第4話
きょうもリメとの交流はある。
きのうの美しい舞がちらついて。正直、どんな顔で会えばいいのかすらわからなくなっていた。
それでも、会うしかない。会わないほうが嫌だ。
会いたくて、会ってもどうしたらいいのかわからなくて。相反する感情がせめぎあって、霧のように広がって。つかめない正体を前に、思考をたゆたわせるだけ。
空き部屋の扉を前に、息を整える。
同じ部屋を指定しようとしたら、なぜかリメに別の空き部屋を指定された。構わないから、応じた。
同じ部屋だと舞がよぎって、いつもみたいにできなかったかもしれない。ありがたさと同時に、どうして部屋を変える必要があったのか検討がつかない。
まさか、オレの反応が読まれていたのか? だとしたら余計、どう顔をあわせたらいいかわからない。
もやもやを払拭しようと、深呼吸する。不快なにおいが鼻孔をついた。
こげくさいような。喉にちりっと刺さるような。
においの発生源は、指定された部屋の扉の奥からするような。
……まさか、火事!?
「リメ!」
勢いに任せて、扉を開ける。不快なにおいは増した。この部屋がにおいの元凶だ。
まさか、こんな事態になるなんて。ここからは火は見えない。におう以上、なにかあるのは確実。すぐにでも助けないと!
リメを求めて、奥に駆ける。狭い室内で、目的の姿はすぐに見つかった。
「あ……エディオ」
軽くせきこみながら振り向いたリメの目は、若干うるんでいた。
それもそのはず。オレの瞳も瞬時に防護壁をはるほどの刺激が、その場所にあった。
リメの手が握るのは鍋。毒々しい黄緑色の煙が、細くあがっている。
その隣には、原型がわからない料理……と言ってもいいのか迷われる物体が、皿に乗せられている。
この場所で、この光景。
ぼんやり、想像はついた。
「換気は、しような」
ひとまずそう言って、窓を開ける。開けっ放しだった扉も閉めた。このままにおいを流したら、火事と騒がれかねない。換気は窓で足りる。
「……すまぬ」
リメは肩を落とした。その間も火にあぶられる鍋からは、怪しい黄緑色がのぼり続ける。
恐々と近づいて、中をのぞく。ごろんとした数個の黒い物体が、水分をなくした状態で倒れていた。原型がわからん。
料理をしていた……んだよな?
この部屋に完成品らしい料理も、食欲をそそる香りもしない。でもリメが調理場にいて、鍋を持っているから、そう判断していい、はず。
けど、確証に変えられないほどのにおいに、皿に転がる原型のわからない物体。
『怪しい薬と作ろうとしていた』と聞くほうが、まだ納得できる。
「ちそうしたかったのだが……思うように進まなかったのだ」
しゅんとしたままのリメの代理で、鍋にかけられたままの火を消す。放っといたら、本気で火事になりかねない。
……ってか、火力、強くないか? 強火どころか、拷問レベルに見えるぞ。
証明するように、リメの額には汗がにじんでいる。うるんだ瞳に汗。今までと違う魅力に、危機感を無視して反応する自身が情けない。
「ヤケドはない?」
ここまでの火力だと、うっかりふれたら大事件だ。依頼も近いリメの手に、ヤケドができたらいけない。
「また……優しくしてくれるのだな」
うるんだ瞳に見つめられて、色っぽさに心臓が跳ねた。うるみの原因、煙の刺激だけど。この顔でねだられたら、どんな国王も国を明け渡すだろ。
刺激のせいで、オレも視界が鮮明ではないのが恨めしい。角膜、鍛えとけばよかった。
「私もなにか返したかったのだ。ゆえに、国の料理をちそうしようとしたのだが……できなかった」
『できない』と思ってくれたのか。『できたよ、お食べ』ルートでなくてよかった。料理の良識がある人でよかった。
リメに『食べて』と言われたら、得体も知れない物体だったとしても、黄緑色の煙を放っていたとしても、食べるしかない。今はもれなく『うるんだ瞳』のオプションつき。断れるような人は、ハーネットくらいしかいない。
失礼ながらも安心で満たされて、笑みがこぼれた。当然、バカにした笑いではない。
「エディオになにもできぬなぞ……私はどう感謝を伝えたらよいのだ」
剣の修練とも、舞の瞬間とも違う、ひどく落胆した姿。いたいけさを感じるしかできない。
