発見

 ボスの部屋についたのは、しばらく歩いてからだった。疲労状態だったら、部屋に戻るのも億劫になるほどに遠い。

 扉は少し開いていて、隙間を作っている。鍵は必要なさそうだ。鼻孔にふれる気がするけど、正体はわからない。

「あなた?」

 優しく扉をノックして呼びかけるチェシイさん。うちは少し離れた場所で眺める。近くにいるのをボスに見つかったら、さっきの再来がある気がして寄れない。

 扉が開いているとはいえ、のぞいたり入ったりはできないんだ。ボス相手だし、納得できる。

「あなた、寝ていらっしゃるの?」

 返らない応答に、ノックと声が大きくなる。反応はない。

「あなた、入るわよ?」

 無反応を貫く扉に、チェシイさんはノブに手を伸ばす。おもむろに扉を開けたチェシイさんは、鋭く息をのんだ。わなわなと瞳を震わせて、蹌踉と退く。

 かすかに、においが強まった気がした。

「どうしました?」

 正常ではない反応に声をかけても、チェシイさんは扉の奥から視線を離さない。

 疑問に思ううちに、不快に鼻孔を刺激する。鉄のような、におい。

 まさかとよぎった瞬間、空気を切り裂くような叫声がとどろいた。チェシイさんの叫びだと理解に及ぶのに、数秒かかった。

 今にも支えを失ってしまいそうなチェシイさんを抱きかかえて、部屋を見る。

 立ちこめるにおいも相まって、胃からこみあげた。

 部屋の中心は、赤でそまっていた。

 その下には、仰向けで倒れるボス……マヌーさん。ぎろりと見開かれた双眸は天井をにらみつけて、大きく開け放たれた口は咆哮を放つよう。髭が赤にそまっているのは、紛うことなくその胸に突き刺さったものが原因だろうとは本能で理解した。

「どうした?」

 いつの間にか駆け寄ってきていたロベインさん。伝えないといけないのに、言葉を作り出すことができない。部屋に視線を送るしかできなかった。

 うちの態度にいぶかしげを作りつつ、部屋に歩み寄られる。部屋の光景を見て、ロベインさんは口元をふさいだ。

「なん……だ」

 そう、だ。その疑問を抱くべきなんだ。届いた声で、状況にあう言葉をようやく見つけられた気がした。

 ゆらりと部屋に進んだロベインさんは、横たわる父の前でヒザをつく。しばらくして。

「……死んでいる」

 この状況を決定づける単語が届けられた。

 死。

 知っている。誰もが最期に経験することだ。毎日、誰かしらに訪れていることだ。

 だけど目の前で、しかもこんな光景で目にするなんて思ってもいなくて。さっきまで生きていた人が死を迎えるなんて、思ってもいなくて。

 死の確認を終えたロベインさんは部屋を出て、静かに扉を閉めた。チェシイさんに凄惨な光景を見せ続けたくなかったのかもしれない。

 チェシイさんはすっかり腰が抜けた様子だ。支えるのを諦めて、床に座らせる。魂が抜けたかのようにほうける姿が痛々しい。

 まぶたを閉じて長く息を吐いたロベインさんは、鋭い青をうちに向けた。

「なにがあった」

 比較的冷静を保っているように見えるうちに、状況を聞きたいんだ。当然の行動だろうけど、うちはうちで気持ちがまだ正常とは遠い。荒波の中から必死に冷静をつかんで、どうにか混乱を追い払おうとする。

「マヌーさんが食事の席に来ないので、2人で呼びに行きました」

 2人で来た理由もさっくりと説明した。チェシイさんのうっかりミスも、この状況ではなごます要素にすらならなかった。

「扉を開けたら……」

 ちらつく光景に、こみあがりそうになる。大きく飲みこんでこらえる。立ちこめるにおいのせいで深呼吸すらできないのが、余計につらい。どうやってこの混乱を消したらいい?

 抜け殻状態になっていたら、遠くからアムさんの声が聞こえてきた。さっきの叫び声の主に呼びかけているみたいだ。

 ロベインさんは声のした方角に歩く。ロベインさんにつれられて、しかめたアムさんが歩いてきた。状況の説明をされている。いぶかしげな視線を体現するように迷いなく扉を開けたアムさんは、小さな悲鳴をあげた。

 しばらくしてやって来たネルクさんと、小太りの男性も同じくロベインさんの説明と現場の状況で理解に及んだ様子だった。

「どうして!? どうしてリーネスが死なないといけなかったの!?」

 胸をひき裂く、悲痛なチェシイさんの叫び。

「父上はずっと部屋にいたのか?」

 ロベインさんの声に、アムさんがぎこちないにらみを向けた。

「どういう意味!?」

「胸にナイフが刺さっている以上、他殺だ」

 あまりにもあっさり告げられた可能性に、一瞬誰もがなにも言えなかった。

「待ってください。まだそうと決まったわけでは――」

 ロベインさんに向けられた強い嫌疑の瞳に、うちは言葉を続けられなかった。

「客人が来た日に、父上が死んだ。偶然で片づけていいのか?」

 冷酷無情な言葉に、アムさんの、ネルクさんの、男性の視線が刺さる。消沈した様子のチェシイさんは、その言葉には反応しなかった。

「うちはずっと食事の席にいました! チェシイさんとネルクさんが証人です!」

 主張に、ロベインさんはネルクさんに目配せする。

「はい。リーネス様は、私の前では退席することはありませんでした」

「母上は?」

 強い口調で聞かれて、チェシイさんはゆがみきった顔をあげた。

「ずっと……いたわ。わたしも席を離れなかったから、間違えないわ」

 お手洗いの気分とかにならなくてよかった。当時の自分をほめたたえたい。うちの疑いは晴れた。と思ったら、ロベインさんの疑念の瞳は変わらない。

「共犯でも、時限装置でも、アリバイを持ちつつ犯行に及ぶ手段はいくらでもある。これだけで容疑を外せはしない」

 冷酷な宣告に、戦慄が走る。

 うちの存在を最初から警戒していたロベインさん。それからのこの状況。疑惑を持たれるのは自然だ。うちにとっては、不利で危うい状況なのには変わりない。

 張り詰めた空気の中、うちの状況は最悪なまでに落ちぶれた。このままだと、本当に犯人にされかねない。

「違います。うちではありません」

 強く言ったら、かえって怪しまれそう。あえて静かに否定した。

 うちをにらむ透明感のある青目は、すべてを見透かしていそうで。むしろ、そうだったらいいのに。それなら、うちの無罪はすぐに確定する。

 どうしよう、この状況を打破するには。

「連絡……しましょう」

 自警団に捜査を頼もう。プロに捜査してもらったら、うちの疑いは晴れる。死の原因も解明される。

「……そうだな」

 歩き去るロベインさんの背中を、誰もがなにも言わないで見つめていた。

 捜査。本当に他殺だとしたら、殺した犯人がいるということ。

 誰が? 周囲の人に視線が向きそうになるのをこらえる。この中に犯人がいるなんて考えたくない。優雅に笑う裏で残忍なことができる人がいるだなんて思いたくない。

 それでも消えない他殺の言葉が、わきあがる疑念を消してくれなかった。

 しばらくして戻ったロベインさんは、変わらぬ一同を前におもむろに口を開いた。

「『あした向かう』と返された」

「どうしてですか!?」

 『死人がいるのに』と言いかけた口は、チェシイさんの様子を前につぐまれた。ようやく平静になってきたのに、ぶり返しかねない。

「この場所だ。迷いでもしたら、二次災害になる」

「詳しい人に聞くとか、転移石を使うとか……方法はあるでしょう!」

 うちがどれだけ発しても、ロベインさんは表情を変えない。

「転移石みたいな高価な品、よほどの非常事態でないと使用が許されない」

 今が非常事態ではないの? ロベインさんの鋭い視線を前に、その言葉を言う必要すら感じられなかった。

「自警団が来るまで、こんな場所でおびえろって言うの!?」

 廊下に響いたアムさんの金切り声にも、ロベインさんは態度を崩さない。

「嫌なら、出たらいい。夜風に震える覚悟があるならな」

 冷酷な突き放しに、アムさんは唇をかむだけの静かな反抗を見せた。館の外なら安全が保障されたわけではない。その上、冷える夜。外に出るのが最善とは思えない。

「自警団が来るまで、各自部屋にこもって施錠するのが安全か」

「鍵のある部屋、あるんですかい?」

 野太い声の質問に、疑問がよぎった。部屋に鍵があるのは自然なこと。ネルクさんがチェシイさんに鍵を渡していたし、それは明らか。

「5部屋のみです」

 ネルクさんが手早く答えた。

「私たちの部屋や客室は、鍵がありません。奥様たちの部屋と旦那様の物置のみ、施錠できます」

 疑問をかすめとったのか、ネルクさんが説明してくれた。それもまさか倹約だったりするのかな。鍵のない部屋に住まわせるなんて、なんて家だ。休暇がないことといい、下働きの人に人格はないと思っているの?

