(24) Enemy

 海上都市の中心部から海に突き出た桟橋へと向かう一本道を、大河はアン先輩を後ろに従えて走った。

 大河が一漕ぎするたび、トラックレーサーは前へ前へと進んでいく。本当にこの自転車は自分の力に正直な道具だと思った。

 車やオートバイ、あるいは変速式の自転車のように、人間を運ぶ機械ではなく、人の足を獣の足にする魔法のシューズのような物。

 今まで大河を気遣って走るアン先輩の後ろについていた時には、何人ものメッセンジャーに追い抜かれたが、今は自転車道を走る他のメッセンジャーを次々と追い抜いている。

 大河はまだメッセンジャーとしての仕事の進め方に関しては何も知らないも同然だが、脚力だけはそこらの女子に負けられないと思っていた。まだ体も脚も陸上部時代に戻っていると言うにはほど遠いけど、贅肉がつくとすぐに落ちる持久力と違って、瞬発力はそうそう衰えない。


 アン先輩は言っていた。この島で自転車メッセンジャーをしている子のほとんどは生活のために自転車を漕いでいて、その中には今まで本格的な運動の経験が無い子も多分に居ると。

 もう一台、大河は前方を走っていた自転車を抜き去った。すぐ横をすり抜けられたメッセンジャーは、自分を追い抜いて行ったメッセンジャーが、この島では新入りの証である白無地のヘルメットを被っているのを見て、信じられないというように目を瞠っていたが、その後ろを余裕を持ってついていく、新人と同じ赤いバッグを背負った指導役らしきもう一人のメッセンジャーが被る、真珠色に赤い目玉が描かれたヘルメットを見て頷く。

 海上都市ポラリスの右舷区画では、その速さで知られているHotRingsの亥城アンと共に走っている奴なら、普通のメッセンジャーでは無いに違いない。

 

 大河はハイペースでトラックレーサーを漕ぎながら、サドルから持ち上げていた尻を下ろした。自分は速さ自慢のためにここに居るわけじゃない。ゴールラインを越えたら倒れこんでもいい陸上部と違って、仕事で自転車を漕いでいる以上、力を使い果たすわけにはいかない。

 アン先輩の話では、この先の桟橋にあるというトラック事故の現場では、メッセンジャーの仕事が山ほどあるという。ただでさえアン先輩は自分の指導と研修のため、普段より遅い走りをさせられている。これ以上自分のためにアン先輩の稼ぎを目減りさせないためにも、常に余力を残しておかなくてはいけない。

 大河は後方をチラっと見た。アン先輩はさっきからずっと一定の距離を保ちつつ、大河の後ろを走っている。きっとさっきの疾走も、アン先輩にとってはアクビが出るほどのスピードなんだろう。少なくとも陸上部時代はそうだった。

 そう思いながら前方に視線を移そうとした大河の目に、何かがキラっと光る物が映った。

 

 一瞬太陽の光を反射した後、まだ他のメッセンジャーより速いスピードで走る大河に近づいてきたのは、やはりメッセンジャーの自転車だった。

 三台連なった自転車は大河の肘を掠めるように追い抜いていく。背中には揃いの黄色いメッセンジャーバッグを掛けていた。

 大河は一度サドルに乗せた尻を持ち上げたが、またサドルに落とす。安定したペースを守りつつ、遠くなっていく黄色い背中を見た。

 喉元のトランシーバーからアン先輩の声がする。

「追っかける?」

 陽気な、からかうような声。無論息切れなど全くしていない。大河は少し荒くなっていた自分の呼吸を何とか落ち着かせながら、トランシーバーのマイクに向かって言う。

「いえ。このペースのままで」


 アン先輩の「そう」とだけ言った声が大河の耳に残る。それでも大河は今、自分には無理なペースであの黄色バッグのメッセンジャーを追いかけるわけにはいかない。走るだけでなく止まるのも自分の脚に頼るトラックレーサー。筋肉を使い果たすのも、止まれない速度で走るのも馬鹿な事。思えば自分の父は、そんな愚かな事をして結構儲かっていた会社を潰した。

 競争をして給料を貰うわけじゃない。今のままでも充分速いペースを守れている。熱くなって自分の脚力や、この後も続く仕事のことまで忘れて追いかける熱い大河は、大河自身の理想とする姿では無い。

 先輩の前では、冷たいまで優雅な自分でいる。陸上のフィールドを走っていた先輩のように。そう思いながらペダルを漕ぎ続けた。


 トランシーバーからまた先輩の声。

「今走ってったのは共同の子たちね。共同輸送社。ブリッジにあるメッセンジャーカンパニーで、この島で一番速いわ。走りの共同って言われてるの」

 大河は今までの速度を維持しながら軽く歯を噛み締めた。あの黄色いバックの連中は、とても速いという。大河は自分が一瞬思った、だから負けても仕方ないという気持ちに嫌悪感を覚えた。

 メッセンジャーの仕事は勝ち負けじゃない。仕事をこなせるだけの速さがあればいい。今の自分はまだ陸上部時代の体じゃない。

 でも、次に会った時は違うかもしれない。

 大河は前方を見た。共同のメッセンジャーはもう居ない。遠く海面がキラキラ輝いているのが見える。

 この島で最も速いというあいつらは、大河がメッセンジャーの仕事で速さを競う相手ではない。

 でも、敵だ。

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