「伝わってるよ」
涙のせいか、長いまつげがきらきらと反射して、美しさを際立たせる。
オレだけに向けられる瞳が、いとおしい。
「こうして行動に移してくれただけで、オレには伝わる」
アスィイオン国の本場の味、それ以上にリメの手料理を食べられなくて残念な思いがなかったと言ったらウソにはなる。
それでもオレを思ってここまでしてくれたという行為自体に、リメの気持ちが体現されている。
今まで使っていた空き部屋は、調理場がなかった。わざわざ調理場のある部屋を調べて、準備してくれたんだ。この手間がうれしい。
「エディオですら、国の料理を作れた。出身の私にできぬなど……情けない」
見たこともないほどに落胆する姿は、とても愛おしかい。男心を芯から末端までくすぐられて。本能と理性の境すら見失いそうになる。
「いいと思うよ」
舞いこんだ風が、リメの髪をやわらかく揺らす。怪しく揺らめく煙のせいで、髪の香りは届かなかった。
「強くて、美しくて、なんでも完璧なリメにこんな面があったら。魅力にしかならないよ」
食べさせようとするなら、困った短所になりかねない。
でも失敗を認めて、ここまで落胆するなんて。愛らしい以外のどんな感情を抱けと言うんだ。
傷ついた姿は見たくない。今のリメは、失敗に傷ついているのかもしれない。でも違う魅力があって、欠かしたくはない思いがよぎる。
「こんなのの、どこがよいと申すのだ」
オレの言葉に納得できないのか、リメは柳眉を垂らしたままだった。幼子のような落胆は、破壊力しかない。
「人間らしさにあふれてるじゃん」
完璧すぎるリメは、憧れの対象になる。けど近寄りがたさは消えないかもしれない。
そこに『料理はできない』という短所が加わったら、いい意味で隙ができていい。
「オレは、いいと思うよ」
風に踊らされる髪を押さえるように、リメはこめかみの辺りに手をそえてうつむいた。
優美な姿の背後にあるのは、皿に倒れた真っ黒な物体。薄まったけど、かすかに残る異臭。まだ消えない、黄緑の煙。違和感だらけだ。
でもそのかけ離れた感じこそが、これ以上ないリメの魅力なんだ。
本当、なにを使って、なにを作ったんだか。
怖いもの見たさで近づいて、皿に目を落とす。何箇月も砂漠に放置されたかのようにかわききった姿で、皿に倒れた無数の黒。
……わからない。
「食してはならぬぞ。味の保障はできぬ」
まさか食べようとしていると誤解されたのか、若干慌てがちな声が背中から届いた。
ある意味、ここで食べて『おいしい』と言うのが男か? さすがにそこまで身を削る勇気はなかった。リメの手料理という材料を持ってしても、我が体の安全を求める思いが強い。
「なにを作ったんだ? 話だけでも聞かせてよ」
笑顔で振り返って、伝える。心なしか、頬を赤くそめたリメがいた。ここまで失敗するとは思っていなかったのか?
オレの隣に来たリメは、手前にある皿を指した。
「これがクスク……いや、それはこれか? だが……」
本人でも把握できないほどの失敗らしい。
難問をとくかのように、むつかしい顔で熟考してしまったリメを見つめる。表情はすっかり困窮にそまっている。眉間に刻まれたシワすら愛らしい。
「どんなのがあるのか、教えてよ。オレも作りたい」
リメの手料理を口にするのは、無理かもしれない。知識だけなら、さすがに問題はないだろ。
正直、料理は得意と言えるレベルでない。リメの故郷の料理は、興味がある。食べさせたら喜んでくれるかもしれないし。
「……結局、頼ってしまうなぞ」
いつまでたっても、落胆が消えないリメ。料理に失敗したのが、ここまでショックだったのか? そんな面も愛らしい。
「一緒に作ったら、そう思わなくて済む?」
オレの腕は、よく言って人並みだ。リメの料理スキルに完全に押されるか?
どんな結果になるかはわからないけど、それはそれで興味はある。
「よいのか?」
沈んでいたリメの表情は、かすかに晴れた。
「オレもうまくはないけど。それでもいいなら」
少なくとも、火力には問題があった。そこを指摘だ。そもそも物体が全部似たりよったりの黒になったのを見ると、あるいは火力だけに問題があったのか?
