(16) School
春の夕暮れが夜になろうとしている時間、大河はアン先輩と烏丸姉妹、牛海老ロコと共に、これからの三年間を過ごす学び舎へと向かった。
今日の午前中に手続きのために行ったので場所はわかっていた。徒歩で三十分ほどの場所にある学校まで皆で歩いていく。
制服ではなく私服。とはいっても仕事着と兼用の体育シャツと膝丈のジャージ。スニーカーより軽く底の薄い体育館履きまで一緒だと思った大河は、皆が身につけていて自分が持っていない物があることに気付いた。
メッセンジャーバッグ。
メッセンジャーが仕事で自転車に乗る時に、たすき掛けに背負うショルダータイプのバッグ。他の子は赤いナイロン地に社名が刺繡されたメッセンジャーバッグを通学用にも使っているらしい。
仕事中はストラップを詰めて背にぴったりとフィットさせているメッセンジャーバッグを、今はストラップを伸ばして無造作に肩に掛けたり手に持ったりしている。
四人が持っていて自分が持っていないバッグ。まだメッセンジャーの仕事を始めていない大河は不満や疎外感は無かったが、身につけた時にどんな感じなのかは気になった。
アン先輩に頼んで背負わせてもらおうとも思ったが、仕事で必要な物なら明日にでも支給されるだろうと考え、自分の中学から使っている学生鞄をいじくった。
二km弱の通学路を歩いている間、特に会話らしき物は無かった。アン先輩は烏丸ミルと数日後に入る大口の仕事について打ち合わせをしている。
大河は仕事の話をしているアン先輩の数歩後ろを歩いたが、同じく姉の邪魔をしないように離れたペペは大河の近くにやってきた。何も言わず横を歩いている。
ロコは大河の周りにまとわりつき、本人の自称では県内の中距離エースだったという自分の陸上部での活躍を本当に覚えてないのかと聞いてきたが、いい加減面倒くさくなった大河が四百mのベストタイムを聞くと、叱られた犬のように黙りこむ。
校舎というよりオフィスビルといった感じの学校に着く。大河たち以外にもジャージ姿の女子をあちこちで見かける。色違いのメッセンジャーバッグを下げた子たちがアン先輩に挨拶をしていた。
校内に入り、アン先輩とミル、大河とペペ、ロコはフロアが違うという一年生と二年生教室に分かれる。
姉のことをしばらく名残惜しそうに見ていたペペは、姉たちの乗ったエレベーターのドアが閉まると、大河の横に寄ってくる。
大河には、この極端に口下手で陰気な少女が姉の替りに自分に依存していることがわかったが、もしそうならそうされるのは悪い気分じゃないと思った。
まだ好感を抱くというほどペペのことを知らないが、メッセンジャーとしての走行距離は姉に比肩するレベルということは知っている。速くて強い奴なら嫌うわけが無い。
一方ロコは学校に入った直後に予習のやり忘れに気付いたらしく、必死でスマホをいじっている。初登校の大河を案内する役目であるはずなのにエレベーターを出た途端壁に向かって歩き出し、ペペに襟首を掴まれていた。
大河はペペとロコについていく形で教室に入る。オフィスビルの一フロアを占める教室は高校というより大学の講堂といった感じだった。
「席は?」
大河があまり当てにならないロコより幾分賢そうなペペに聞くと、不器用ながら自分から話しかけることは出来ても、他人に話しかけられると返答に迷って混乱するらしきペペの替りに、ロコが無駄に偉そうに答える。
「そんなもん無いわよ。好きなとこに座ればいいのよ」
ペペが五十人は入りそうな教室の中ほどの位置に並びの空席に座り、一つずれて大河の袖を引く。大河も大人しくそこに座った。
通路横の席に落ちついた大河と、その一つ隣のペペ。座るとこの無いロコは大河を押してもう一つ詰めさせた。
