第3話

 翌日。リメとの交流を前に、図書室でアスィイオン国をくまなく調べた。

 こっちにとっての『当然』が、アスィイオン国にとっての『非常識』になるかもしれない。『郷に入れば郷に従え』の言葉はあれど、こっちで冷たい言葉をあびたリメだ。適用するべきではない。

 オレは本当にバカにしていないし、笑いもしないとまず信頼してもらわないといけない。そんな人が1人でもいるとわかったら、その感情を仲間に適用するのも簡単になる。

 できるだけ多くの知識を、脳の記憶タンクに詰めた。

 それからオレが向かったのは、リメとの約束の場所。

 修練終わりの休憩がてら。軽い感覚の交流。

 きのうの反省を生かして、きょうは軽食もなし。こっちの料理なら準備してもいいかと思ったけど、まだ好みも把握していない。食堂で食べていたメニューを調べて準備したら、ストーカーと誤解されかねない。好きな食べ物を聞く話題になるし、手ぶらでいいよな。

 リメは自警団本部の空き部屋の壁にもたれかかって、窓から景色を眺めていた。リメがいるだけで、地味な背景が芸術家が描いた絵画のような空間に見える。

 最低限の掃除しかされていないから、空気もよくはないはずなのに。リメの髪を通り抜けた空気は、繊細に浄化されたように感じた。

 近づくより前に向けられた視線に、笑顔で返す。

「お待たせ」

 向けられた顔は変わらず優美で、思わず心臓が跳ねた。

「案ずるな」

 迷いなく発せられた言葉。オレ相手なら、話す抵抗は薄くなったのか? きのうの言葉に少しは効果があったのかと思って、うれしくなる。

「あれこれ話したいんだ。答えたくない話題があったら、無理しなくていいから」

 無理したら本末転倒だ。話すのはつらくない。そう心に刻ませないと。

 扉を閉めて、リメの近くの壁に背を預ける。

 広くはない部屋に2人きり。こんな場所を待ち合わせに指定して、正直警戒されるのではとは不安だった。

 リメはまだ、自分の方言を聞かれるのに不安がある様子だ。人通りのある場所を選ぶのは、適切ではないと判断した。

 ざわめきのある店とかでもいいかとも思った。でも通りすがりの人に、笑うような心ない人がいたら終わる。そもそも店に誘うのは、さすがにひけた。

 この場所を伝える際、念のため『人通りが少ない』と伝えて理解を仰いだ。就寝前に『人通りが少ない室内は、それはそれで問題がある』と気づいた。既に手遅れだったから、どうともできなかったけど。来てくれてよかった。

 念には念を入れて、扉の鍵は閉めなかった。そこは主張しなくていいよな? 言ったら、逆に怪しいし。

「こんな場所で、ごめん」

 ひとまず先に言っておこう。警戒されたら、理由をちゃんと説明しないと。警戒されたままだったら『会話を楽しく』って趣旨に響きかねない。

「趣旨はわかっておる」

 『方言を聞かれないように、ここを選んだ』とは、理解してくれたのか。だとしても、2人きりを承知でよく来てくれたな。

 オレは、魔獣に震えてなにもできない姿を見られたんだ。今考えると、思い出したくもない情けない姿だ。泣いていなかったのが、せめてもの救いか。……涙目にはなっていないよな? なっていないと信じよう。

 弱いオレを見たから、平気と思われたのか? 万一があっても、実力の差で封じられる。理由はどうであれ、オレは『安全』と信頼されたんだよな? 前向きに考えよう。余計なことを考えたら、勝手に傷つきかねない。