火力の指摘だけで料理もうまくなったら、うれしいような、また完璧になって心さみしいような。
「こっちの食材でも作れるのかな」
オレの作った軽食は、食べられる味にはなったらしいけど。味は違っちゃったんだよな。現地の食材を使わないと、味は再現できないのか?
「わからぬ。似たものを見繕ったが、味はどうなるやら」
できあがった黒の物体では、とても確認はできない。
似た食材を使ったとしても、完全な再現はできないよな。気候も違うだろうし、好む味も違うかもしれない。
「行きたいな」
ぽつりと出た声に、正気に返った。
リメの故郷に行きたいなんて、なに話しているんだ!
びくびく心臓を騒がせつつ、リメを見る。皿を持って、その上の物体をまじまじと見つめるだけだった。
……聞かれては、いない? よかった。
「来たとして。新鮮なまま持ち帰るのは、至難であろうな」
届いた声に、喉がつまるような感覚に襲われた。聞かれていた。
いや、深い意味はないけど。
それでも騒ぐ心臓をとめられなくて、いたたまれなくなって。
「代わりにっ、オレ、作るよ! こっちの料理!」
リメの反応も見れないまま、逃げるように。部屋を出てしまった。
言ったものの、オレの故郷は自慢できるような郷土料理はなく。
この国の料理は、リメは散々食べているだろう。食堂も利用していたし、目新しさはない。
困窮したオレは、ハーネットに故郷の味を聞いた。材料をかき集めて、部屋に戻った。
オレのいない間に片づけたのか、物体は消え失せていた。さっきの惨状がウソのようにきれいな調理場。空気もすっかり正常に戻った。
捨てた、のか? さすがに食べていないよな? 危険満載に突撃しそうには見えない。あの物体でも、土の栄養にはなるだろ。土にも有害にはならない、はず。
「正直、初めて作る。失敗したら、ごめん」
最初に謝る。
期待させておいて、落胆させたくはない。
料理をしないハーネット相手に、レシピは聞けなかった。使われた食材と完成形の味だけで作るという、我ながら無理難題をこなそうとしている。
味も見た目もわからない料理。作れるか、不安しかない。
本当、ごめん。勝手な都合で逃げて、作れもしない料理でもてなすなんて言っちゃって。
「料理はせぬのか?」
開けられた窓からそよぐ風が、ほのかに異臭を届けた。きっと風上にいるリメのにおいだ。換気をしても、リメにしみついたにおいまでは消えなかったんだ。
「やるとしても、軽い調理程度で」
自炊をしなくはないけど、軽いものしか作らない。家の料理道具も、必要最低限だ。ハーネットには『家に料理道具がある』ってだけで驚かれたけど。
「できるだけ、優秀ではないか」
リメ並みにできないほうが、オレとしてはびっくりだ。そこらもお国柄の違いか? 『刃物なんか危ない』って、皮むきすらさせられてこなかったとか?
「子供の頃から、手伝い程度でやってはいた。それがよかったのかな?」
「幼年の頃から頼られておったのだな」
頼るっていうか『やれる手伝いはするのが当然』って考えだった。遊びも大切だけど、苦労も覚えろ……みたいな。
失敗しても、強く怒られはしなかった。失敗から学ぶことを教えてくれた。
「当時作っておった料理は、どんな品だ?」
話せるほど、いい料理ではないんだけどな。アスィイオン国みたいな特色もないし。
「平凡だよ。地味な野菜と花をいためて、生卵を絡めるだけ」
子供でも簡単に作れた。魔獣の出ない場所にある花を採りに行くのも、手伝いの一環だった。オレは魔獣の恐怖で、ほとんどできなかったけど。まともに採れないオレに、毎回『採れ』と命令する人を恨めしく思ったものだ。魔獣が出ないと言われても、嫌なものは嫌なんだよ。
「花を食すのか?」
「こっちでは見かけないな」
苦くて、花は苦手だった。こっちでは『野菜をいためる』はあっても、花が入った料理は見たことがない。オレの前から苦手が消えて、うれしかった記憶がある。
「うむ……花を食用とみなすなぞ、驚愕だぞ」
花を使って謝罪する文化が、アスィイオン国にあった。感情を食べるみたいで快く思わないか?
