思考
抵抗をなくしたアムさんは、ついた先の扉の鍵を開けた。
扉の先にあったのは、個人の部屋にしては豪華な広さ。手早く明かりをつけたアムさんによって、部屋の全容が明らかになる。
床で寝ても問題なさそうなほど長い毛のじゅうたん。調度の細かいローテーブルには、気品あふれるソファがそえられる。1人用とは思えない大きさに、優雅さを感じる。
「あれは……?」
チェシイさんが指した先にあるのが、この部屋で強い存在感を放っていた。壁の半分は占領しているのではと思うほどの大きさの立派な機器。お店でしか見たことないような高級品。持つ人がいるなんて。
「買った」
まぶたをふせて、アムさんはぶつりと漏らした。
「いつ?」
母親ですら、この機器の存在を知らなかったの? 親の承諾はなくても、アムさんは自由に買物はできたのか。ロベインさんも真実は知らなかったのか、いぶかしげな視線を向ける。
唯一、ネルクさんだけは不変の起立を続ける。掃除もする以上、この事実は既知だったんだろうな。家族が知らないのを見るに、言わないように頼まれていたのかな。
「これは……再生機器だよな?」
ロベインさんの声に、アムさんは視線をそらした。やっぱりそうなんだ。お金持ちだと、耳も高貴なのかな。高級な機器で鑑賞したかったのかな。
「そう……とも言う」
再生機器を買った程度、家族に話してもよさそうなのに。しなかったんだ。
黙っていたせいか、ロベインさんの疑念の色が強くなる。アムさんはうつむいたまま、口を閉ざし続けるだけ。さっきまでの強気な反抗を潜めている。
疑惑の目はあれど、ロベインさんも続く声はない。その理由は誰もがわかっていると思う。立派な再生機器であろうと、現場にあった再生機器の遠隔操作はできない。
アムさんの許可を得て、室内に怪しいものがないか全員で調べさせてもらった。特段怪しいものはなく。
うちは、ぼんやりとひっかかりを感じた。
「いい? あたしは遠隔操作なんかできやしない」
「あるいは、他に隠したのか」
物色程度だと、ロベインさんの疑惑は晴れないのか。横目で見つつ豪華な再生機器を確認したら、やっぱりあった。
「ラジオ、聴いたりします?」
再生機器にあった『ラジオ』のボタン。この機器はラジオも聴取できるんだ。
「えっ……なっ」
吃音を漏らしたアムさんを瞠目して見るチェシイさん。ロベインさんも鋭い視線を刺した。
一瞬にして、鮫肌のようになった空気。
……なにこれ、悪いこと言っちゃった?
ここまできたら、もう退けない。
「機器でラジオは聴けますし、これもあったので」
部屋で見つけた、別の機器を指す。
大型犬程度の大きさのそれは、遠くに文章を送れる機器。ラジオの投稿コーナーも、この機器でリスナーからお便りをもらってなりたつ。
ラジオ投稿に限らず、同じ機器を持つ友達同士で連絡する目的かもしれないけど。チェシイさんやマヌーさんの部屋では見かけなかった。友達との連絡目的なら、家族全員に買い与えられてもよさそうなのに。ラジオを聴ける環境があるなら、もしかして聴いて投稿とかをしているのかなとよぎった。
「まさか……そうなのか?」
一向に口を割らないアムさんにしびれを切らしたのか、ロベインさんの声はトゲトゲしい。事件以降ずっと気が立っていて、ロベインさんの地声がもう思い出せない。いや、うちは最初から疑われたし、元々地声は知らないか。
「低俗なものを聴いているのか?」
まさかのラジオの愚弄に、怒りがわきかけた瞬間。
「ラジオをバカにしないでっ!」
アムさんの声が、部屋中をつんざいた。
静まり返った部屋に、アムさんは自身の発言がよぎったようで。
勢いよく顔をあげたアムさんは、ぴりついた空気の周囲を見回す。
もしや、この家はラジオとかいけなかったの? お金持ちは娯楽は楽しんじゃいけないのかな。
「そうだよ。あたしはすっごくラジオが好き! 疑うなら、証明してあげるよ!」
ひそめたロベインさんを気にとめないで、アムさんはヤケのような言葉を続けた。
「部屋に戻って、ずっとラジオを聴いた! 投稿もして、採用された! 内容、言おうか!? 局に確認したら、合致するから!」
「そんなの録音――」
再生機器に移しながらのロベインさんの言葉は、続かなかった。その機器に録音機能はなかったから。家捜しでも、録音に使えるものはなかった。この大きさの再生機器を持ち歩くなんて不可能だ。リアルタイムで聴く以外で、アムさんがラジオの内容を知ることはできない。
「どのラジオを、どれだけ聴いていた? さわりを聴いてから父上を殺して、そしらぬ顔で食事に来たんじゃないか?」
とまらない尋問に、アムさんは一瞬たじろいだ。言わないと疑惑は消せないと悟ったのか、泳がせた目をまっすぐ向ける。
「ヒッピーラジオ局の『すぐにでも立ち去る覚悟デス!』の第1部!」
「えっ!?」
驚きの声が漏れたのは、うちだけだった。他の人はラジオに無知みたいだから当然だろうけど。
「知っているの?」
チェシイさんの質問に、答えていいのか迷った。目配せを送ったアムさんは、髪をかきあげて強気を見せる。
「いいわ。疑惑が晴れるなら安いもんよ」
安い……で済めばいいけど。許可が得られたし、説明してもいい、のかな。
「その番組はなんと言うかその……ゲス系と言いますか。下ネタ、浮気、その他……そんな投稿でなりたってるんです」