 本題に戻らないと。そのために来たんだ。リメの時間ももらったんだ。

 少しずつ話して、少しずつ癒やしていこう。

 魔獣を一掃できるリメの実力を最大限に発揮させるためにも、仲間との交流は必須だ。リメの才能を眠らせたままにしないためにも、必要なこと。

「アスィイオン国のどのへんの生まれ?」

 まずは当たり障りない話題から。個人的にも興味はある。

「西のほうだ」

 どんな子供だったのか気になるけど、さすがにいきなり踏み込みすぎ? 子供の頃からりんとして、利発だったのかな。

 兄弟とかいるのか? ……いや、家族を亡くしている可能性もある。簡単に聞けないか。

「どんな料理を食べてたの?」

 生きる上で、食は欠かせない。食の話題は万国共通。

 食文化の違いがあっても、それが親しくなるきっかけになるかもしれない。

「クスクス……は、わかるか?」

 覚えがある。本に載っていた情報の記憶を呼び起こす。

「小麦で作った、米みたいなやつ……だっけ?」

 リメは点頭した。よかった、当たっていた。事前に予習しておいてよかった。

「あとはパンもいただく。肉はヤギや羊が多い」

 パンと聞いて、想起した。

「きのうの軽食、ごめんな。本で読んで、マネして作ったんだけど」

 謝りはしたけど、そのあとにあれこれあって。『謝った』と、しっくり感じられないままだった。

「こってりだったが、うまかったぞ」

 かたむけられた顔から届いた声。

「食べたの!?」

 よく考えたら、軽食を渡したあとにリメに助けられた。その手には軽食はなかった。

「おぬしを追うのを優先して、さすがにポーチにしまったが。別れたあとにいただいた」

 あれこれあって、軽食の行方を気にしていなかったけど。まさか食べてくれていたなんて。

 うれしいような、マネっこクオリティを食べられてはずかしいような。

 『うまい』と言ってくれた以上、怒ってはいないんだ。

「完成度に怒ったわけではなかったんだ」

 故郷の味をいい加減に再現されて、逆鱗にふれたとかはなかったのか?

「そんなにがっつく女と思われておったのか?」

 しゅるりとさがった柳眉が、変わり行く表情を可憐に演出する。発言と比例して動く表情は、より魅力を高める。首の動きだけで応対をしていた頃は、ちっとも表情が動かなかったのがウソのようだ。言葉と同時に、感情も封じてしまっていたのかもしれない。

「いやっ、そんなじゃなくて……不完全な知識とありもので作ったから、かなーりひどいクオリティになって怒らせたのかと」

 色気と愛らしさのまじったリメの落胆を前に、どもりがちに弁解した。

 なに慌ててんだ。

 内心、冷静にツッコむオレ自身の心臓が騒いでいて、説得力がない。

「国の味とは異なったが、あれはあれでよかったぞ」

 完全なる別物、だったのか。そうだよな、マネっこクオリティだもんな。それでも、その評価がもらえてよかった。

「正直、もらった瞬間はとまどいはしたが……食した瞬間、エディオは本当に信じてもいいと思えたのだ」

 かすかにあがった口角は、太陽の光が届いた水面のようだ。

 まっすぐに届いた言葉は、予想外に胸に届いて。

「どう、して?」

 故郷を思い出せるような味ではなかったのに。

「書類でお国言葉を知られた際、なにも言わなかったであろう? そのあとに飯を手に来たから、国を調べて笑いに来たのかと思ったのだ」

 そう思わせちゃったのか。だから軽食を渡した瞬間の反応がにぶかったんだ。不快にさせちゃってたんだな。

「飯の見た目は、ちゃんとしておった。こんな手間をかけてまで嫌がらせをする気質に思えんかった。前日の態度はマジメだったゆえ」

 あれの前日は……仲間と協力するように頼んだんだったな。誠意は伝わってたのか。よかった。

「だが、そのあとにお国言葉を話題にされ。やはり笑いに来たのだと結論づけてしまったのだ」

 にごった声に比例するように、細身の肩が小さくすぼむ。縮められた体からは、隠せない後悔がにじみ出る。

「それは……ごめん」

 いたたまれない空気をどうにかしたくて、吐いた言葉だった。リメのふれられたくない部分に刺さるなんて、思いもしなかった。

 当時だけでなく、今もこうして落胆させてしまった。オレもつらい。リメには、早く元気になってほしい。

「それも過ちかもしれぬと、すぐ気づいた。おぬしが花を採りに消えたゆえ」

 ……オレ、花を採るって言ったっけ? そもそも魔獣と対峙するオレの前に、どうして都合よくリメが来てくれたんだ?