おもむろにリメをうかがう。幸いにも、不快に感じる様子はなかった。
「ごめん。オレの故郷、変わってんだよ」
故郷は平凡中の平凡だとは思っているけど、荒立てたくなくて、適当に繕う。
「謝る必要なかろう。大切な故郷を、そのような言葉で片づけるでない」
「花を使うってさ。アスィイオン国からしたら、不快でしょ?」
「驚きはしたが、怒りはせぬ。それぞれの文化があるのは、とても誇らしいことではないか」
まっすぐな声に、料理の手がとまる。
すとんと届いたのは、他でもないリメの言葉。
「それでいいんじゃん」
振り向いて、リメを見る。
言いたいことが伝わっていないのか、すました顔のまま。
「リメは、オレの故郷を受容できるんだろ? リメの方言だって、同じだ」
きっと他の誰よりも、リメ自身が強く思っていたんだ。
「話したら、案外あっさり受容されるかもしれないだろ? 閉じこもったままだと、故郷の魅力を誰にも伝えられないままだ」
リメは小さく口を開けた。
核心をついたのか、考えもしなかったのか。
どちらにしろ、オレの意見は伝わったんだ。
「怖がりすぎなんだよ。リメは」
笑って、料理に戻った。
平凡だと思っていた、オレの故郷。思い返すと『花を食べる』なんていう、珍しい食文化があったのかもな。
もしかしたらどの国も、他の国から見たらどこかしら『変わっている』と思われる風習があるのかもしれない。それは短所でも、はじるべき箇所でもない。誇るべき文化で、自慢できる長所なんだ。
味見で様子を見ながら、どうにか料理は完成した。
本物の味を知らないから、ハーネットの故郷の味に近いのかすらわからない。食べられる味にはなったから、今回はよしとする。
緊張しつつ、リメに提供する。口に含んだリメは、表情をほころばせた。
「うまいではないか」
失敗を恐れて無難になってしまった感は否めないけど、喜んでもらえてよかった。
異国料理をぱくぱく食べ進める姿を見て、さっきよぎった思いがかたまる。
「……ためしに、会ってみないか?」
リメは咀嚼する頭部をかたむけた。小さな動きでも、髪がさらりと流れる。
「その料理が郷土料理のヤツとさ。オレ以外とはまだ、話せてないんだろ?」
本来の目的は、それだ。
リメが仲間と協力しあうようにする。可能になるまでの満足な基盤はかたまったように思える。
誰とでも話せるようになったら、こうして2人でいる時間もきっとなくなる。大切でおだやかな時間は、手の届かない先に消えてしまう。そう思うと、さみしい感情もある。
それでも、オレがやるべきことは決まっているから。
依頼人のためにも、協力しあわないと成功が厳しそうな依頼だからこそ。
リメが無事に依頼を終えるためにも、必須なことなんだ。
手をとめたまま、リメは言葉を発しようとしなかった。すぐには決断する気になれないのか。
時間が停止したかのように、硬直するリメ。料理から漂う湯気が、かろうじて時間の流れを証明していた。
続く沈黙に、決意の後押しになるべく言葉をかける。
「オレの知人でさ。悪いヤツではないから」
『いいヤツ』と伝えるのはてれくさい。リメの中で美化されすぎても困るから、この言葉を選んだ。
すぐに返る言葉はない。とめられた時間から、一向に動こうとしない。
ウソでも『いいヤツ』と伝えたほうがよかったのか?