「父上の部屋は使えない。安全性を考えて1人1部屋となると、3部屋不足する」

「兄様、おバカ?」

 アムさんの侮辱の意味はすぐにわかった。

 この場にいるのはうち、チェシイさん、ロベインさん、アムさん、ネルクさん、男性の6人。4部屋使えるなら、足りないのは2部屋だ。

「フレッソがいる」

 ロベインさんが出したのは、庭師の名前だった。

「なにを……」

 かすかにチェシイさんが反応したけど、それ以上言葉は続かなかった。ネルクさんや男性も驚きをほのめかす。

「この時間には帰ってるよ」

 アムさんのあきれ声に、ロベインさんはまぶたを閉じて首を横に振った。冗談や勘違いでない雰囲気がにじみ出る。冗談を言うような人ではないだろうけど。

「食事から帰る途中、廊下で見かけた。追いかけたが逃げられて……捜索中に悲鳴を聞いて、駆けつけた」

 他の誰より来るのが早かったロベインさん。フレッソさんを見つけるために、偶然近くを歩いていたんだ。

「待って。超怪しいじゃん!」

 『フレッソさんは、館には泊まらないで帰っている』と聞いた。館に入ることすら、マヌーさんに禁じられたとも。

 フレッソさんが、館の廊下にいた。しかも、ロベインさんに見つかって逃げた。

 怪しいと思えるだけの情報。それだけの情報を持ちながら、どうしてうちを疑ったの?

「金を積まれて、共犯として買われた可能性もある」

 うちを見ながらの言葉は、確実にうちを疑っているんだと感知できた。フレッソさんを廊下で目撃したからこそ、強固なアリバイがあるうちを疑う選択に至ったんだ。

「目的は? まだ続けるのか? 次は誰だ?」

 続けざまにくり出される疑惑の言葉。強い嫌疑を晴らすには。

「違います。疑うなら、フレッソさんを見つけて聞いたらいいです。うちは無関係ですから」

 フレッソさんを売るみたいで申し訳ないけど、こうでもしないと疑惑が晴れない。続けられたら、他の人にも疑いの目で見られてしまいそう。自警団が到着するまで、そんな空気にさらされるのは嫌だ。

 少なくとも、フレッソさんが怪しい動きをしているのは確実。見つけるという行為は、間違ってはいないはず。

「そうだよ! 見つけて、ぐるっぐるにしばろ! それで安全だよ!」

「父上がこうなって喜ぶ姿が浮かぶのは、アムだかな」

 ツララで射抜くような言葉に、アムさんは反論を見せかけた。理性が踏みとどまらせたのか、荒い呼気を漏らすだけだった。

「わいもフレッソを見つけるのに賛成です。危険な香りのするヤツを野放しで、安眠なんかできやしやせん」

 そもそもこんな状況で、安眠なんかできなさそう。少しでも不安要素は消したい思いは同感だけど。

「そうよ! 分担して――」

「却下」

 鋭く遮ったロベインさんは、チェシイさんの前にヒザをつく。

「母上、歩けるか?」

 さっきと比べると平静になってきているけど、ずっとへたったままだ。

「嫌よ。見つける必要はないわ。ずっとここにいましょう?」

「行動するほうが時間の経過を早く感じられる。母上も気を紛らわせられるだろう」

 幼子を言い聞かせるような言葉に、チェシイさんは激しく首を横に振った。振り乱された髪は、優雅さを消す。

「置いていけばいいでしょ!」

「ばらけて行動するのは、得策とは言えない」

「そんな状態の母様をつれるほうが、よっぽと!」

 対立する2人の渦中のチェシイさんは、うつむいたまま動かない。床に設置するほど垂れた髪が、身なりを気にする余裕すらなくした精神を物語る。

「フレッソがどんな武器を持つかわからない以上、まとまって行動するほうがいい」

「だからこそ、動けない人を置いていくほうが――」

「動けないまま放っておくほうが危険だ」

 ロベインさんの冷静な思考に、アムさんは言葉を切らす。

 フレッソさんのターゲットに、チェシイさんもいたら。まともに動けないチェシイさんは、あっさり餌食になる。

 強引にでも一緒に行動したほうが、守れる確率はあがりそうだ。

「この中によからぬことを企む者がいる可能性も、捨ててはいない」

 ロベインさんの視線は、明らかなまでにうちしか見ていなかった。ここまで明確だと、一切の感情がわかなくなる。

「だからこそ、分断するのはよくない。互いに互いを監視して、守りあうようにするのが最善だ」

「だったら、ネルクたちに任せましょう? わたしたちは部屋に戻って、安全を確保するべきよ」

 チェシイさんの言葉は、多少の理不尽さを感じながらも筋が通っているように思えた。夫を亡くした今、最も危険そうなのはその家族……という思考に至ってもふしぎではない。見殺しにされるみたいだけど、うちとネルクさんと男性で残った施錠できる部屋を使わせてもらったら、ひとまず安全は確保できる。

「……見つけるより、こもるほうが安全か」

 失念していたかのように、アムさんが漏らした。

「その間に逃げられたらどうする?」

 意見を変えたアムさんにも、ロベインは態度を一貫としている。

 部屋で安全を確保したら、犯人も安全に逃げられるようになる。犯人の狙いが1人ではないなら、後日また事件が起こる可能性だって。

 ロベインさんの懸念はそこだろう。多少の危険は覚悟でも、今犯人を確保したほうが長い目で見たら安全と考えているのかもしれない。フレッソさんを逃した自責も関係しているのかもしれない。

「自警団に任せるほうが安全だと思われます。鍵と合鍵を持って内側から施錠したら、外から開ける手段はありません」

 冷静なネルクさんの声が、清涼剤のように届く。館を熟知しているであろうネルクさんの発言で、部屋の安全性が確実になった。

「ね? そうしましょう?」

 すがるような言葉を前に、ロベインさんはしばしの沈黙を返した。ロベインさんの一任がないと動けないわけでもないのに、この場の空気を完全に仕切っている。

「仮に俺たちが部屋にこもるとして……ネルクたちは?」

 チェシイさん、ロベインさん、アムさんは個人の部屋で施錠して、安全を確保できる。残されたうちたちは、その限りではない。

 突かれたくない点だったのか、チェシイさんは息を詰まらせた。その様子を前にロベインさんは起立して、冷酷に眼下にする。

「もう1部屋、あるじゃん」

「貸していただけるんなら、わいはそこで構いやせん。……2人がいいのならっすけど」

 女性の存在を気にしてか、男性は言葉をにごした。この状況下で異性と一緒となのは気にすることではない。『生命の危機に襲われると、子孫保存本能が』的な話は聞くけど、自身の命の危機というほどの状況とは違う気がする。互いが監視になって、抑制されるはず。つり橋効果ってのもあるから、それをきっかけにどうなるかまではわからないけど。