「オレが森にいるって、どうしてわかったんだ?」

 恐怖に襲われたオレは、それすら疑問に思わなかった。そのあとはリメの声うんぬんで、疑問に思える思考の余裕が働いていなかった。

 直前まで本部の裏で修練していたリメが、偶然来たとは思えない。リメレベルなら、あの森は肩ならしにもならない。

「あの態度のあとの『輪を大切にする』なら、謝罪の花輪としか思えんかった。近辺で自然を求めるなら、あの森だ。音や気配を頼りに、おぬしを見つけたのだ」

 だとしたら、リメはかなりすごい。今までも、オレが声をかける前に反応している。そこらの感覚は並外れているのかもな。だからこそ、今回の依頼に必要とされたのか。依頼のためにもちゃんとしないと。

「私の声に笑いもせず、あの程度の魔獣におびえておって」

 変わらない声音で続けられた言葉は、少なからず胸に刺さった。日常のように語られたけど、オレからしたらスルーできない案件だ。

「それは……忘れてほしいんだけど」

 あれは、結構はずかしい姿だと思う。しかも『あの程度の魔獣』だなんて。オレが思う以上に、リメからの評価は弱くなっているのか? だからこそ、この部屋に来てくれたとも思えるけど。だとしたら、素直に喜べない。記憶を消せる魔法があるなら、迷わず使いたいレベルだ。

「なにを言うか。怖い思いをこらえてまで花を求めて森に駆けるなぞ、おぬしに笑う気はなかったというなによりの証明ではないか」

 そう、なるのか?

 あの瞬間は、リメの怒りをどうにかしたい思いで満たされていた。魔獣が出ることを完全に失念していた。

 リメに謝りたい、許してもらいたいという強い思いはあった。そう考えたら、証明にもなるのか?