迷いの後悔が広がり始めた瞬間、リメは小さく口を開いた。
「話さぬと……いけぬのか?」
「仲間と交流ができないと、これからの依頼に響く。なにより、リメのためにならない」
突き放すみたいで、かすかに心が痛んだ。
それでも、やらないといけない。
数日しか一緒にいなかったけど、リメが本当は話し好きで人当りのいい性格なのはよくわかった。
『無口で近寄りがたい人』の評価で終わらせるなんて、リメは本当は望んでいないはずだ。
オレだって望まない。リメが遠くに消えてしまうことになっても。リメのためになる道を選びたいんだ。
「仲間だって、望んでるんだ」
かすかにうつむいたまま、リメは言葉を返さなかった。他の人と話すことに、まだ恐怖はあるのかもしれない。
でも依頼までの時間も限りがある。やるなら、今しかない。
「ついてきて」
扉まで歩いて、リメの決意を待つ。しばらくたって、リメはゆらりと来た。
明らかに乗り気ではなさそうな姿を見つつ、部屋を出た。
他に人のいない部屋にハーネットを呼び出して、机をはさんでリメと対面で座らせる。
リメは緊張の面持ちのままうつむいて、発しないまま。
当然のごとく疑問だらけのハーネットの顔が、オレに向く。
細かい事情は、あえて説明していない。本心のハーネットとぶつからないと意味がないと思ったから。
リメの方言のことを一切知らないハーネットが冷たい反応をしないとわかったら、リメも安心できるはず。
「……大丈夫だよ」
一向に言葉を発しないリメに、優しく声をかける。それでも言葉はない。
ハーネットは視線がオレに、リメに向く。なにかしらの察知はしているのか、騒ぎ立てはしない。
しばらくの沈黙のあと、リメはゆっくりと顔をあげる。
「待たせてすまない。用事もあったであろうに、私用につきあわせてしまって」
「なに、その発言」
いきなりの攻撃に、思わず声が出かける。
いや、ハーネットはリメの過去の人みたいに、ひどいことは言わない。信じて、どうにか口をつぐんで見守る。
干渉したらいけない。オレなしでも、誰とでも交流できるようにするためにも、極力黙って見守らないと。
その気はなくても、日常的にイラつくような言動があるハーネット。今回もそれだろ?
「……国の言葉だ」
リメの声は、さっきより小さかった。ヒザの上に置かれた拳が震えて、力が強められているとわかる。
どんな感情がうずまいているんだ。『やっぱりひどいことを言われた』と思わせてしまったのか。
ちりりと胸は痛むけど、悪意のない『方言についての質問』はあると思う。今後のためにも、必要な壁だ。
「おっけー。なに?」
あっさりと流されて、次の話題を求められた。
瞬間、リメの拳の震えはとまる。うつむきかけた頭も、ふわりとあがられた。
「……それ、だけ……なのか?」
信じられないものを前にしたかのような様子。周章を隠せないでいる。
「いや、こっちの言葉なんだけど。なにしに来たんよ」
本気でわかっていない様子のハーネットを前に、リメはわたわたとし始める。
さっきの緊張感はどこへやら、小さく動く首に『愛らしい』とかよぎってしまう。いかん。オレよ、空気を読め。
「おぬしはなんとも思わぬのか?」
「質問の主語、どこ」
ハーネットの返しに、リメの顔がオレに向いた。
へにゃりと垂れた眉に、かすかにうるんだ瞳。全力の困窮が見てとれる。
……どう返せばいいんだ。
考えていたら、ハーネットと目があった。迷いもなく、ハーネットの指がリメに伸びた。
「もう話すのは影響ないん?」
『人を指すのはよくない』と伝えても効かないハーネット。この行動は気にならない。リメはどう思ったか知らないけど、今はハーネット指導はメインではないから耐えてくれ。
『今、調査中』って言ったら、意味がなくなる気がする。ぼかして伝えるか。
「そう……だと思う」
断言したかったけど、念のためにさけた。
リメの揺れる瞳がなぜか刺さったけど、その首はふいに前に戻される。
「結局、なんで話さなかったん?」
まるで難問を前にしたかのように、ハーネットは眉間にシワを寄せた。への字にゆがんだ口は、悩みの深さを物語る。
「え……?」
リメの驚きの声が漏れる。かみあわないまま続けられる会話を前に、オレもどんな感情を持っていいのか悩む。
「エディオとのトークがおもしろくて、こっちも話さずを得なかったとか言うの? ありえないじゃん。退屈の極みじゃん。そんな感覚なら、即日治療してもらうべき」
おい待て、それ失礼の極み。お前、そんなこと思っていたのかよ。
……いや、親しいからこその軽口だ。そう思おう。
「なにも……思わぬのか?」