「私は大丈夫で――」

「ダメだ」

 ネルクさんの言葉を遮った強い単語。発生源は、当然ロベインさんだった。体の前で両手を組んでたたずむネルクさんをにらむようにして、言葉を続ける。

「2人が犯人ではない証明がどこにある。安全とは言わない」

「わいはなんもしてやせんって!」

 わたわたと否定を続ける男性を見つつ、うちは否定する意味すら感じなくなった。きっとロベインさんが疑っているのはうちだ。館の関係者の2人とうちを同じ部屋ですごさせるのをよしとしないんだ。

 ネルクさんたち2人で、部屋にこもってください。

 こう言う勇気もなかった。こう言ってまたなにかあったら、きっとうちに強く容疑が向く。そもそも自警団が来るまで、さらされた部屋で震えていたくはない。どこが安全かもわからないから、外にも出られない。外に出たら『逃げた』と疑われる懸念もある。

 フレッソさんを見つけて、うちと一切の関与がないと証明してもらう。信頼を得て、3人で部屋を使わせてもらう。うちにとって安全に思える道だ。

 仮にフレッソさんが犯人だったら、うちたちがこもる必要がなくなる。自警団が来るまでフレッソさんさえ制御したら、全員の安全が確保される。

「もうそんなのいいでしょう! わたしは先に帰るわ!」

 進まない話のせいか、突然の事件での混乱のせいか、チェシイさんの声はひどく荒れていた。蹌踉としながら立って、おぼつかないまま歩き出したチェシイさん。

「……わかった。母上を部屋に送ってから続けよう」

 ぴくりと反応して、壁に手をついたチェシイさんが振り返る。おびえるような表情がかすめる。

「念のために施錠しろ」

 ロベインさんの命令に反応して、ネルクさんはチェシイさんに駆けた。鍵を手にしたネルクさんは、手早く鍵を回して現場の扉を閉める。

 全員が施錠を見届けて、チェシイさんのペースにあわせながら部屋に歩いた。道中、ロベインさんがフレッソさんを見つけた場所や経緯を話していたけど、館の間取りがわからないうちには、ついていけない話題だった。

 移動中に小声で言葉を交わして、男性が料理人のバーデさんだと知った。予想はしていたけど、やっぱりそうだった。バーデさんも『料理を1人前増やす』とかで『客人が来た』とは知っていたから、うちが客人とは想定していたらしい。料理のお礼は伝えたけど、状況のせいで笑みで返されるだけだった。

 扉の前について、チェシイさんはうちたちに向く。

「お先に休ませてもらうわ。さっきは錯乱してごめんなさい」

 青白い顔は憔悴しきっていた。弱々しいながらもちゃんと聞きとれた言葉で、多少は正常に戻れたと理解する。休んで、楽になったらいいけど。翌日には自警団の聴取もあるはず。少しでも精神を休めたほうがいい。

 丁寧に黙礼したネルクさんに気づくことなく、チェシイさんは扉を開けて部屋にすべろうとする。

「母上」

 ロベインさんの呼びとめに、チェシイさんは扉の隙間から顔をのぞかせた。

「鍵を閉めていなかったのか?」

 続けられた言葉に、チェシイさんはかすかに瞠目した。

 鍵があるから、部屋で施錠して安全にすごすと話していた。チェシイさんの部屋なら、当然鍵があるはず。チェシイさんは鍵を出すこともなく、扉を開けた。

「閉め……忘れたかしら?」

 鍵を使わないで開けたのは無意識だったのか、チェシイさんの言葉は曖昧だった。

 勢い任せに扉を開いたロベインさんは、室内をにらむ。

 個人の部屋とは思えない広さの部屋は、暗い闇にのまれている。廊下から差す光でかすめる家具は、どれも高級感しかない。

「いつも閉めているのか?」

「当然よ!」

 室内からうちたちを見返すチェシイさんの声が響く。開いていた扉を前に、恐怖とは違う表情がのぞく。

「掃除は?」

「本日は致しておりません。部屋を訪ねる用事もありませんでした」

 ロベインさんの質問に、ネルクさんは迷いなく答えた。

 これだけ広い館だ。毎日くまなくではなくて、場所を変えて回しているんだろうな。

 いつも自室の鍵を閉めているチェシイさん。ネルクさんが掃除をしていないなら、掃除のあとにうっかり閉め忘れたわけでもない。となると、扉の鍵が開いていたのは?

「待ってよ。合鍵はネルクが持ってたじゃん」

「……いるのか」

 恐々としたアムさんの声に、ロベインさんが決定的な単語を続けた。方法はわからないけど、誰かが扉を開けて潜んでいる?

 チェシイさんの部屋に潜む理由。チェシイさんを狙っているから? あっさりと可能性が届けられる。

 ロベインさんは懐から鋭利なナイフを出した。食卓で向けられたそれだ。ギラリと光った刃。これから起こることがよぎって、背筋が寒くなる。

「母上は廊下にいろ。俺が――」

「やめて!」

 ナイフを持つ腕に、チェシイさんはしがみついた。悲痛な声が、紛れもない本心を語る。安全を求めて、危険に飛び込もうとする愛児への思いだ。

 家族そろっての食事を期待していたかのようなチェシイさん。マヌーさんに続いて、ロベインさんまで失うかのような衝動が走ったのかもしれない。

「他に適任はいない」

 口論する2人を、明かりがてらした。光の先にあったのは、燭台を持ったネルクさん。近くの廊下の燭台が消えていた。外して持ってきたんだ。

 誰かが潜んでいる可能性がある以上、部屋の明かりをつけに歩くのも危険かもしれない。ネルクさんの配慮を思いつつ、燭台を手にしたロベインさんを見る。

「早まったマネはしないで……お願い」

 燭台でてらして、ロベインさんは室内をくまなく見始める。チェシイさんは両手で祈りながら思いを届ける。

 明かりにあわせて、うちも部屋を見る。人影らしき物体はかすめられない。ロベインさんも同じだったのか、ナイフを脇にゆらりと足を進めた。

 チェシイさんが求めるように手を伸ばしたけど、とめることも口を開くこともしなかった。

 明かりを揺らしながら、ロベインさんは室内を探る。ソファのかげ、テーブルの下、机の下……ゆらりと動いていた明かりの動きがとまる。

 てらしていたのは、ベッドのかげだった。

「出ろ」

 ナイフをちらつかせたら、明かりにシルエットがかすめた。光に映し出された姿は、フレッソさんだった。

「話を聞かせてもらおうか」

 否応もなく続けられた強気な言葉に、フレッソさんは身をすくませる。陸にあげられた魚のように縮こまる姿は、弱々しい少年のものだ。

「待って! フレッソはなにもしていないわ! 本当よ!」

 自身の部屋にいたフレッソさんに驚く様子もなく、チェシイさんは逆にかばうように声を荒らげた。

「どういう意味よ」

 同じ疑問を抱いたのか、アムさんの声が漏れ聞こえた。ネルクさんやバーデさんも、チェシイさんの行動に困惑を隠せないでいる。

「どうしてここにいる?」

 フレッソさんは完全に萎縮して、捨てられた子犬みたいに瞳を震わせる。

 沈黙を続けるフレッソさんにしびれを切らしたように、ロベインさんはナイフを近づける。小さく悲鳴をあげたフレッソさんは、観念したかのように口を開く、

「わ……忘れ物、してしまっ……て、見つかって怖くなって……ここに」

 たどたどしく出された理由に、ロベインさんはさらにナイフを伸ばした。恐怖にそまったフレッソさんが見えていないかのように、冷酷に発語する。

「いつ、出入り許可がおりた?」

 理由の矛盾を突く言葉に、フレッソさんはひどく身震いした。

「入りもできない家に、どうやったら忘れ物ができる?」

 行き場をなくした理由を前に、フレッソさんは目を泳がせて懊悩するだけだった。

「どんな目的――」

「やめて!」

 とまらないロベインさんの責を消したのは、響き渡るチェシイさんの声だった。踏みしめてロベインさんに歩み寄って、言葉を続ける。

「……わたしが呼んだのよ」

 すべてを諦めたかのようなチェシイさんの声が、部屋に霧散して消える。

「呼ぶって……フレッソを? 部屋に?」

 理解できないのか、理解したくないのか、深刻な空気にそぐわないアムさんの声が届く。

「住み込みも許可しない、遅くに帰らせるなんて非常識だもの。『わたしの部屋に来なさい』って言ったのよ」

「チェシイ……」

 涙のたまった瞳で名を呼んだフレッソさんの肩を、チェシイさんは優しくなでた。雇い主のチェシイさんを呼び捨てで呼ぶなんて。同情とは違う縁を感じられる。

「いいのよ。気にしないで」

「なにそれ。浮気じゃん!」

 容赦ないアムさんの言葉に、2人は曇った表情をそらす。部屋に呼んだのは同情ではなく、そんな関係だったんだ。

「なぜ、ここにいた」

 隣にチェシイさんがいるのも気にしないで、ロベインさんはフレッソさんにナイフを伸ばす。開きかけたチェシイさんの口は、ロベインさんに向けられた鋭い一瞥を前に動かなかった。