「あの言葉のあとに改めて飯を見たら……なによりも美しく見えた。笑う心なぞ細微もない、誠意の塊であった」

 怒らせて、迷惑をかけ続けたと思ったら、偶然にもそれらがリメの心に届いていたらしい。

 自身の運のよさを賛歌しつつ、縁が切れなかったことに感謝した。こうして話し続けられる今は、偶然の奇跡のようなものだったんだ。

 誤解でリメを傷つけて、ちぎれかけた縁の糸。繊維だけでどうにかとりとめて、今のこの瞬間があるんだ。

「今さらだが、うまかったぞ。感謝する。誤解ゆえひどい態度をしてしまって、すまなかった」

 ふわりと口元が弛緩して、体全体がほのめいて見えた。完美さの中に、とっつきやすさがにじみ出る。

「いや、こちらこそ。ごめんとありがとう」

 互いに伝えた謝罪と感謝に、思わず吹き出した。

 なんだこれ。思いながらも、わかりあえた事実がうれしい。甘酸っぱいこそばゆさに、感覚がにぶる。

 互いに謝罪なんて、花の輪を贈りあうのか? 魔獣事件があるから、さすがに自重するけど。

「お礼の際もなにか渡すんだったよな?」

 それも本に書いてあった。

「うむ。なにに対する礼かによって、異なるのだ」

 花の輪しかない謝罪に対して、お礼で渡す品のバリエーションの多さには驚いた。礼儀を重んじるお国柄なのかもな。

「他にも、送る文化が多そうに見えたな」

 お祝いに贈る品のバリエーションも多かった。

 こっちでも、誕生日にプレゼントを贈るとかは主流だ。けど初めての狩りとか、魔法の成功とか、こっちではせいぜい『おめでとう』どまりのことすら、祝いの品を送るらしい。

 祝いの品をもらうことで、自身のやる気につながるのかもしれない。それでリメが強さを手にしたなら、納得できる。

 オレももっと多くの人をほめるべきか? 門外漢のオレがほめても、響かなそう。どころか、嫌みに聞こえるか? 悩ましいところだ。

 同業者をほめるなら、トゲがたたないか? 同業者って……ハーネット? あいつをほめるの? ないな。軽く流されて、ほめたことを後悔させられるに決まっている。

「そうかもしれぬ。贈りあうのが、外せぬコミュニケートになっておる」

 『1年の健康を願って』とか『安全な旅を願って』とか『いい友に恵まれるように』とか、様々な思いを乗せた品を送って。愛の告白にも、思いをこめた手作りの品を渡して相手に告げるとか。

 手作りの品に気持ちをこめるなんて、いい国だ。きっとアスィイオン国の人は他人の心を思いやれる、あたたかい人ばかりなんだな。

「もらったものが増えるたび、これだけ多くの人に支えられておるのだとわかって、背筋が伸びるのだ」

 品に思いをこめる国で育ったからこそ、オレが作った不完全な完成度の軽食でも思いが届いたのかもしれない。

 うれしそうに話すリメに、本当に故郷を大切にしているんだと伝わる。少し前まで、声すら知らなかったと思えないほどの饒舌もあって。

 話すのが嫌いなわけではないんだ。本当に方言を気にして、話せなくなっていただけなんだ。

 心ない言葉を食らったせいで、うがった考えをするようになってしまって、話すという行為を閉ざしてしまっただけなんだ。

 話すリメを知ったばかりなのに、その姿を前に一切のとまどいは消えてなくなっていた。むしろあふれる喜色を見て、満たされていく心しかない。

「よければさ、もっと話を聞かせてよ」

 話すことは楽しい。

 その思いを感じてほしい。

 きっと仲間と交流するきっかけにできる。

 オレはバカになんてしない。安心して、どんどん話せ。

 オレの知らないリメを教えてくれ。







 翌日も時間をあわせて、きのうと同じ空き部屋で会う。

 小さな室内で、両ヒザを立てて座るリメと目があった。人形のような座り姿が愛らしい。スカートだったら危険な姿勢だけど、モモの奥にのぞくのは見えていい布地だ。

 うっかりとはいえそんな場所に視線を送ってしまったことに罪悪感を感じつつ、隣に腰をおろす。椅子なんてないから、地べたに座るしかない。

 距離を詰めるだけで漂う香りは、脳の思考力を奪う。髪のにおい、か? さすがにシャンプーの話題は口にできない。同性なら許されるだろうけど。

 長い毛先は、地面に設置していた。きれいと言っていいのか微妙な床にふれさせるのは忍びない。オレが支えて、地面から守りたい。さすがにそれもできないけど。少しの動きでも従順に揺れる髪に、手を伸ばしたくなる思いはある。それこそできない。自制自制。

「起きたら、少し喉が痛かった」

 小動物のようにしゅんとしたリメに、不謹慎ながら愛おしさを感じる。

 訓練中のりんとした美しさとはかけ離れた、親しみやすい表情。破壊力しかない。仕草だけで攻撃できるとしたら、オレは会うたびに数秒でノックアウトだ。

「大丈夫か? 治療室、行くか?」

 戦う人が多い自警団。治療室も当然、完備されている。幸運なことに、オレはまだ世話になったことはない。戦わないのにケガなんか、よほどのことがないとしないだろうけど。

「ハチミツで癒した。平気だ」

 甘いものは好きなのか? 軽食も喜んでくれたし。女の子らしい面に、心が動く。

「喉が悲鳴をあげるほど、発しておらんかったのだな」

 魔獣から助けてくれた際に、結構な大声も出していた。それも影響しているんだろうな。話題にはしたくないから、口にはしない。

 鼓膜に届く声音は、きのうと変わらない。ハチミツ効果で、ちゃんと治ったんだな。喉を痛めて『話すのは嫌だ』と思わせる原因にならなくてよかった。

「だったらこれは、喉の修練だな」

 ゆるーい修練だけど、こんな修行もアリだろ。

 大声は出しこそしたけど、話すだけで喉を痛めるなんて。それだけ長い間、リメがふさぎこんでいた証拠だ。オレがもっと早くリメの存在に気づけていたら、リメの傷をより早く癒せたのに。

