(8) Sisters

 大河とアン先輩は、二人の職場となるHotRingsの事務所に帰った。

 この海上都市は、学術産業拠点と銘打ってるだけあって、学生の起業を支援している。

 その制度を利用してアン先輩によって設立された、自転車メッセンジャー会社。

 学費と生活費のため、ここで働くこととなる大河は、今からここで先輩メッセンジャーと顔合わせをするらしい。

 お嬢さま育ちの大河は人と接するのがさほど得意なほうではない。新しい人間関係を構築するのに不安もあったが、ここで腰が引けていては毎日違う客と会う運送業など覚束ない。

 わたしはいつだってクール、と言い聞かせながら、雑居ビル一階のシャッターを開けたアン先輩の背を追うように、事務所の中へと入っていった。

 

 最初にここに来た時には気付かなかったが、この事務所は自転車の倉庫を兼ねている構造になっていた。

 大型車二台分ほどの事務所の端には、このスタンドの無いトラックレーサーを固定するラックがあって、その横にはスチールロッカーが並んでいる。

 スタンドの後ろには自転車の部品が幾つか置かれているが、工具はそんなに多く無い。大河はトラックレーサーを見下ろした、変速装置もブレーキも無い。

 こんな自転車なら整備する箇所もそう多くは無いだろう。この競技用自転車がメッセンジャーの実用に使われている理由が少しわかった。

 事務所の隅にあるスチールデスクに置かれたノートPCをチェックしていたアン先輩が、開け放ったシャッターの外を見た。

 直線的で見通しのいい道路の向こうから、春の夕暮れが見える。太陽が遠くの海に落ち始める頃、耳をそばだてていたアン先輩が言った。

「そろそろ帰ってくるわよ」

 夕暮れの海をバックに、自転車が近づいてきた。

 

 自転車はそのままシャッターを開けた事務所の中に飛び込んでくる。やはりブレーキはついていない。ペダルに力をこめて上手く減速させた自転車から、一人の少女が飛び降りた。

 肉体労働に似合わぬ華やかな女の子だというのが、大河の第一印象だった。

 派手なペイントが施されたヘルメットから、天然なのか染めているのか、長い金髪がこぼれ出ている。

 トラックレーサーをここまで漕いでくる姿も、事務所の中で停める仕草も、自転車から飛び降りる様も、全身の筋肉が弾ける爽やかさを感じさせる。

「ただいま!」

 発せられた声も、生まれながらに声帯と喉に楽器を授かったような音色。アン先輩が静の美しさなら、このひとは動の美しさを備えている人だと思った。

 大河の本音としては、仕事をする前から外見で既に差をつけられているようで鼻につく。


 ヘルメットを取った金髪の少女は、事務所の中に居る大河の存在に気付き、気さくに握手の手を差し出してくる。背はアン先輩と同じくらい高い。

「アンから聞いてるわ。初めまして大河さん。わたしは烏丸ミル。こっちは妹のペー子」

 そこで大河はやっと気付いた。派手で華やかな金髪の女子の乗るトラックレーサーの影に隠れるように、もう一台の自転車が音も無く滑り込んだことを。

 ペー子という女子は静かにトラックレーサーから降り、、姉の自転車の横に外見は同じながら色違いの自分の自転車を停めた。

 姉妹と称しているが、雰囲気は姉と正反対。青みがかったセミロングの髪に、良く言えば涼しげ、言葉を選ばぬならば陰気な目つきの少女は、自転車を降りるなり姉の横に無音無言のまま擦り寄っている。

 背が低く、目つきの悪いペー子なる妹が、姉のミルに促され黙って差し出した手を大河は握る。

 死体の手に触れたみたいに、冷たく固かった。

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