ヒッピーラジオ局は、コンプライアンスに真っ向から立ち向かうような姿勢が最大の特徴。
そのラジオ局が深くもない時間帯に、ここまで過激なネタで勝負するとして話題になった。クミラジでも、ほぼわかる伏字でふれていた。うちも何回か聴いたけど、予想以上だった。この時間帯で伏字なしでここまでいいのかと、ラジオの可能性を知った。番組タイトルも『終わらせたいなら終わらせやがれ』精神にあふれて、清々しい。
「ラジオネームは『他人の洪水で喉をうるおす』ね」
「えっ!?」
ヤケで続けられた暴露に、衝撃のおいうちをかけられた。そのラジオネームは知っている。
うちが聴いた数回の中で、その名前の投稿があった。他を超越した過激さで、パーソナリティもうなっていた。
クミラジでも、その名前の投稿があった。あまりにも過激な内容に、クミントップスはセルフ伏字で読んでいた。『時間帯を考えて送って』と毎回さとされている。
覚悟を決めたのか、アムさんは堂々たるたたずまいだ。さすがに投稿内容までは言えない。疑いを晴らすためにラジオ局を調べられたら、結局わかるだろうけど。
「アムさんが食卓に来られた時間には終わってます」
そのあとも第2部、第3部と続く。どれも過激ネタなのは変わらない。部ごとにパーソナリティは変わって、反響が悪いパーソナリティはあっさり降板。容赦ないシステムも話題になった。
おずおずと続けたうちに向けられたのは、苦い顔のご家族だった。過激ネタのラジオを聴いている、投稿もしていると知って、さすがに反応に困ったのか。
アムさんの言葉づかいの荒さは、ラジオの影響だったのかな。あるいは、性格がきっかけで過激なラジオを求めるようになったのか。
チェシイさんの不貞がわかった際も、内心『ラジオに投稿できる』と心躍っていたのかもしれない。親族の話は、さすがに喜べない? 不快そうな態度も、実は演技だったのかな。自分の家族の話だと、ラジオのように楽しめなかっただけ?
微妙な空気を打ち破るかのように、アムさんは紙を突き出した。
「ラジオの内容と投稿内容、採用日時。書いたから。確認する際にどうぞ」
奪ったロベインさんは、内容に一瞥もなくネルクさんに渡した。黙礼したネルクさんは、内容を確認してからしまう。
今回、どんな内容だったんだろ。気にはなるけど、とても聞けはしない。空気をより悪くするのは見えている。
ネルクさんは顔色も変えないで確認していた。過激ネタ、平気なのかな? 平静を装っていただけ?
ここまで自信にあふれて主張するアムさんを疑う気をなくしたのか、ロベインさんは視線をあわせようとしなかった。単純に、妹が過激ラジオのトリコだった事実に、目も当てたくないだけ? あるいは、過激ネタが苦手だったりしたのかな。渡された紙、見もしなかったし。もしや、プレイボーイではなかったのかな。
「知人に教えてもらった可能性もある」
ロベインさんの視線の先には、遠くに文章を送れる機器があった。知人にラジオを聴くように頼んで、詳細を送ってもらう。記憶して、自信たっぷりに発言する。できなくはない。
「紙、見つかった? 発信履歴もどうぞ」
家探しでは知人から送られた紙は見つからなかった。紙1枚ならどうにか隠せる可能性はある。
ロベインさんは機器に近寄って、発信履歴を調べた。表情が、ほのかに嫌悪に変わる。ラジオ局に向けた履歴があったのかな。
それ以外の反応はなく、ロベインさんは調査を終えた。めぼしい発見はなかったらしい。履歴を手動で消す機能もなかったんだ。
アムさんが外部からラジオの情報を知ることは不可能。
「遠隔操作機器捜索、続けますかい?」
バーデさんの問いに、ロベインさんはかろうじて首を横に振った。明らかに消沈した姿は、妹の真実の精神的ダメージを物語る。
「犯行時間を考えるに、個人の自室にはない」
マヌーさんが部屋にいた間に発生したであろう犯行。その間に自宅にいた時間があるのは、ロベインさんとアムさん。発言者のロベインさん自体が隠していないと信じるなら、そう考えるのが賢い。
「兄様が潔白として話が進むのは納得いかない。調べさせて」
腹いせなのか、疑惑を解消しないと気が済まないのか。あるいは、兄の部屋にラジオのネタを求めているのか。
したたかな言葉に、ロベインさんの視線がゆらりと向く。
「一切ない。見るだけ無意味だ」
「兄様自身の疑惑を晴らせるでしょ」
形勢逆転と言わんばかりに、胸を張って強気な言葉を続けたアムさん。ロベインさんは焦りこそ見せないけど、かすかにひそめて不快をほのめかす。
「……荒らしはしないなら」
「快諾に感謝するわ、兄様」
嫌みな言葉を吐いたアムさんに続いて、全員でロベインさんの部屋に向かった。
施錠をといた先に広がる部屋は、当然のごとく広かった。
ターコイズのシックな無地のじゅうたんで、アムさんの部屋とは違う印象だ。一切の絵画や調度品のない壁はシンプル。部屋を占める家具も、他の部屋にあったものと比べると装飾が静か。おまけに個数も少なくて、他より広く感じる。唯一異なる点は、本がみっちり詰まった本棚が多いこと。これまで来た3部屋で最も多い。かすめる背表紙からも、内容の難解さがにじむ。広々とした机には本や紙が詰まれて、勉強家の面をのぞかせる。
容赦なく探りをいれるアムさんを、ロベインさんは黙って見ていた。干渉したら『隠蔽工作をした』と疑われると思って控えているのかもな。事実、血眼で部屋を見るアムさんは、どうにか荒がないか必死に見える。