 手遅れの後悔と口惜しさが、かすかによぎった。だからこそ、今回で確実にリメの心を変えないと。これ以上の手遅れは、オレが許さない。

「そんな手合せにつきあうなぞ、お初ではないか?」

 仲間とも話すようになったら、流麗で伸びやかな声で発せられる軽口を聞く人は増えるんだ。

 誰もにとってこの声が、軽妙に話すリメの姿が珍しくなくなる。全員のリメになる。オレがするのは、それだ。オレが目指す未来は、それだ。

「生涯、リメだけだよ」

 なぜか特別を演出したくなって、口から出た。

 目指す未来に、少しずつ近づいてきているのに。わかっているのに。

「変わった修練につきあわせて、すまぬ」

 はにかむような声も、意外に豊富な表情も、すぐに全員のものになる。そうなるために、オレがいる。

「楽しいから、いいよ」

 本当に楽しいから。

 リメの新しい面を知るたびに、心が満たされるから。

 リメの新しい表情を見るたびに、うれしくなるから。

 よぎった思いは、紛れもない本心なのに。同時にかすめる感情。とりとめなく指をすり抜けて、正体はつかめない。つかみたい思いすらないのかもしれない。

「優しくしてもらってばかりで、かたじけない。私からも、なにかできればよいのだが」

 重力がかかったかのようにさがった眉尻が、愛おしさをくすぐる。近寄りがたいなんて一切思えない、いたいけさにあふれている。

 すぐにでも手を伸ばして、安心を届けるために頭を優しくなでたい。細くてやわらかい髪の1本1本に、オレの指を絡めたい。衝動が暴れたくなるほどに。

「気にすんな。一緒にいてくれるだけでいいよ」

 するりと出た声に、自分でも驚く。

 こんなことを、さらっと言ってしまうなんて。

 無意識だからこそ、紛れもないオレの本心。つかみかけた自覚は、すぐに形を失って霧散する。

 ちらりとリメを見る。小さく笑うだけだった。

 ゆるい反応。安心するような、うら悲しさがあるような。形容しがたい感情が対峙して、拮抗して、散っていく。残るのは、日常を装う平穏。

「……子供の頃、どんな遊びした?」

 まるでオレの言葉を気にとめていないかのような態度。気にしたくなくて、すぐに話題を振った。

「隠れた子を見つける遊びが定番だ」

 オレもそんなの、やったな。異国の地でも、子供の遊びは似通っているのか? 幼い頃にリメと同じ遊びをしていたのかと思うと、妙にうれしい。

 リメも友達と遊ぶような時期があったんだな。この美しさを前にしたら、幼いリメなんか一切想像できない。やっぱり幼年期から目をひく美人だったのか? 想像しようにも、この美貌をどう幼児化したらいいのか働かない。

 幼いリメを知る人がうらやましい。テレパシーとかで子供のリメを送ってくれないかな。幼いリメが見られるなら、全力でテレパシーを信じる。

「オレもやったよ。誰からも見つけられなくて、そのまま帰られたこともあった」

 すっかり暗くなって、カラスの声におびえたあの日は思い出したくもない。

「なんと……いじめか?」

 本気の心配の目を向けられた。せめて笑ってほしかった。

「違うって。影が薄いから、忘れられただけ」

 説明したら、その表情から不安は消えた。

「空気のようにとけこんでしまったのだな」

 そう解釈したのか。なぐさめられたのか、本気でそう思ったのか。気配に敏感なリメだし、本心か?