ペペは席の移動を渋るように動かなかったが、大河がペペの両脇を持ち上げ、見た目通り軽い体を隣席に移動させると、満足そうに座る。
大河は家の近所に居た野良猫を思い出した。誰が通ろうとしても自分の決めた場所を動かないが、人が抱きかかえて動かすと素直に移動に応じる。
教室に続々と生徒が入ってきて、席が七割ほど埋まった頃、電子的なチャイム音と共に授業が始まる。
生徒の顔ぶれを見ると、半分がジャージ姿で、残りは作業着やお洒落とは言いかねる普段着。少なくともこの定時制高校ポラリス学園では、メッセンジャーの仕事は最大の雇用口らしかった。
サラリーマン的な教師が壇上に上がり、授業を開始する。新しく編入した大河の紹介は無し。大河は大半が昼に働いているように見える生徒の顔ぶれを見ながら、これなら人が増えたり減ったりは日常的なことなんだろうと思った。
ピンマイクを付けた教師が事前に用意した内容を読み上げる声がスピーカーから流れるだけの授業。雰囲気は大手の学習塾といった感じだが、お嬢さま学園と言われた中学に通い、相応の高校への進学を予定していた大河から見れば、レベルはかなり低い。
夜の教室で居眠りしている生徒があちこちに居るが、教師はただ片手に持ったタブレットの内容を大画面液晶の黒板に表示させ、それを読み上げるだけ。
大河はこの学校が、何かを学ぶというより、高卒というチケットを得るためのノルマを消化する場所だと思った。きっと卒業し社会に出ても、そういう時間のほうが多くなる。
夜から深夜まで、間に休憩を挟みつつ四時間の授業が終わる。途中からスマホで動画を見ていたロコは待ちきれぬといった感じで席を立ったので、大河も自分の肩に頭を預けて居眠りをしていたペペを起こし、立ち上がる。
一刻も早く帰りたい様子のロコが先導してくれるので、大河はまだ半分寝ていて足をふらつかせているペペの襟を引きながら教室を出る。
他の生徒がペペに挨拶をしている。誰も知っている人間の居ない大河には特に何も言わない。逃げるように教室を出るロコは誰からも話しかけられなかった。
満員のエレベーターに乗って、一階のホール状になった受付で大河たちは一つ上のフロアで授業を受けていたアン先輩やミルと合流した。
大河の袖を摘みながら歩いていたペペは、姉の姿を見るなり大河の横からミルの傍に移る。寂しいとも厄介払いできたとも思わなかったが、この無口な少女は一緒に居ても気疲れしないことはわかった。
居ても居なくても大河を疲れさせるロコは、少しでも早く学校を出たい様子で真っ先に外に向かっている。五人で来た道を帰り。皆の住み込む事務所へと戻った。
初めてトラックレーサーに乗った時と違い、アン先輩からは特に感想を聞かれなかった。きっと感想を気にするに値しないものなんだろう。それに、大河の頭の中はもう次の日から始まるメッセンジャーの仕事に占められている。
大河たちは事務所の上にある寮への階段を上がる。また睡魔に襲われたらしきペペは、ミルに背を押され、ちゃんと歯を磨くのよと言われつつ、自分の部屋に押し込まれた。
ミルも大河とアン、ロコに愛想よくおやすみと言って妹と隣り合った部屋に入る。部屋の作りは大河のものと同じらしい。
学校に居た時は、トイレにでも行きたいのかというくらい早く帰りたがっていたロコは、特に帰宅を急いでいない様子で眠そうに自分の部屋に入る。
アン先輩が大河に「夜食が欲しくなったら学校と反対方向に五分くらい行くとコンビニがあるからね」と言い、おやすみの言葉と共に部屋に入る。
大河もドアを開け、ビジネスホテルのような自室のベッドに倒れこむ。
この島に来て最初の一日がやっと終わった。大河はそのまま暗い穴にひきずりこまれるように、深い眠りに落ちた。
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