うちはアムさんを見つめるだけにする。他の人も室内やアムさんに視線を送るだけで、手を動かしはしなかった。
結局めぼしい発見には至らなくて、アムさんはねめつくような目で戻ってきた。
「満足か?」
家捜しする妹にラジオダメージが薄れたのか、受容できたのか、口調は冷酷なものに戻っていた。
「なによ……エロも女装もないじゃない」
かすめとれた声は、聞こえなかったことにしよう。他の人には聞こえてなかったかもしれないし。
「遠隔操作機器はどこにあるのよ」
「他の部屋に隠したか……あるいは、窓から投げ捨てたか」
するりと漏れた可能性に、全員の視線が自然に窓に移る。無地のネイビーのカーテンが閉められて、外の景色は見えない。
「持ってたら、疑われますもんね。捨てるのが自然すか」
納得の点頭をくり返してバーデさんは発した。
再生を押すだけ。もしかしたら停止もだけど。用が済んだら、自分の周囲から離すほうが自然だ。持っていたら疑惑を向けられるしかない。
「この暗さで見つけるのは、骨が折れる。見つかったとして、誰が捨てたのかわかるわけでもない」
自室だからなのか、ロベインさんの声は冷静だった。
「自警団が来るまで、待つしかないの?」
チェシイさんも平穏に戻ってはきているけど、拭えない不安がかすめられるのは変わらない。
「こんな状況で、待つしかないん、ですか」
誰に向けたのか、独り言なのかわからない、フレッソさんの声。
「兄様はこれでも内部犯って言うの?」
「そう考えるのが自然だ」
自室で死んだマヌーさん。
死んだと思われる時間、うちはチェシイさんとネルクさんと一緒にいた。2人に犯行は不可能かと思う。共犯の可能性がある以上、それだけで犯人候補から外すのは早急。
共犯なり、利用なりであれ、誰かしらマヌーさんに手を下した人がいる。
「わいらの中で、できそうな人はいないんでしょう?」
「バーデは? 隙を見て、殺しに出たんじゃないの?」
アムさんの疑念に、バーデさんは大げさに両手を振って否定した。
「違いやすよ! ずっと料理したって話したじゃないすか!」
「作り置きしたらいいでしょ!」
「無理ですよ! この家、保管庫がないんすよ! 作り置きなんて腐ったにおいがして、すぐバレやすって! 腐ってやしたか!?」
反論に、アムさんは黙った。『あの味は腐っていない』と自らの舌が証言したんだ。
「作り立ての熱々だったでしょう!」
「そうよ。あたたかかったわ」
同意を求めるようにチェシイさんの視線が、うちに飛ぶ。遅く来たアムさんはわからないかもしれないけど、湯気が出るほどだった。点頭で答える。
「調理場で腕を振るうバーデは、私も目撃しております」
「バーデさんの声も聞きました」
ネルクさんの証言で思い出して、うちも続けた。怒鳴りに何度びっくりさせられたことか。
「その時間だけ作っているように装って、隙を縫って出たんだ!」
「ネルクがいつ来るかもわからないのに、どう隙をうかがうんですか! 旦那様の部屋まで遠いですし、往復時間ネルクが来ない確証を得られやせんよ!」
ごもっともと思ったのか、アムさんは悔しそうに唇をかみしめた。
食卓から現場までの距離は結構あった。調理場に向かったネルクさんが食卓に戻るまでの時間を考慮するに、調理場から現場までも同じくらいに時間がいる。
長い往復時間、ネルクさんが調理場に来ないと信じて犯行に及ぶ。リスクがありすぎて、選ぶとは思えない。
「行き帰り、部屋でその……及んで、証拠を投げ捨てて、着替える。時間かかりすぎて、できやしやせん」
「着替え?」
今までの話題にない単語に、チェシイさんが声を漏らす。
「あ、はい。その……返り血、あると思うんすよ。わい、食肉とか扱うんで、そうかなって」
詳細な想像を呼び起こさせないためか、自身の疑惑を鑑みてか、歯切れの悪い言葉だった。
内容は納得だ。刺殺なら、返り血をあびそうだ。
誰もが互いの服を見あったけど、血のシズクすらうかがわせない。バーデさんとフレッソさんの服は仕事柄か、多少のよごれはある。どれも人の血とは思えない。掃除とかをするネルクさんの服に一切のよごれが見つけられないのは、さすがの仕事ぶりだ。
「考えの及ばないバカはいない。着替えを準備したに決まっている」
唯一ロベインさんだけがその事実に気づいていたのか、誰も見回すことはなく冷静に言葉を続けた。
「あたしは無理よ。女の着替えは大変なのよ」
窮屈そうに腰を締めるコルセットは、着替えるのは大変そうだ。同じようなドレスをまとうチェシイさんにも言える。
「服を着替える必要はない」
淡々と続けたロベインさんに、アムさんはいぶかしい視線を向けた。
「まさか『服を脱いでからやった』とでも言うつもり? 脱ぐのも時間がかかる――」
「服の上に着て、犯行に及べばいい」
完全に考えていなかった方法なのか、アムさんの反論がとまる。
返り血がかかるとわかっているからこそ、今着る服の上に血でよごれてもいい服を着る。その服を脱いで処分するだけで済む。
「血が付着した服は、遠隔操作機器などと一緒に破棄したんだろ」
個人の部屋を見ても発見できなかった遠隔操作機器。外に投げ捨てられた可能性が濃厚なのかな。投げても、服は遠くに飛びそうにはない。いや、重いものをくるむとかして投げやすくしたらいける?