 その気がなかったオレからしたら、嫌な思い出でしかない。

「みたいだな」

 まさか最初から、頭数にいれられていなかったわけではあるまい。そこまで存在感がなかったとは思いたくない。

 今でも店で注文したのに、いつまで待っても届かないことはある。それは誰でも経験はあるだろ。オレに限った話ではないはず。そう信じる。

「どんな遠くからでも私は見つけるゆえ、覚悟するがよい」

 覚悟って……この歳になったら、隠れて遊ぶなんてしないだろ。

 自信があるからには、リメは見つけるのもうまいのか? 隠れるのもうまそうだし、気配にすぐ気づく。追っ手が近づいたら、逃げられるのか。

 この遊びって『最初に隠れた場所からの移動はアリか』の意見で、よくもめたっけ。結局曖昧なまま始まって、移動していいかわからないオレはいつもじっとしていた。……それでも忘れられるなんて、オレの当時の存在感、どうなっていたんだ。隠れるのは得意ではなかったし、かなりイージーな場所にいたと思うぞ。

 せめて、魔獣からも気づかれない存在感だったらよかった。忌まわしいトラウマが生まれないで済んだのに。リメに情けない姿も見られないで済んだのに。でもあのトラウマがあったからこそ、こうしてリメと話せているのか? 悩ましい天秤だ。

「当時培った隠れる技術は、戦闘で役立っておる。世界はよくできておるものだ」

 戦う際に、身を潜めることもあるんだよな。ただの遊びと思ったけど、楽しみながら隠れる能力を育てられたのか。

 オレは潜む能力を生かす職につかなかったけど。いや、生かせる職についたら、すぐ見つかって捕虜にされたか。存在感は平凡になったし。事務員になってよかった。

「舞も、剣技に生かせておるように感じる。当時は無意味と思っておったが、そうではなかったのかもしれぬ」

「踊れるの?」

 リメが踊れるなんて、初耳だ。修練中の流れるような動きは、舞のように見えなくもない。

「3年に1度の祭事で舞を披露する運びになって、練習したのだ」

 本にも祭りの記述はあったけど、3年に1度舞を披露ってあったっけ? 本に載らない、地方色満載の祭りだったのか?

 リメの踊りか。剣でも、あれだけ優美な動きを見せるんだ。舞だったら、もっと美麗になるんだろうな。想像だけで期待が高まる。

「どんなの?」

 踊りも様々あるよな。1人で踊るとか、ペアで踊るとか、団体で魅せるのとか。団体だったとしても、リメだったら他の誰より目をひくに違いない。はしにいても、センターより輝いてしまう。

「神に捧げる神舞だ。満月の下でおごそかになされた」

 祭りについて聞きたいわけではなかったんだけど。

 神が関係するんだと『楽しい』とか『愉快』な祭りとは違うものだったのか? 神事に近かったのかも。

 満月の下で踊るリメなんて。この上なく絵になる。なにもないこの部屋でも、たたずむだけで芸術になるのに。すべての画家が『これ以上の芸術は描けない』と筆を折る美しさだったに違いない。