 逡巡のままチェシイさんを見たフレッソさん。応じるように点頭したチェシイさんに、歯切れ悪く切り出した。

「……チェシイ……様に会うためです」

「いつからここにいた」

 鋭い態度は変わらない。

「仕事終わりはいつも、館をよごさないように気を配りながらこの部屋に歩いてました。きょうはロベイン様に見つかって……振りきってから、ずっとここにいました」

 声はおびえきって、カタカタと震えていた。チェシイさんの励ましもあって、最後まで続けられた。

「どんだけ長い関係よ」

 近くにいたせいで、吐き捨てるようなアムさんの独り言が耳朶にふれてしまう。

 『いつも』と言うからには、きょうに限った話ではない。日常的にあったんだ。『遅くに帰らせるのは非常識』という考えから察するに、毎日だったのかな。

「父上を殺したのは、お前か」

 フレッソさんはひどく震慴させて、ロベインさんを仰いだ。

「え……?」

「父上を殺したのはお前か、と聞いたんだ」

 漏れ出たフレッソさんの声にイラだちをのぞかせつつ、ロベインさんは復唱した。

「旦那様……死んだ、んですか?」

 驚きとおびえを隠せない震え声に、ロベインさんは手早く経緯を説明した。フレッソさんの顔から、みるみる血の気が消える。

「フレッソがそんなことをするわけないわ」

 守るようにフレッソさんの肩に手を置いたまま、チェシイさんは発語する。ここまで守る以上、同情や遊びではなさそうだ。

「動機はそろっている。散々、嫌みを言われた。館の出入りを禁止された。しまいには、この関係。邪魔に思うだけの満足な状況だ」

 浮気相手の配偶者を殺す。よく聞く動機だ。2人が本気だったとしても、マヌーさんは関係を許しそうにない。『一緒になるには殺すしかない』とゆがんだ感情を抱いてもふしぎではない。

「ち……違いま、す」

 弱々しい否定の言葉は、当然ロベインさんには届かない。

「機会を狙うために、母様に色目を使ったの!? 最低!」

 嫌悪まじりのアムさん声に、チェシイさんは目の色を変えた。

「違うわ! わたしから誘っ――」

 はりあげられた声は、逡巡の視線と同時に切れた。『家族の前で言うべきではない』と瞬時に判断が下ったんだ。罪悪感が生まれた以上、宿泊場所の提供だけでなく、不適切な関係があったと暗に語っている。

「燃えあがって、邪魔になって殺す! 王道すぎてヘドが出るほど、ありふれた動機じゃん!」

 母親の不貞を前に、アムさんは顔を真っ赤にして感情をあらわにした。

「違います……僕は」

「母上にそそのかされて、父上を手にかけた可能性も否定はできない」

 突如変わったロベインさんの疑惑に、チェシイさんは小さく息をのんだ。

「最初から利用目的だったのではないか? アリバイを強固にして、疑いが向かないようにして――」

「違いますっ」

 強い叱責に、フレッソさんは涙声を張らせた。

「利用されたと認めたくないのか」

「それだと、かばうような今の言葉が矛盾しませんか?」

 やまない侮蔑と疑惑が嫌になって、つい口をついた。こんなことをしたら、またうちに疑惑が向くのかもしれないのに。

 案の定、ロベインさんの冷めた目にとらえられる。言ってしまった以上、最後まで臆さないで続けるしかない。

「本当にチェシイさんが利用したのなら、この状況も利用すると考えられませんか? ……そのナイフで口を封じてくれるようにする、とか」

 さすがに後半は言いにくかった。それでも、本当にそう思ったから。

 鍵が開いていた事実を大げさに騒いで『侵入者がいる』とおびえて。ロベインさんがナイフを構えた際、利用したらいい。フレッソさんの口を封じられたら、チェシイさんにそそのかされたという事実を隠蔽できる。フレッソさんだけに罪を押しつけられる。これ以上いい流れはない。

「母様が部屋に帰りたがったのって、コイツを隠し通すためでしょ? 怪しいじゃん」

 自分だけでも部屋に戻って施錠すると話し出したチェシイさん。部屋に隠れたフレッソさんを知られないため、あるいは身を案じての行動だった。

「さっき話されたような、別の意味で隠したい理由があったからでしょう」

 不適切な関係を家族に隠すため。事件があったことを伝えて、疑われないように外に逃がす目的もあったのかもしれない。

 うちの言葉に、アムさんはそれ以上の反論をしなかった。納得はできるらしい。

「本当に、その……今話した理由で館にいただけですかい?」

 野太い声で投げかけられたフレッソさんは、こくこくと小刻みに頷いた。

「フレッソは恐ろしいことができる子ではないわ。疑うのはやめて」

 ただの庭師をかばって、母親が子を説得する。微妙な光景を黙って見守る。

 尋問の材料を失ったのか、ロベインさんは敵意を薄めて距離を置く。

 いたたまれない沈黙を前に、うちにはある疑問がよぎった。

「……外部犯、ではないんですか?」

 どうしてか一切、その話が出ない。

「だとしたら、館のどこかに身を隠しているかと思われます」

 両手を体の前で組んだ姿勢のまま、平静なネルクさんの不変の声が届く。こんな瞬間でも冷静そうだけど、どこか顔色が悪く見える。作られた冷静なのかな。

「逃げるほうが安全じゃないですか。自警団を呼ばれるのは予想がつきます。隠れるメリットがありません」

 ネルクの言う『隠れる』推論は、どうも自分的には納得できない。

「この館には裏口がありません。出入りできる扉は1つだけです。多くの窓から見えてしまう場所ですし、逃げ帰るにしてはリスクが大きいです」

 館を知りつくしたネルクさんらしい発言だ。だけど、抜けがある。

「窓から逃げた可能性は?」

 廊下にある窓も、この部屋の窓も、人が出入りできる大きさがある。出入口は1つではないと言える。

「どこから逃げたとしても、裏門がない。窓から丸見えの表門から逃げるバカはいない」

 ロベインさんが続けた言葉に、外部犯の疑いを持たなかった理由を納得した。館を囲む塀は高かった。のぼるなんて無理だ。逃げる際に協力者にハシゴをかけてもらうにしても、目撃の危険は変わらない。