だとしても、遠隔操作機器に血がついた服。誰にも見つからないように窓から投げ捨てるなんてできる? 遠隔操作機器を服でくるんで、投げる回数を1回にしたとして、どこにいるかもわからない館の人に完全に死角になるように捨てられる?
フレッソさんは『館に侵入した』っていう隠された事実もあった。犯人も事実を知らなかったら。フレッソさんに見つからない死角なんて、想定しようがない。そのフレッソさんが投げられるものを目撃していないわけだ。
投げ捨てたとして、自警団の捜査で見つかるのは時間の問題。自警団の到着までに回収できればいいと思っているの? だったら、回収できる場所に投げ捨てたと考えるのが自然。馬車の操縦者も雇わない家だ。全員、周囲の土地勘はあると考えてよさそうだ。
馬に飲ませる、はないよね。大きさによっては、遠隔操作機器は強引に飲ませられるかもしれない。でも服は無理だ。返り血を隠せるだけの服だ。細かく刻んだとしても、結構な量になるはず。馬にすべて飲ませられる確信はない。時間もかかる。
馬車に隠すのも違うよね。すぐに発見される可能性はある。裏にとめてあるらしい馬車。向かっているのを目撃される可能性も捨てられない。馬車は無関係だ。
「返り血はなんの情報にもならないじゃん」
アムさんの言葉に、バーデさんは黙った。着替えの時間がない可能性をつぶされただけなのに、精神的には結構なダメージになったのかな。
「母上の追加注文がパターン化していて、ネルクの来る時間が推測できたんじゃないか?」
おいうちをかけたのは、ロベインさんの言葉だった。一瞬ひるんだバーデさんは、すぐに反論の口を開く。
「仮にわかったとして、きょうやると思いやすか!? イレギュラーがいるんですよ!」
イレギュラーとは、考えるまでもなく突然の客人のうちだ。
初対面どころか、あの瞬間は対面すらしていなかったうち。追加注文するのか、いつするのか読むなんてできない。犯行に及ぼうとしていたとしても、この事態を知った時点で見送るのが自然だ。
「わいはずっと調理場にいました。間違えありやせん」
まっすぐな目で潔白を証明するバーデさんに、あがる声はなかった。基本的に1人でいながら、一見隙のないアリバイだ。崩せる道はあるのかな。
ロベインさんは疑念の視線をゆるめてはくれない。『うちとバーデさんが共犯だったら、追加注文とかの話は片づく』とても思っているのかな。共犯を疑われたら、バーデさんも怪しくなる。
「じゃあフレッソ!? あんたが最も怪しいからね!」
急に向けられた矛先に、フレッソさんは恐怖にそまった瞳でおののく。
「フレッソはする理由なんて――」
「母様は黙って!」
擁護を切り裂いたアムさんは、両肘に手をそえてまぶたを閉じた。突ける箇所がないか探っている様子だ。
「毎晩、館に忍び込んだなら、詳しくなる。潜む場所、隠し場所、行動パターン……あらゆる情報を探れる」
「そうよ! 口論を録音したり、部屋に設置したりもできる!」
ロベインさんとアムさんのダブルヒットに、フレッソさんは口をがくがくと震わせるだけだった。発したい言葉はあるのかもしれないけど、声として届きはしない。
「無理よ。施錠されているのに、いつ設置するの?」
反論の代弁をしたのは、チェシイさんだった。
「鍵を閉め忘れた際を狙うとか、盗むとか……あるじゃん!」
「それだとして、フレッソに機器を使いこなせますか? あのタイプの機器、扱いは困難でしたよね?」
気になった点をうちが指摘しても、2人の疑念は不変の様子だった。
「殺したい思いがあるなら、その程度は覚えられるでしょ!」
それを言われたらおしまいだ。これ以上の言葉をやめる。
「犯行に及んだ直後、俺に見つかった。逆にそれを利用して、俺に口論を聞かせるように動いたんだろ?」
「違、います」
消えそうながらも、しっかり否定した。
ロベインさんたちの推理は、一見筋が通っているように見える。行動パターンとかを調べて計画を練って、手紙の細工をして、殺害。運悪くロベインさんに見つかったけど、機転を利かせて細工した口論を聞かせた。追われる中で殺害に及ぶとは思われないから、事実上アリバイ工作はできたとも思える。
「フレッソさん、この家を訪ねたうちと会ってます。イレギュラーが来たという意味では、フレッソさんも同じ。探りまくった情報が使えない状況で、わざわざ犯行に及ぶでしょうか?」
この屋敷を訪ねた際、最初に会ったのが庭にいるフレッソさんだった。『うちが訪ねた』という事実を知ったフレッソさん。どんな動きをするかわからないうち。どんな応対をするかわからない家の人を前に、わざわざ犯行に及ぶ?