「今も踊れるの?」

 リメの踊りなら、神に献上してもはずかしくない。むしろ神が喜びすぎて、以降の踊り手が困るレベルになりやしないか。

「うむ。厳しく教授されたゆえ、身にしみついた」

 そう言われたら、欲求をとめられない。

「嫌でないなら、見せてもらってもいい?」

 夢想だけでなく、実物を見たい。話しの訓練とはズレるけど、交流を楽しむ上で必要な流れ。そう言い聞かせて。

「よかろう」

 あっさり了承をくれたリメは、少し距離を置いてオレの前に立った。

 さっきまでのほがらかな雰囲気が一変、りんとした強い瞳になる。

 変化に目を奪われる間に、舞が始まった。

 流れるようなステップ。しなやかに伸びる腕。1本1本に表情がある指先。舞うたびにふわりと広がる、絹のような美しい髪。その中にのぞく、秀麗な表情。

 今まで見たどのリメとも違う美しさが、そこにはあった。

 いや、美しいなんて言葉なんかでは足りない。

 この美しさを表現できる言葉は、この世界に存在しない。存在し得ない。

 それほどまでの魅力が、目前で広がっていた。

 動きはとまって、髪が重力に従ってふわりと落ちる瞬間まで、目が離せなかった。

「……これだ」

 ゆるやかな表情で発せられた声を聞いた瞬間、忘れてしまったかのように呼吸が荒れた。あふれる感動に、体が震える。

 形容できない、形容してはいけないほどの優美さ。夢のような感覚から抜け出せない。まるでこの部屋だけ移空間に飛んでしまったかのように、目の前の光景は至高だった。

 目の前にたたずむリメは、満月の守護をあびたかのように後光を放っているようだ。

「足りぬか? 続けるか?」

 かしげられた首に、現実に戻された。舞とは異なる、親しみやすい表情。

 トリップしすぎて、無視の構図になりかけた。見とれてしまったごまかしもあって、慌てて口を開く。

「ごめん。すばらしすぎて言葉が出なくて」

 ずっと見ていたい思いもある。同時に、これ以上見ていたら、正常を保っていられなさそうにも思えて。

 あの美麗なる存在が目の前に、手の届く距離にいるなんて。

 なんという奇跡なんだ。

「なにを言う。舞台も衣装も道具もあるゆえ、本番はこの比ではないぞ」

 もっとグレードがあがるのかよ。そんなのを見たアスィイオン国の人、よく無事でいられたな。

 オレだったらとっくに美的感覚が狂って、他のあらゆるものを美しいと思えなくなる。それだけの衝撃。

「『見たい』なんてわがまま言って、ごめん。感動したよ」

 違う。本当は『感動』なんて言葉では足りない。伝えたい本当の思いは言葉にならなくて。

 平べったい思いしか伝えられない自分がもどかしい。心を抜き出して、感銘をリメにそのまま伝えられたらいいのに。

「ならば、もっと感動するか?」

 するりと手が伸びて、オレの手にふれた。

 反応する隙もなく、もう片方の手がオレの腰に回される。

「え……待っ」

「ペアの舞もあるのだ」

 発せられる声の距離は、とても近くて。届いた呼気が、皮膚を優しく刺激した。

 回された手のぬくもりとこそばゆさ。組まれた手から伝わる体温。女性らしい細くて長い指にこびりついた、剣の修行をにじみ出すかたい皮膚。

 呼吸すら惑うほど、近くにあるリメの顔。脳をとろかそうとする、甘い香り。

 魔獣から助けてもらった際も、これくらいの距離だった。でも、状況がえらい違う。

 あの瞬間に襲っていた恐怖なんか一切なくて、代わりに体を満たすのは。

 呼吸の仕方すらわからなくなるほどの、思考回路の欠如。

 目前にあるリメの顔を見られなくて、視線をなにもない地面に移す。

 それでも、荒れる心臓をとめられなくて。

 ステップを始めたリメに、その手にひっぱられるように吸い寄せられる。

 ふわりと舞う髪が視界をかすめる。ほのめかせられる香りが、鼻孔をくすぐる。

 どんな動きなのかわからないから、どうしていいのか一切つかめない。わかったとして、脳は正常に指令を出してくれそうにない。

 言葉なく続けられる動きに、本能的に従うしかない。

 それでも油断したら、体がぶつかってしまいそうだ。スレンダーながらもきちんとある膨らみにふれるなんて、してはいけない。

 細心の注意を払いながら、どうにか動きをあわせた。

「どうであった?」

 少しして、リメから解放された。名残惜しさもなく、細い手が離される。どこかさみしさを感じつつ、必要以上に荒れた呼吸を整える。

「……疲れたか?」

「みたい。運動不足かな」

 隠すように顔をうつむかせて、ぽつりと返した。

 呼吸の乱れは、体力のせいではない。

 わかりつつ、ごまかすために。熱くなる体を正当化するために、そう言うしかなかった。

「左様だったか。申してくれたらよかろう」

 リメの言葉に、無理に笑って返す心の余裕しかなかった。

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