「寝静まるまで庭に潜んで……」

「ない」

 バーデさんの思いつきを、ロベインさんは強く否定する。

「この状況を作って、俺たちが寝静まると考えるバカがどこにいる。最初から寝静まってから犯行に及べばいい」

「隠れられそうな場所も……ありません」

 まだおびえは抜け切らないのか、フレッソさんの声は震えて消えそうだった。

 確実に消えていく、外部犯が逃げた可能性。だからこそ、外部犯なら、館に潜んでいることになる。

「だったら動かないで、ここで施錠して固まりやしょうよ」

 豪快そうな外見に反して小心なのか、バーデさんの提案は『部屋にこもる』だった。

「この中に犯人がいる可能性は考えつかないのか」

 延々たる疑惑のループだ。終わる気配を見せてくれない。

「兄様1人で部屋にこもって震えたらいいでしょ!」

「他の人を見捨てろと言うのか。そこまで冷酷だったとはな」

 始まりそうないさかいを前に、母親はフレッソさんをなぐさめるようになでるだけだった。子供をたしなめる心の余裕は残っていないらしい。

「そんなに冷酷なら、父上を殺めることもいとわないか」

「は!? あたし違うし!」

 ねめつくアムさんの視線は、チェシイさんに向かった。

「一緒にお食事したじゃん! 母様、ネルク、リーネスが証人!」

 確認を求めるように、ロベインさんの視線がネルクさんに動く。

「……おられました、けど」

 ネルクさんの歯切れの悪さの理由はわかる。

「ずっと一緒だったわけではないので」

 うちも証言を続ける。裏切りのようで心は痛むけど、真実だから。

「違う! あたし、本当に違うし! 帰って以来、会ってもない!」

 アムさんが帰ってきた際、口論を見たのがマヌーさんの生きている姿の最後だった。

「あれ以来、マヌーさんに会った人はいるんですか?」

 口論の事情をよく知らない人のために説明を補足した。それぞれ記憶をたどるように視線をうつむかせる。

「旦那様がお部屋に戻られたお時間は、8時少し前だったと記憶しております」

「覚えてるんですか?」

 まさかのネルクさんの記憶力に、瞠目した。

「直前にリーネス様が来られましたので。お客様の応対の前に、時間を見る習慣がありました」

 クミラジ終了時間とこの館まで歩いた時間を考えると、その時間はあっていそう。

 指定された時間を前に全員が記憶を探ったけど、以降に会ったという人はいなかった。

「声なら聞いたがな」

 ロベインさんの声に、フレッソさんがひどく肩を震わせた。

「ぼ……ぼくも」

 おずおずと発したフレッソさんを、ロベインさんは鋭くにらみつけた。

「時間は?」

「わからない、です。ロベイン様から逃げて、て……時間なんて、見られなくて」

「だったら、俺が聞いたのと同じだ」

 つまりロベインさんも、フレッソさんを追いかけている際に聞いたんだ。

「時間は!?」

 自身の疑惑を払拭したい感情をあふれさせて、アムさんは急かした。

「食事が終わって、部屋に戻る途中でフレッソを見つけた」

「ロベイン様がお食事を終わられたのは、9時少し前だったと記憶しております」

 ロベインさんの目配せに、ネルクさんは手早く答えた。それも覚えているんだ。分刻みのスケジュールで動いて、時間を気にするようになったのかな。

「アム様がお食事に来られたのも、9時少し前でした」

 続けられたネルクさんの言葉に、ロベインさんはかすかにひそめた。

「ひとまずそこらの情報、聞きやせんか? 疑う前にそうするのがいいでしょうよ」

 図体にそぐわない控えめな提案は、ロベインさんの目を気にしてのようだった。

「……そうだな。それでいい」

「最初っから、そうすりゃいいじゃん」

 アムさんの悪態にも、ロベインさんは反応を示さなかった。

「俺は部屋にいた。ネルクに呼ばれて、食事をした。そのあとは話したように、フレッソを追っていた」

「ロベイン様をお呼びしたのは、8時半頃だったと記憶しております」

 再びの目配せに、ネルクさんは流暢に答えた。この記憶力、掃除とかだけでなくスケジュール管理とかも一任されているなと確信した。

「わたしはずっと食事の席にいたわ。ネルクとリーネスさんが証人よ」

「はい。うちはずっとマヌーさんたちとお食事をしていました」

 アリバイとしては完璧なのに、共犯の可能性で疑われている。共犯を疑われたら、強固なこのアリバイも無意味になる。

「食事をするお2人を、私もおそばで拝見しておりました。調理場に赴いたり、ロベイン様をお呼びしたりで、席を外すことはありました」

 ネルクさんは何度か部屋を出たけど、犯行に及べそうなほどの時間を外していたわけではない。アリバイの強さはうちと変わらないと思う。

「わいはずっと調理場で調理してやした。数回来たネルクが証人です」

 バーデさんの言葉を肯定するように、ネルクさんは点頭した。

「あたしは部屋に戻って……しばらくして食べに来た。えっと……9時前だったんだっけ?」

 アムさんの確認に、ネルクさんは点頭した。

 残された人物に視線が集中する。全員の注目をあびたフレッソさんは、びくりと肩を震わせた。安心させるように、チェシイさんが数回背中をなでた。勇気をもらったように、おもむろに口が開かれる。

「そちらのお客様が見えたあとに、庭仕事を終えて帰る……フリをして、庭に身を潜めました。人がいないのを見計らってお屋敷に入って……このお部屋を目指したら」

 視線がちらりとロベインさんに向く。ボロ布を見るかのような瞳に、体を縮みこませた。

「ロベイン様に見つかって……逃げ続けたら悲鳴が聞こえて……怖くなって、ずっとここにいました」

「悲鳴が聞こえたのは、10時すぎだったと思われます」

 そんな状況でも、時間を覚えているなんて。ネルクさん、さすがだ。確定ではない以上、時間を見る精神的余裕はなくて、推測ではあるのかな?

「母様の危機だと思って、駆けつける気になれなかったの? やっぱり利用目的で近づいたんじゃないの!?」

「誰の声かわからなく、て……僕が姿を見せたら、迷惑なのもわかっている……ので」

 現場を前に叫んだチェシイさん。声で女性とはわかるけど、非日常な声で誰のかまで特定はできなかったのかな。

「全員が真実を話していると仮定するなら、父上が絶命したのは9時以降だ」

 あまりにも早いロベインさんの断定に、内心驚きを隠せない。

「は!? 9時前に見たって言うの!?」

「声を聞いたと話しただろ」

 ロベインさんとフレッソさんは追いかけっこ中、声を聞いたと話していた。ネルクさんの話した時刻を信じると、その考えに至るんだ。

「でも……声」

 消えそうに発して、フレッソさんはちらりと視線を動かす。動きに応えるように、ロベインさんが口を開いた。

「もう1人、声が聞こえた」

「誰!? そいつが怪し――」

「とぼけるな」

 鋭く遮られて、アムさんの声は続かなかった。

「父上と口論するお前の声も、はっきり聞こえた」

 重厚な言葉に、アムさんの顔色がみるみる変わる。

「帰って以降会ってないって言ったじゃん! ウソをついて、どうしたいの!?」

「フレッソと同じウソをつく理由があるか」

 言葉を詰まらせたアムさんも、一瞬の泳ぎだけで強気を戻す。

「あたしをおとしいれようとしてんだ! 散々フレッソを疑ったフリをして、共犯らしさを消す目的でしょ!」

「俺がこんなのを利用する? 笑わせるな」

 鼻で笑ったロベインさんを前に、アムさんは唇をかみしめた。疑われた悔しさからなのか、言い負かされたと感じたのか。

「その声、本当にアムだったの? 聞き間違えではなくて?」

 娘の疑惑をどうにかしたいのか、チェシイさんの声は不安におおわれていた。

「毎回毎回、同じ内容の言い争いを聞いている。聞き間違えるわけがない」

「僕も……そうだった、と思います。声も、口調も」

 チェシイさんの叫び声は判断できなかったのに、アムさんの口論はわかったんだ。口論だと口調はわかるからかな。この家であの口調は、アムさんしかいない。

 疑いを晴らせない心苦しさか、今にも泣き出しそうな声だ。捨て犬のように震える姿はとても痛々しい。

「待ってよ……あたし、本当に会ってない! どうしてそんなウソ、言うの!? ありえないじゃん!」

「口論の末の顛末か」

「違うって言ってんじゃん!」

 続けられるアムさんの強い否定を、ロベインさんは冷ややかに見つめるだけ。

「いや……計画的犯行か」

 疑惑を変えないロベインさんに、アムさんは怒りと焦りをあらわにして髪を振り乱す。

「ありえないっ! ずっと部屋にいた!」

「証明する人はいないんだろ?」

 冷酷なる判決に、アムさんは言葉を続けることはない。悔しそうに唇をかんで、震える拳を握りしめる。

「衝動的犯行にしては、ひっかかる点もあった」

「計画的犯行……って言いたいんですかい?」

 さっき放たれた言葉が気にかかったのか、バーデさんはおずおすと切り出した。

「現場で気になるモノはあった。よくは見られなかったから、確定事項とまではいかないが」

 記憶をたどるように、視線をよそに向けながら発せられた言葉。うちには、それがなんなのか理解が及ばない。他の人も同様みたいだった。

「なによ!? 真実がわかる証拠になるんじゃないの!?」

「……そうはならないだろうな」

 アゴに手をそえて熟考して、実のない返事を返した。真実にはつながりそうにないけど、ひっかかる点?