「機器を設置して、手紙で時間指定もした。本日中に済ませないと怪しまれると懸念したんだろ」
ロベインさんの言葉はもっともだ。『話がしたい』という手紙に従って待っても、誰も来なかったら。次に同じ手紙を送っても、マヌーさんは信じなくなるかもしれない。まともに相手をしてくれなくなるかもしれない。マヌーさんがアムさんに手紙について聞いて、偽装がバレるかもしれない。ネルクさんの掃除で、部屋に設置した再生機器が見つかってしまうかもしれない。数々のリスクはある。
「殺害したのがバレる可能性を考えたら、多少怪しまれるのは諦めがつくんじゃないですか?」
怪しまれたら、同じ方法は使いにくくはなる。手紙は機能しなくなるだろうし、見つかる前に機器を回収する必要もある。
「新たな策で挑むほうが自然かな、と思うんですけど」
うちの意見に、フレッソさんはこくこくと小刻みに点頭した。無実を証明したいんだろうけど、その反応は。本当に殺害計画を練っていたかのように見えてしまうから。
「誰が犯人なのよ」
次々と消えていく可能性に、アムさんは覇気を失っていく。
「フレッソをかばう以上、客人こそ真犯人ではないのか?」
「うちはずっとチェシイさんと食事をしてました」
アリバイを主張しても、ロベインさんの強い嫌疑の目は変わらない。理由はすぐにわかる。
「実行犯のフレッソをかばって、自身の罪すら隠そうとする魂胆か」
やっぱり、そう来たか。この家の人とは、全員初対面だ。証明する手段がないから、疑惑を晴らす方法がわからない。
「……少なくとも、うちは実行犯ではないと信じてくれたんですね?」
確固たるアリバイがある以上、うちは犯行に及べない。
「さすがに3人が結託して偽証するとは思えない」
食卓にいたのが、うちとチェシイさんだけだったら。『浮気でつながる2人と、金で雇われたうち』という構図で疑われ続けたのかもな。ネルクさんの証言が加わることで、ロベインさんを信じさせるだけの情報にはできたみたい。
「うちを疑っても、誰とつながってるのかしか推理しようがないじゃないですか。実行犯を考えるほうがいいですよ。うちは犯人ではないですし、推理に無駄がありません」
ロベインさんがうちと実行犯のつながりを見つけられないのと同じで、うちが他の誰ともつながっていないと証明する手段もない。うちを疑っても、一切の証拠がない推論にしかならない。そもそもうちは犯人ではないし、うち自身がやる意味を感じない。やられたくない。だったら、実行犯を推理するほうがいい。それならうちを疑うロベインさんも、推理する理由になる。
「そもそも正面から訪ねて、事件を起こす? 真っ先に疑われるじゃん。こそっとやって、逃げ帰るほうがいいって」
意外にも、アムさんが擁護の言葉をくれた。賛同してくれたのか、チェシイさんが小さく点頭している。
「真意も教えられないまま『この時間に家を訪ねろ』と金で雇われた可能性も……いや、だったらとっくに雇った者を吐いているか」
論破途中で自己解決に至ったのか、ロベインさんの言葉は徐々に小さく消えた。
「ちなみに、本当に雇われてないです。おはずかしながら迷ってしまって。『野宿も嫌だな』とお訪ねしたまでです」
事情を知らない人もいるかもしれないから、改めて伝える。いっそ、野宿したほうがよかったのかな。思っても、あとの祭り。
「複数犯だとしたら、実行犯をとらえたら仲間もわかる」
ロベインさんの視線が、ゆらりとアムさんに動く。
「いやっ、あたし無理だし! ラジオ局に聞いたらわかるから!」
視線の意味に気づいたのか、アムさんは無実を証明してネルクさんを指した。ネルクさんに渡したラジオの内容や投稿を書いた紙が証拠だと言いたいんだ。まだ確証は得られていないとはいえ、ここまで自信があるからには真実と思っていい。
「その紙、オープニングトークやエンディングトークは書かれてますか?」
どちらかが欠けているなら、番組の途中で部屋を出た可能性が出る。
「『オープニングでこんな話があった』や『エンディングでこの話題があった』などの記述はありました」
「疑うなら、見る?」
アムさんの許可を得て、紙を見せてもらう。予想したままのゲスい内容だ。
オープニングの話題に始まり、投稿された内容、それに返されたパーソナリティの反応、エンディングの話題。アムさんが投稿して採用されたネタ、投稿したけど採用されなかったネタもあった。放送時間を考えるに、投稿内容は書かれた数と同程度。うちが前に聴取した際も、この程度だったと思う。
つまり、アムさんはこのラジオをしっかり最初から最後まで聴取していた。内容をここまで覚えているんだし、集中して楽しんでたんだ。
「ありがとうございました」
確認を終えて、紙をネルクさんに返す。
「どう?」
「開始から終わりまで、番組を聴いていたみたいですね。愛も伝わりました」
完全に開き直ったのか、アムさんは胸を張って堂々と笑うだけだった。家族の反応もなくなっている。
番組終了まで聴いて、現場まで駆けて殺害。着替えとかの証拠を破棄して、駆けて食卓に。間にあいはしない。アムさんの部屋の場所から現場、現場から食卓まで走ったら結構な時間がかかるから無理だ。
