先輩が簡潔に説明してくれた。
「タダよ」
海外では店の治安のため警官に無料でハンバーガーやドーナツを提供する店が多いと聞くが、大河の居た本土では良い噂より撤退のニュースをよく聞くドーナツチェーンが、これだけ多くの食欲旺盛なメッセンジャーに無償提供して採算が合うんだろうか。
目の前に食べる物があるのに、理由をあれこれ考えるのは自分に似合わないと思った大河は、芝生に座る先輩の横にちょこんとしゃがみこむ。周りでもメッセンジャーたちがドーナツとドリンク、そしてお喋りの時間を過ごしている。
諸々の事情で普通の高校からはみだした生徒を受け入れる定時制女子高校ポラリス学園。そこに通いながら生活のため自転車を漕ぐバイシクル・メッセンジャー。
道の上では決して品行方正とはいえない彼女たちも、トラックレーサーを降りてヘルメットとアイウェアを外せば、普通の女の子に見える。
アン先輩が周囲の女子たちを眺めながら言った。
「静岡県内での出店にそれだけ気合いを入れてるってことでしょうね。あと、この島でのメッセンジャーカルチャーの取材と広告利用の独占権」
大河には何だか、自分には見えないところで、形の無い物を売り買いされているような胡散臭さしか感じられなかったが、アン先輩はそれがこの島の面白いところだと思っている様子。
背後にある店を振り返り、看板を見た大河はアン先輩に聞いた。
「この島では、私たちメッセンジャーはRingsって言われてるんですよね?」
アン先輩は自分のトラックレーサーの前輪を回し、中空に浮かぶ太陽の光を反射して輝く銀輪を眺めながら「そうよ」と答える
大河はドーナツの穴越しに、緑地帯の外にある道を見た。緩慢な車道の横でトラックレーサーが競い合いながら駆け抜ける自転車道。メッセンジャー達の闘技場。
「リングがリングで食うリング。シャレにもならねぇ」
大河はそれだけ言うと、甘ったるい輪っかを口に頬張り、ミルクで流しこんだ。
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