「隠すなんて、怪しい!」

「確信がない以上、うかつに話はできない」

 また堂々めぐりが始まりそうだ。ここはうちが口を切ろう。

「調べに戻りますか?」

「危険ではないですかい? 証拠になるなら、犯人が戻って……」

 その可能性があるのか。鉢合わせても、この人数なら有利に動けそうに思えるけど。パニックになって、まともに動けなくなる可能性も否定できない。それぞれが逃げて、散り散りになる可能性も。

「全員の賛同が得られるのなら、そうしたい」

「いやっ……危険ですよ!」

 予想外の反応だったのか、バーデさんはわたわたと言葉を返した。

「証拠になるなら、直後に回収している」

 衝動的犯行なら、回収まで頭が回らない可能性もありそうだ。さっき言った『衝動的犯行にしてはひっかかる』につながるのかな。

 現場に戻る行為に、数名は迷いは見せた。『安全のため、扉の前の廊下まで同行するだけでいい』の提案で全員が応じた。現場を見るかどうかは、本人たちに任せることになる。

 長い道のりを進むにつれて、薄れていた血のにおいが濃くなっていく。事件が起こったのだと、改めて認識できてしまうにおい。

 死に姿がよぎったのか、チェシイさんは青白くうつむいている。そばでネルクさんが支えている。近くにいるフレッソさんも、不安と心配まじりの瞳を向けている。その様子を時折アムさんが嫌悪を隠せないままねめつく。

 言葉のない重苦しい空気を歩いて、現場の扉の前についた。目配せされたネルクさんは、鍵を素早くロベインさんに渡す。

 現場を見たくないのか、チェシイさんは扉から体ごとそらした。フレッソさんをひきよせるようにして、顔をふせさせる。フレッソさんにも見せたくないのか、そばにいてほしいのか。

 他の人たちは視線をそらしたりはあれど、その場で待機を続けた。

 その様子を見届けたロベインさんは、鍵を近づける。数秒の間のあと、開けることなく鍵をひっこめる。鍵穴を無視してノブをひねった。扉は開かない。施錠を確認してから鍵を差して、扉を開く。

 より強くなった血のにおい。袖口で口元をおおってかばう。部屋の中の光景は、最初に見た際と変わらなかった。生を失った体が横たわっている。

 ゆっくりと遺体に近づいたロベインさんは、そばにヒザをついて眼下にする。

 よく近くで見られるな。うちは部屋に入るのすら逡巡してしまうのに。親の死に姿を、冷静に直視できるなんて。親だからこそ、どうにか解決したい思いが強くて冷静でいられるのかな。

 他の人も同じなのか、ロベインさん以外に部屋に入ろうとする人はいなかった。

 遺体からそらすように、部屋の中を見る。

 金の刺繍が施された赤いじゅうたん。遺体の下だけは赤しかない。刺繍をそめたんだ。壁にも高貴な模様や彫刻があって、お金持ち感にあふれている。上半身ほどの高さの絵画が飾られている。室外のここからだと、廊下の壁に阻まれて横幅はわからない。幅広な机の上には、数枚の紙やペン、本が見える。

 この場所から見えるのはこの程度。あの性格なのに、室内は意外にも整っている。ネルクさんの掃除のおかげ?

 起立したロベインさんが部屋を出て、扉を閉める。部屋の観察時間は終了した。

「どうだったの?」

 イラつきのまじったアムさんの声に、ロベインさんは揺れる青い瞳を向けた。

「確定した」

 確認作業の終了を悟ったのか、チェシイさんとフレッソさんも姿勢を戻す。

「ど、どんな……? 犯人、わかったんですかい?」

「凶器に見覚えがある」

 重苦しい言葉に反応したのは、アムさんだった。

「その持ち主が犯人じゃん!」

「俺は関与していない」

 すぱりと言い放たれた言葉。つまり凶器がロベインさんの持ち物だと暗に示している。

「俺のナイフが使われた。細かい傷も合致したから、同じデザインの違うナイフではない」

 本当に自分のナイフか、細かい傷まで見て確信を得たの? そこまで調べないと確定できないなんて、かなりの慎重派だ。

「……ナイフ?」

 ひっかかった疑問に、思わず声が漏れた。

「ナイフは持ってたじゃないですか」

 バーデさんが続けた言葉に、ロベインさんはナイフを出した。恐怖が想起したのか、小さく悲鳴をあげてフレッソさんが身じろぐ。

 そうだ。ナイフはロベインさんが持っている。凶器として使われたのも、ロベインさんのナイフ?

「どれだけ持ってんのよ!」

 ナイフコレクター? 言動的に、そうであってもふしぎではない。

「この1本だけだ」

「じゃあ使われたってのは――」

 呆気にとられるうちを前に、ロベインさんはネルクさんに視線を送る。

「申し訳ありません!」

 一切の叱責をされていないのに、ネルクさんは勢いよく頭をさげた。

 まさか、犯行を認めた? ネルクさんが?

「破棄を頼んだよな?」

 ロベインさんのじっとりした言葉を前に、ネルクさんは体の前で組んだ両手をぎゅっと握りしめた。

「『ナイフを新しくする』とロベイン様に申されて。古いナイフの破棄を頼まれました」

 刺さる視線がら逃れるように、その瞳は小さく泳ぐ。

「古いナイフってのが、現場にあったやつ?」

「そうだ」

「仕事が一息つくまで自室に置いていたのですが……戻ったら消えておりました」

 頭をさげて、再度謝罪の意を示した。髪の毛の1本1本すら、申し訳なさそうに地面に垂れる。

「なぜ、すぐ伝えなかった」

「私の勘違いで、自室以外に置いてしまった可能性もあるかと思いまして……掃除で見つけられるかと考えてしまいました」

 すっかり笑顔の消えたネルクさんは、余裕なくまぶたをふせる。

「結局、見つかったの?」

「いえ……」

 見つからないまま、事件が起こった。

「私が紛失をすぐにご報告していたら、このようなことには……」

「病むな」

 身を縮めるネルクさんを、ロベインさんはそれ以上叱責しなかった。家族は散々疑ったのに、メイドのトガがこの程度なんて。やっぱり裏の関係があるのかな。

「最近、わいも厨房のナイフが盗まれやした」

「本当!?」

 下働きの人の事情には通じていないのか、アムさんたちは認知していない様子だった。

「ご相談をされて、ロベイン様のナイフと一緒に購入してお渡ししました」

「消えたナイフは、まだ見つかってないんですか?」

 うちの質問に、バーデさんは大きく点頭した。

「料理人の命を奪うとは、不届き者ですよ!」

「……そのナイフで、また誰か刺されるってこと?」

 届いたアムさんの震え声に、場の空気が凍った気がした。

 消えたロベインさんのナイフで、マヌーさんが刺殺された。

 それなら、消えたバーデさんのナイフで、また誰かが狙われる?