食卓に来た際、アムさんに一切の乱れはなかった。髪や服は部屋に入る前に整えたとしても、走って荒れた呼吸まではそうはいかない。そもそも動きにくそうなロングドレスでどれだけの速さで走れるか、いささか疑問が残る。
「あたしは潔白よ。ラジオが証明してくれる」
アムさんに犯行はできそうにない。
「わたしとネルクにも無理よ。それはわかってるわよね?」
うちとずっと食事をしていたチェシイさん。つきそっていたネルクさん。アリバイはある。
「私は調理場に行くために、席を外すことはありました。ですがバーデと同じ理由で、私に犯行は及べません」
追加注文で調理場に向かったネルクさん。その間に現場に行くなんて、時間的に無理がある。
「残ったのは、兄様しかいないわよ。お認めになったら?」
勝ち誇った笑みでアムさんは続けた。
バーデさん、フレッソさん、うち、アムさん、ネルクさんに犯行の実行は無理と結論づいた。チェシイさんはアリバイがあるから、少なくとも実行犯にはなれない。残されたのはロベインさんしかいない。
「食事を終えてからは、ずっとフレッソを追いかけていた。俺にいつ、そんな隙がある?」
「兄様自身がフレッソを買収したんでしょ? 口論を聞いたってのも、そもそもあの部屋を通りかかるのが怪しいじゃん!」
食卓からかなり遠かった現場。追いかける過程で偶然通りかかる可能性があるのか、よくわからない。
「俺は雇っていない」
「は、い……僕、庭師として以外、雇われて、ません」
自分が疑念の中心にいると思ったのか、フレッソさんはおびえまじりの声で疑惑を払拭した。言うだけならできる。だからこそ、疑いを晴らすには弱すぎる。
「仮に俺がやるなら、もっと信頼にたる機転の利く者を使う。わざわざフレッソなんて使わない」
「その心理を逆に利用して――」
「ない」
争いを始めるロベインさんとアムさん。自身がひどい言われようをしているのに、フレッソさんはあたふたと見るだけだった。ののしられるのにはなれているのかな。事実、チェシイさんもあからさまに励ます様子をのぞかせはしなかった。
「その考えがあるなら、頭がゆるいフリをした者を雇って家にいれる。そこまで工作をしないと、危険を感じて集中できない」
「どんだけ信頼がないのよ」
「犯罪を犯すのなら、それだけ慎重になるのが自然だ。……もっとも、今回の犯人はそうではなかったようだが」
ナイフを持ち歩いて、初対面のうちに疑惑の言葉しかかけなかったロベインさん。犯行に望むのなら、慎重な行動をとるであろうとは納得できる。逆に、周囲がそう考えて容疑から外す可能性を考慮して、あえてこの道を選んだ可能性もあるわけだけど。
「まだ見つからないにせよ、ここまで証拠を残すやり口を選んだんだ。あきれるほどバカなのには変わりない」
挑発的な言葉を放ったロベインさんは、一同を見回した。かすかにでも反応を示す人がいないか、探る目的だったのかな。心当たりのないうちは無反応で終われた。もし反応していたら、疑念の目が増したかも。
「犯行に及べる人がいないじゃないですかい? 誰がやったって言うんですか」
「兄様とフレッソが共犯と考えたら、成立するでしょ」
アムさんの中ではもう確定しているのか、犯人に送るような冷たい視線で兄を刺す。視線に気づいていないかのように、ロベインさんは身じろぎすらしない。
「違う」
「僕……なにもしてま、せん」
2人の否定の声は、部屋にむなしく消える。
「フレッソが実行犯とするなら、誰でも共犯になりえるのを忘れるな」
続けられた言葉に、誰もが沈黙を作った。フレッソさんも口を開いた。否定を続けても意味はないと悟ったのか、言葉にはならなかった。
実行犯はフレッソさん。
そう考えたら、誰もが犯行可能になる。アリバイがあるチェシイさんでさえ。
ロベインさんが共犯でないとしたら、見つかって追いかけられるというミスはあった。だけど、それだけで。
共謀した真犯人は現場を見られなかった事実、証拠を捨てる瞬間とかの決定的瞬間を見られなかった事実をほくそ笑んでいるのかもしれない。
誰が真犯人? フレッソさんが実行犯として考えていいの?
……考えをまとめよう。
この家に住むのは、マヌーさん、チェシイさん夫妻。子供のロベインさんとアムさん。住み込みの下働きでメイドのネルクさん、料理人のバーデさんもいる。マヌーさんに嫌われて、庭師のフレッソさんは住み込みどころか館に入れてももらえなかった。実際は忍び込んでいたけど。
家に帰ったアムさんと口論したマヌーさんは、怒って部屋に戻った。時刻は8時前だったと推測される。
アムさんは部屋に戻ったけど、うちとチェシイさんで食事を始めた。8時半頃にネルクさんがロベインさんを呼びに出て、ロベインさんも食事に加わった。9時少し前にロベインさんは食事を終えて部屋に戻った。その途中、フレッソさんを見つけて事件発覚まで追いかけっこをした。口論もその際に聞いたらしい。
9時少し前にアムさんが食事に来た。ラジオを聴き終えてから来たと思われる。それからアムさんは、ずっとうちたちを食事をしていた。
姿を見せないマヌーさんに疑問を持って、うちとチェシイさんとで部屋を目指した。ネルクさんとアムさんは同行しなかった。
……考えても、現場に行く隙があるかわからない。
もっと単純に、動機とかで考えるべき?