「エディオ相手に『楽しい』も『おもしろい』もない。そこにあるのは、無――」
「ではなく、私の言葉をどうとも思わぬのか?」
続けられそうになったハーネットの言葉を、リメは強い口調で遮った。
突然の態度にハーネットは一瞬目を丸くしたけど、すぐにいつものふてぶてしい顔に戻る。
ハーネットの発言がひっかかりこそするけど、今回はリメに免じて見逃す。
「……なに?」
「私の発言を……笑わぬのか?」
その言葉にようやく悟ったのか、ハーネットの口が小さく開いた。
「え……まさか、んなことで?」
疑うかのように首をかたむけて、目がすがめられる。悪く見える態度はデフォルトだ。
「そんなことではない。あやつは笑ったぞ!」
しばらくリメを見ていたハーネットの目が、ゆらりとオレに向く。視線の意味はなんとなくわかって『リメの言葉は事実だ』と伝えるべく点頭した。
すべてを理解したハーネットは、背もたれにずるりと寄りかかる。のけぞるような姿勢は、まるで団長のようなたたずまいだ。
「笑うヤツもいるだろよ」
リメの肩が、ぴくりと反応した。
予想外の言葉にオレも声が出かける。だけど信頼して、どうにか喉元でとどめた。
「笑われて当然と思ってるん?」
「思うわけなかろう!」
リメは机をたたいて、感情をあらわにした。ここまでの激情が物語る、リメの心の傷。
「だったら、どうして隠すよ」
あっさりした言葉に、リメはすぐには返さなかった。
沈黙を、ハーネットの言葉が破る。
「誇れる文化だと思ってんなら、堂々としてりゃいいじゃん」
言われてみればそう、かもしれない。
アスィイオン国について語るリメは、とても楽しげだった。故郷を愛している証拠だ。
「なにやっても、笑うヤツは笑うんよ。笑わせときゃいいじゃん。んな低俗人間、こっちから願い下げだっつの」
ぶっきらぼうな言葉だけど、意外にも筋が通っていた。
異文化を笑う人間なんて、ごく一部。そう思うのは、ハーネットも同じらしい。
「ついでに言うなら、排除しようと思うのは『自分の周囲にそれがあってほしくない』って証拠。そいつが過去に、なまりで嫌な目にあったとかの可能性もあるん。んな過去を想起したくなくて、無関係なリメをあしらっただけよ」
「そんなのアリかよ」
思わず口から出たオレに、ハーネットの一瞥がとんだ。目だけで『ごめん』を伝えたら、ハーネットの話は続けられる。
「恥や傷を遠ざけたい人間の心理よ。リメはむしろ堂々と、そいつらの傷も無効にする勢いで話しゃいいの」
はずかしかったり傷ついた過去とかは、思い出したくはない。それだけでリメに冷たい言葉をかけたなんて。人間は弱い生き物だ。
オレだって忘れたい苦しみを前に、他人を傷つけてしまったことがあるかもしれない。心の余裕が持てない状態とはいえ、そうならないように気をつけないと。
「受容……されるのか?」
「結局、相手によるだろうさ。宇宙並みに広い心の持ち主のおれは、その程度でどうこうとかよぎりもしない」
ハーネットが広い心を持つとは、到底思えない。リメを酷遇しない心があるのはわかったから、なにも言わない。
『大丈夫』と伝えるように、ハーネットはリメに親指を立てた。ふてぶてしい態度も相まって、悪いボスにしか見えない。
「今回の仲間に、そんなに冷たい人がいると思ってる?」
優しく聞いたら、リメはゆっくりオレに振り返った。不安げで、どこかさみしげな表情。小さな間を作ってから、首を横に振る。
「よし来た。善は急げ、交流してこい」
リメの視線は、ムードを壊したハーネットに戻された。
「依頼まで時間がないさ。急げ」
仲間とのつながりは、早いうちに強めるに越したことはない。手荒なハーネットの言葉に、オレも続けるべく口を開く。
「大丈夫。仲間は理解してくれる」
後押ししたら、リメは不安な表情を消せないまま椅子から立った。1歩1歩に決意を乗せるように、ゆっくりと扉に歩いて行く。扉を開けて、部屋を出る瞬間。リメは、迷いがちにオレに向いた。表情をうかがえないほどに一瞬で顔は戻されて。音もなく、リメは部屋から消えた。
静かに閉まった扉を前に、寂寥感がよぎる。
「やったじゃん」
背中に届くハーネットの言葉が、どこか別世界から聞こえるもののように感じる。
「どんなテク、駆使したんよ」
……違う。今までが別世界だったんだ。
話したこともない人と交流して、舞を見せてもらって、この世のものとは思えない料理を作られた。
平凡な日常とは比べられない、夢のような日々。
「……わからないよ」
ようやく、日常が戻ったんだ。
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