「あの……」

 それぞれがおびえる中、恐々と手をあげたのはフレッソさんだった。

「そのナイフって……これ、ですか?」

 懐からおずおずと1本のナイフを出す。視認したバーデさんは瞠目した。

「まさしくそれだ! 犯人か!?」

「ち、違いますっ」

 野太い声をとどろかせたバーデさんに、フレッソさんは慌てふためきながら否定の言葉を放った。

「拾った……んです」

「ウソが通じると思うか」

 無慈悲なロベインさんの声に、フレッソさんは戦慄を走らせた。反論しないと疑惑は変わらないとわかったのか、どうにか口を開く。

「庭仕事……してたら、ヤブの中にあったんです。かっこよかったんで、拾い……ました」

「無断で、ですか? 『ロベインさんの落し物ではないか』とか、思わなかったんですか?」

 最大の疑問を問う。敷地内に落ちていたナイフ。人の気配もない立地だから、館の誰かが落としたと考えるのが自然だ。バーデさんのとは思えないにしても、ロベインさんが落としたと考えていい。

「ナイフを持ってるなんて……知らな、くて。家の人が歩かなそうな場所、だったし……紛失の報告とかも聞いて、なくて……」

 だから、ナイフを自分のものにした。

「庭に落ちるだなんて思わないに決まってるじゃないですか。わいは窓からモノを投げるクセなんて、ありゃしやせん」

 屋外作業に使うようなものならともかく、調理道具なら庭師に所在を聞いたりしないか。館に入れない人だ。一切の情報をつかんでいないと思ったんだ。

「本来なら、ゴミとして焼却炉に捨てる……べきだったんですけど……ほしく、なって」

「盗んだナイフを庭に隠していた……ってことですかね?」

 家の人が歩きそうにない場所でナイフが見つかったのなら、そう思える。

「だったら、怪しいじゃん! 盗んだのが犯人だよ!」

 窃盗だけでなく、殺人も犯した犯人。

「盗んだ者に心当たりは?」

 ロベインさんの問いに、バーデさんはまぶたを閉じて熟考する。

「いえ……調理中、わいはほとんど厨房にいやす。その際もネルク以外はこんので、心当たりと言われても……」

「フレッソは誰も見ていないか?」

「窓からちょっとだけ調理場が見えます、が……バーデさん以外は、ネルクさんの出入りしか見てま、せん」

 ネルクさんやバーデさんが調理場に出入りするのは日常だろうし、重要な情報にならない。窃盗という犯罪を犯す以上、目撃されないように気を払うだろうから当然だろうけど。逆に怪しまれないのを利用して、2人のどちらかが堂々と盗んだ可能性も捨てきれない?

「気になる点はなかったか?」

 淡々としたロベインさんの問いに、フレッソさんは恐々と口を開いた。

「……拾った近くの木が、折れてました。折れるというか……試し切り、みたいな切り口で……」

「刃こぼれしてないか調べたって言うの?」

「切られた枝は?」

 ロベインさんの問いを、フレッソさんは首を横に振って否定した。

「なかった、です。折れた木が見つかったら怒られると思って……それもあって、ナイフを拾ったって言えませんでした」

 庭にナイフが落ちていたと伝えたら、どこで拾ったか聞かれる。その際に折れた枝も見つかりかねない。懸念もあって、フレッソさんはナイフを回収する行動に移したのか。

「どこで拾ったの?」

 チェシイさんのおだやかな問いに、フレッソさんは近くの窓に駆け寄る。

「ここからだと見えないけど……あっちの」

 指された向き的に、小屋があった方角かな?

「……あれ?」

「どうしたの?」

 窓の景色を見てほうけた声を漏らしたフレッソさんに、チェシイさんが近寄りながら聞いた。どうにか冷静に戻れたのか、足どりは幾分見られるものになってきている。

「使おうと思った道具が、なくなってる」

「なんだ?」

 フレッソさんは窓の先の一点を指す。館から漏れた光がてらす庭は、一切の道具が見えなかった。この家に来る際、その場所に置かれた荷物をうちも見た。

「あした使おうと思って、腐葉土とかを置いたんです」

 小屋があるのに、どうして外に置きっぱなしにしてたんだろう。フレッソさんがおびえないで言うのを見る限り、容認されていたのかな? 小屋に置いたら品質が保てないとか、既に小屋に置き場所がないとかの事情があったのかな。

「もしかして、麻袋でしょうか?」

「そう、です」

 認める言葉を得たネルクさんは、表情を曇らせた。

「申し訳ありません。ゴミかと思いまして、先ほど焼却炉に破棄してしまいました」

 まさかの結果に、フレッソさんは声にならない悲鳴を漏らした。そんなに大切な道具だったのかな。

 哀れみを感じつつ、窓に視線を移して気づく。

「回収できるんじゃないですか? 燃えてないですよ」

 焼却炉があった場所には、一切の光が見えない。燃えているのなら、光って見えるはず。

「燃料をケチって、使用制限があんのよ」

「回収いたします」

 バツの悪い空気を嫌うように、ネルクさんは行動を起こしかけた。

「いいですよ……捨てられたもの使うなんて、できやしません」

「この状況で動くのは危険だ。その程度のものなら、また買えばいい」

 フレッソさんとロベインさんの言葉を前に、ネルクさんは改めて肩を落とした。

 『その程度』なのに、さっきのフレッソさんの反応。庭仕事の道具に、決められた予算でもあったのかな。買い直す余裕がなかったとかあったのかな。

「申し訳ありません。確認をするべきでした」

「いいです。僕が焼却炉を使えないのも問題があるので」

 優しいネルクさん相手だと恐怖もやわらぐのか、フレッソさんの口調は結構流暢だった。

 ネルクさん、いつの間に捨てたのかな。うちが来た際には、道具はあった。来てから今までの間か。仕事が早い。

「考えるべきはナイフだ」

 ロベインさんの一声で、それかけた話題が軌道修正される。

 マヌーさんに使われた凶器は、ロベインさんがネルクさんに破棄を頼んだナイフ。

 フレッソさんが庭で拾ったのは、バーデさんが調理場で使っていたナイフ。

 どちらのナイフも、管理していた人から消えた共通点がある。

「ナイフを盗んだのが犯人ってことでしょ?」

 アムさんの悪態じみた言葉に、すぐに返る声はなかった。

「……ナイフの紛失に気づいたのは、いつだ?」

 ロベインさんの問いで2人が呼び起こした日付は近かった。

「外部犯なら、同日に盗むんじゃないか?」

 ロベインさんの言葉は、一理あるかもしれない。複数回館に侵入するリスクを犯すより、1回で用事を済ませたほうが安全そうだ。

「まだ疑うの!? いい加減にしてよ!」

「そもそも、盗む理由がないですよ」

 思わず漏れたうちの言葉に、視線が集まった。疑問まじりの視線もあって、説明の要求を感じた。

「盗んだナイフで犯行に及ぶ理由も、庭に隠した理由も、現状見つかりません。外部犯なら、凶器も持参したらいいじゃないですか」

 犯行をなすりつけるためにしてはおざなりすぎる。ロベインさんが今使うナイフを盗んだら。『ナイフを盗まれた』というロベインさんの証言を裏づける人がいない。『ウソをついているんだ』と疑惑の目は向けられそうだ。

 今回は、ロベインさんが破棄したナイフ。使ったところで、誰かを犯人にしたてられるとは考えにくい。

「どう言いたいのよ」

 アムさんのイラつきの理由は、うちの言いたいことがわからないからなのか、わかったからなのか。

 わざわざナイフを盗んで、犯行に及んだ理由。

 思いついた可能性でしかないコレを言ってもいいのか、はばかれる。

「わかることがあるなら、言いなさいよ!」

「……凶器を入手する手段のない、内部犯だったから」

 うちの言葉に、当然空気がしびれた。

 ロベインさんが可能性をほのめかしてはいたけど、ここまではっきり言うのは心が削れる。

「あたしたちの中に犯人がいるって言うの!?」

「そうですよ。あんまりです!」

 バーデさんまでも否定した。自分たちが疑われたんだ。当然だ。

「凶器を入手する手段がないって、どんな意味なの?」

「自由に買物ができないとか、使えるお金に自由がないとかです」

 お金持ちや下働きの生活がわからないから、実際に制約があるのかはわからない。

 これだけの豪邸に住んでいるなら、街で顔も割れていると思う。だからこそ、凶器になる品を買ったら怪しまれる可能性は考えられる。

「だからこそ『ナイフを盗む』という回りくどいことをした……んじゃないかと」

 あくまでも可能性。強めるために、最後の言葉を足した。

 反論する人がいない限り、凶器を自由に買えないというのは、間違ってはいないのかな。

「ナイフを買えない人が犯人って言いたいの?」

「もしくは、買えない人に罪をなすりつける目的……もあるかと」

 いつかこの推論にたどりつくと想定して、買える人が錯乱目的で盗んで実行したとも思える。ネルクさんやバーデさんやロベインさんなら、ナイフを買っても怪しまれなさそうだ。庭師も刃物は使うのかな? ハサミは使いそうだけど、ナイフも使う? 館から帰っているていだし、仕事無関係の自分用としては買えるか。