動機がありそうに思えるのは、3人かな。
フレッソさんと浮気していたチェシイさん。フレッソさんに本気になって、夫が邪魔になったのか。浮気がバレて、口封じか。ケチとかの不満も抱えていそうだった。不満が積もりに積もった顛末か。
日々口論していたらしいアムさんにも、怪しいと思えるだけの要素はある。殺意を抱いてもおかしくはない。自分の口論なら、録音も簡単だ。疑われないために、あえて自身に不利になる工作をしたとも考えられる。
動機が強そうなのがフレッソさん。浮気関係の動機は、チェシイさんと同様にある。他にも館に入れてもらえない。住み込みを許されない。冷たい態度とかもあったみたいだ。
ネルクさんやバーデさんも、休暇のない労働環境という面では動機になる。やめることすら許されなかったのなら、終わりを求めて犯行に及んだと考えられる。チェシイさんたちは同情を送っていた。相談したら解決できたのではと考えると、他の人より動機としては薄い。
ロベインさんは今まで話した限り、動機になりそうなものは見つけられない。隠された愛憎があるかもしれないし、動機が見つからないだけで候補からは外せない。ネルクさんの労働環境をめぐってのトラブル、とかならあるかな。
……動機だらけだ。『愛憎渦まく』なんていう、安いキャッチコピーが使えちゃうじゃん。お金持ちって全員、こんななの?
どれだけ考えても、活路が見出せない。
実行犯は誰を考えよう。
食卓から現場まで、約10分かかるらしい。自室に帰るのも嫌になるほど広い。
歩いた場合の時間だろうから、走ったら時間は縮められるはず。
だとしても、往復で20分以下はかかることになる。かなりの時間のロス。
うちとずっと一緒にいたチェシイさんは、実行犯としての容疑から真っ先に外れる。調理場での往復はあったネルクさんも、現場を行き来する時間はなかったから除外。
調理場にいたバーデさんは、ネルクさん以外の目撃証言はない。いつ来るかわからない追加注文を考えると、約20分のロスは大きい。追加注文がパターン化していたとして、行動の読めないうちが来た以上、その情報は使えなくなる。
ネルクさんと共謀して『バーデさんは調理場にいた』と証言してもらったら、できなくはない? 調理場に再生機器を置いて、ネルクさんが調理場に来た際にバーデさんの怒号を再生する。事前に作った料理をネルクさんがあたためなおしたらできなくはない? 直前に作ったのなら、腐ったにおいはしないはず。腐りにくい、あたためなおしたことに気づかれにくいメニューを選んだら、料理を怪しまれにくくなる。
いや、追加注文のメニューまで予想して準備できる? パターン化していたならいけるかもだけど、万一がある。そもそも追加注文で頼むメニューがパターン化しているなら、バーデさんが責められた際、ロベインさんがとっくに指摘するはず。少なくとも、注文するメニューのパターン化はなかったと思っていい。
館に来た際、料理の香りがした。事前に作ったら、香りでバレる。ウン時間煮込む料理も一緒に作って、香りをごまかした? いまいちしっくりこない。
追加注文はネルクさんが作った、とか? バーデさんと同レベルの味を再現できないと、チェシイさんに疑問を持たれかねない。どの追加注文にも完璧に応えられるように、あらゆる料理をバーデさんレベルまで鍛える……そこまでして、今回の犯行方法を選ぶメリットを感じない。
ネルクさんとバーデさんの共謀説は、いまいち決定打に欠ける。
ロベインさんはうちたちを食事を終えたあと、1人になる時間があった。9時少し前に食事を終えて、マヌーさんの遺体を発見したのが10時すぎ。現場を行き来できるだけの時間は一応ある。フレッソさんを見つけて追いかけたのが、アリバイになるんだろうけど。
フレッソさんと共犯だったら、証言は無効になる。ロベインさん本人は『フレッソを利用するなんてありえない』とは話したけど、そう思われるのを見越して利用したとしたら。ナイフで脅すのも『関与を疑われないためにやる』と事前に説明したら、裏切られたと誤解されて『利用された』とバラされる心配もない。
それだと疑問になるのが、どうしてフレッソさんは館にい続けたのか。
門は、窓から見えるから逃げられなかった。毎晩のようにチェシイさんの部屋に忍んでいたから、今回も怪しまれないように続けた。それだけで片づけていいの?
ロベインさんは、チェシイさんとフレッソさんの関係を知らなかった様子だった。そう考えると『犯行後はいつもみたいに帰れ』と指示したと思う。なのに、実際はチェシイさんの部屋で見つかった。この事実を前にナイフを突き出したんだとしたら……フレッソさんは恐怖でぽろりと『利用された』と漏らしかねないんじゃないかな。ロベインさんならその程度を見越して、あんなに過激に脅したりはしなさそう。
ロベインさんとフレッソさんが共犯とは、どうも納得できない点がある。
ロベインさんが実行犯? だとしても、フレッソさんとの追いかけっこって証言が邪魔をする。犯行後に遭遇して、目撃されたと思って追いかけたとか? ナイフを向けたのも「余計なことを話したらどうなるかわかるな』の脅し? ロベインさんにしては穴が多そうな犯行なのも、疑いから逃れるための演出? 決定打に欠ける。
だったら、アムさん?