「そこまで言うなら、誰が犯人か言い当てなさいよ!」

 続けられた言葉には、返せる推論はなかった。あくまでも、内部犯の可能性を示しただけ。

「アムではないのか」

 復活した鋭い目線に、アムさんは眉をつりあげて反論を始めた。

「違うって言ってんじゃん!」

「確実に口論を聞いた。怪しまれるのは当然だ」

 うやむやになっていた話を持ち出されて、アムさんは表情をゆがめた。それでも美しさをかすめとれるんだから、美形は得だ。

「何回言ったらわかるの!? 部屋にいて会ってない!」

 一貫した主張を続けるアムさん。にらみあいをしたロベインさんは、ふいにフレッソさんに視線を向ける。突然のターゲッティングにおびえたフレッソさんを気にもとめないで、ロベインさんは言葉を続ける。

「聞いただろ?」

「はい……旦那様とアム様の言い争う声……聞き、ました」

 証言を証拠にまた叱責が続くのかと思ったら、ロベインさんはおもむろに現場の扉に視線を送った。足早に駆けて扉を開けて、ロベインさんの姿は消える。

 疑問に思いつつ部屋を注視するロベインさんを待っていたら、手になにかを持って出てきた。ラジオにしては小ぶりな機器と、折り目がついた白い紙。

「それ、なによ?」

 アムさんの当然の疑問に、ロベインさんは機器を突き出した。

「これが『口論』の正体だろうな」

 その言葉で、機器がわかった気がした。

「音声再生機器、ですか?」

 うちの問いに、ロベインさんは首肯した。

「このタイプは、ある程度の距離なら遠隔操作もできる」

「録音した口論を、ロベイン様たちが聞ける状況で流したってことですかい?」

「仮定だ。内容はまだ確認していない」

 再生に伸びたロベインさんを前に、よぎった。

「念のためにどんな口論を聞いたか、2人に確認してからにしませんか? 矛盾がなかったら、2人の聞いた口論はその機器が原因って確定できます」

 うちの提案は可決された。相手が話す際はもう1人は聞こえないようにして、2人は聞いた口論を証言した。

 確認を終えて、再生する。2人の話した内容と一致した。うちが聞いたのと同じ『こんな時間まで、どこをほっつき歩いた』とかの内容だった。アムさんの帰りが遅いのは日常で、日々の口論につながっていたらしい。

「どう!? あたしは潔癖って証明されたでしょ!?」

 ようやく解決した謎に、アムさんは笑みをたたえて言い放った。

「容疑を晴らすために、自演した可能性もある」

 不変の疑念に反論の呼気を見せたアムさんに、ロベインさんが紙を突きつけた。

「こんなものまであった」

 見せつけられたアムさんの顔色が、みるみる変わる。

 うちも視認して、理由がわかった。

 アムさんがマヌーさんに当てた手紙だった。口論の謝罪と、話したいからこの時間に部屋で待っていてと書かれている。指定されたのはマヌーさんが部屋に1人でいたであろう時間。

「待って……そんなの知らない!」

「浅い演技で、罪を逃れる気か」

「絶対、あたしを犯人にしようとしてる! 状況を見りゃ、そうじゃん!」

 再生機器で偽装された口論。『会いたい』と書かれた手紙。

 状況はアムさんに不利に働くものばかり。口論は明らかに偽装。手紙も装って書くことはできる。

「手紙だって今、兄様が懐から出したのかもしれないじゃん! 機器だってそう!」

「あの……」

 激昴のアムさんを遮ったのは、フレッソさんだった。蛇のようにアムさんににらまれてひるみながらも、おずおずと口を開く。

「きのう、旦那様の部屋の扉に紙がはさまってるのを見たんです。もしかしたら、それ、かな……と」

 紙がはさまっていただけで、この手紙と断定はできない。珍しい光景だったからこそ、記憶に残ったのかな。

「内容は見なかったんですか?」

「時間、食いたくないです。僕、識字もできないですし……」

 チェシイさんの部屋に行く途中だったのか。館の扉から侵入したとしたら、チェシイさんの部屋に行くのにマヌーさんの部屋を前を歩く必要はなさそうだった。夫の部屋の前を通るなんて、根性があるな。自分をいたぶるマヌーさんに、背徳感と優越感を感じたかったとか? 見つかりにくいルートだっただけ?

「絶対、あたしじゃないから!」

 潔白を主張し続けられて、ロベインさんは両手を垂らす。追いつめられなかった落胆ではない。瞳は感情が宿ったままだ。

「ネルク、父上の部屋でこの機器を見たことは?」

「最後にお部屋をお掃除したのは、3日前だったと記憶しております。その際にはございませんでした」

「犯行に使うために犯人が設置したと考えるのが自然か」

 忌々しげにロベインさんは機器に視線をおろす。

「単純に考えたら、遠隔操作機を持つ人がその機器の所持者ですよね?」

「だったら見つけたらいい! 怪しいものなんて持ってないから、身体検査でもすりゃいいじゃん!」

 消えない疑いを早く晴らしたいのか、アムさんは両腕を広げて主張した。

「父上を殺したあと、機器本体を操作して流したらいい。遠隔操作機を今も持ち続けているとは思えない」

 ロベインさんの言葉はもっともだ。いつ誰が通りかかるのかわからない以上、流し続けるほうが賢い。マヌーさんの死後に流し続けたら、遠隔操作の必要はない。

「怪しいものは持っていないんだったな?」

 ロベインさんはネルクさんに目配せした。

「リーネス様のお荷物に、遠隔操作機やそれを隠せそうなものはありませんでした」

 うちの疑惑、終わってくれないな。

「ラジオを装った遠隔操作機の可能性は?」

 自分の知らない話が始まったからか、アムさんは小さく反応を示した。説明できる空気ではないから、察してくれることを願うしかない。

「小さく音を鳴らして、正式なラジオであることを確認させていただきました」

 そんなことまでしていたんだ。クミラジのあとのラジオ、下ネタ満載ではなかったよね? 時間も深くはないし、大丈夫なはず。ネルクさんに下品な単語を届けたくはない。

 うちを見たネルクさんに、目だけで謝罪をされる。完璧な仕事ぶりで疑いを晴らす証言につながっているんだ。ありがたく思おう。

「食事中、食後もリーネス様は荷物に近づいていません。遠隔操作機を持っていたとても、操作はできません」

 荷物を手にしなかった自分をほめたたえた。よかった。余計に疑われなくて済んだ。

「あるとしたら、部屋……か」

 鋭利な指摘に、強気を崩さなかったアムさんがひるんだ。反論をのぞかせようとしてるのか、口元はかすかに動く。発せられる言の葉はなくて、沈黙で返すことになった。

「都合の悪いものでもあるのか?」

 弱気に視線を泳がせる妹を前に、ロベインさんは態度を崩さなかった。偽装された口論すら、アムさんの疑惑を強める材料にしかなっていないんだ。

「……わかった。調べりゃいい」

 すっかり強気を失った声を遂げて、アムさんの部屋を調べる運びになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る