すぐに部屋に帰ったアムさんは、ずっとラジオを聴いていた。アムさんが持つラジオが聴ける機器は、持ち運びもできない大きさで録音機能もない。部屋でリアルタイムで聴くしかない。内容を詳細に書いていたから、本当に聴いていたと考えていい。
9時少し前に食事に来た。ラジオの終了時間的に、ラジオを聴き終えてから来たと思う。現場に行く余裕はない。
うちたちが食事を終えたあと、一足先に部屋を出た。とはいえ、そのあとにうちたちが様子を見に来ると推測できた以上、あの隙間に犯行に及ぶとは思えない。
フレッソさんは最も自由に動けた時間があったと思える。ロベインさんの食事中になにをしていたのか、証明する人がいない。その間に現場に来て、犯行に及べる。帰りにロベインさんに見つかりはしたけど、工作した口論を聞かせるという機転に変えた。
最もそれらしい流れだ。
ひっかかるのは、どうしてチェシイさんの部屋にいたかになる。犯行直後、隙を突いて館を抜ければいい。仮に見つかっても『仕事が長引いた』とか適当な理由をつけたほうが、よっぽど怪しまれなかったように思える。チェシイさんとの関係も隠せる。館の中で見つからないように気をつけて、逃げたほうがいい。
唯一、チェシイさんにだけは部屋に来なかった理由を疑問に思われて、犯行との関与を疑われるかもしれない。チェシイさんのあの態度なら、フレッソさんをかばいそうだ。チェシイさん自身も『不貞を隠す』というメリットがある。館から帰るほうが結局いいと思えてしまう。ロベインさんに見つかったことで動転して、正しい判断ができなくなっただけ?
こうして考えたら、実行犯になりうるのはロベインさんとフレッソさんの2人だけ?
この2人を実行犯と仮定した推論も、決定打に欠けるものばかり。このまま推理を進めていいの?
見逃していることはない? ひっかかったことはない?
部屋をおおうネイビーは、晴れることのない推理を表現しているみたい。アリバイ、消えた証拠、工作、現場との距離……どれもこれも推論にもやもやを届けて。
……ぷつり、となにかが刺さった気がした。なにかの記憶がかすめたような。
熟考の世界に入って、ようやくつかむ。
今までずっと失念していたけど、あるいは。
「あの……」
おもむろに口を開く。重苦しい空気に漂う視線が向けられた。疑念、恐怖、憔悴……それぞれの表情を浮かべている。
「この家って、転移石……使えます?」
うちの質問に、母娘は小さく息をのんだ。考えていなかったのは、2人も同じだったみたい。
「使えるわ。倹約のせいで、この家には転移系の移動装置はないのよ」
誰もが徒歩移動だったから、そうだろうとは思っていた。マヌーさんも、自室まで10分の道のりを歩いていたとは。時は金なりの精神が一切ないんだ。
「自宅の移動に、消耗品の転移石を使う者はそういない」
「疑われないようにするためには、自宅で使うこともいとわないのではないですか?」
うちの返しに、ロベインさんは無言でにらむだけだった。慎重派なロベインさんだ。納得したんだろう。
「今回の事件に転移石が使われたって言いたいの!?」
「可能性として考えただけです」
その可能性が紡ぐ推論が当たっているのか、まだ確信が持てない。
「転移石を持っていないか、身体検査でもしたいって言うの!?」
使ったあとも、転移石はただの石として手元に残り続ける。使ったのなら、使用済みの転移石がどこかにあるはず。
「いえ……使われたとして、今も持ち続けるとは思えません。他の証拠同様、既に破棄されたでしょう」
女性人のスカートの中とかなら、あるいは隠せるのかもしれない。そんなの言ったらセクハラだ。そもそも他の証拠は破棄したのに、転移石だけ自分の身に隠すとは考えられない。量的に、他の証拠もスカートの中に隠せるとは思えない。返り血のにおいを考えると、自身に隠すのは得策ではない。犯行に関係する品は、すべて破棄されたはず。
「転移石が使われたとして、いつ、どこで、誰よ!?」
転移石を使うとしたら『現場に行く』『現場から戻る』の最低2個必要になる? どちらにしろ、うちとずっと一緒にいたチェシイさんには無理だ。
ロベインさんかフレッソさんだったら、互いに見つかる前に犯行に及んでいる。証言になかったから、追いかけっこ中に証拠を捨てるような様子もなかった。証拠を破棄してから追いかけっこになったと推測できる。仮に追いかけっこ中に転移石を持っていたとしても、どさくさに紛れて捨てられはできそうだけど。服とかは捨てられそうにはないな。持っていたら、そもそも証言されているか。
いや、ロベインさんが転移石を使ったんだとしたら、そもそもフレッソさんと追いかけっこなんて事態にならない?
食事を終えて、現場に転移。犯行に及んで、証拠を破棄して、自室に転移。これならそもそもフレッソさんと遭遇はしない。慎重派なロベインさんなら、そうするよね。フレッソさんと追いかけっこをしていたとアリバイがある以上、この推理は怪しくなる。
アムさんはラジオが終わった直後とかに転移石で現場に転移して犯行に及んで、証拠を破棄して、食卓近くに転移したらいい。
……待て、現場から食卓近くに転移したとしたら。今現在、少なくとも1個の使用済み転移石を所持していないと成立しない。食卓から出た場所に、石を隠せそうな場所はなかった。
これはアムさんだけでなく、他の誰であってもそうでないといけない。
「現場で転移石を使ってご飯に来たのなら、今使用済みの転移石を持ってることになりますよね?」
「そんなに言うなら、調べりゃいいじゃん!」
アムさんだけを疑って出した言葉でもないのに、声を荒らげられた。
同性同士で身体検査をしたけど、転移石は見つからなかった。遠隔操作機器や血でよごれた服とかも見つからない。
「満足か?」
ロベインさんの冷酷な言葉を耳にしても、どこかひっかかりが抜けないままだった。
現場までの移動時間がネックなら、転移石で解消したらいい。それ以外にもひっかかる点が、どこかにあった、気がして。
泳がした視線の先に、あるものがかすめた。
「もしかしたら……あそこにあるかもしれません」
そこを見たまま、無意識に発していた。
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