第2話

 リメの参加する依頼は、魔獣の討伐。7日後に出立。

 そこそこの強さを誇って数も多い魔獣に、精鋭で挑む。リメは精鋭の筆頭だ。

 警戒心が強くて統率もとれる魔獣だから、こっちも仲間同士の協力と連携が不可欠。

 簡潔にまとめると、こんな感じの依頼。

 討伐対象の魔獣は、周辺住民の安全をおびやかしているらしい。依頼者の不安を消すために、絶対に成功させないといけない。強さを誇るリメの協力は、きっと完遂に不可欠になる。

 だからこその、ハーネットの頼みだったんだが。

 前日の言葉でリメは変わったかも、仲間とはちゃんと話すようになったかもと、一抹の期待を抱いて依頼の仲間に聞いた。

 相変わらずの無口だったとか。動作で応対してくれるけど、それだけ。

 冷酷とか非道とかではないのは、周知らしい。とにかくの無口で、寄りつきにくさがにじみ出ているのが大問題だとか。声をかけにくい雰囲気もまとっている。

 オレも交流して、悪い人ではないとはまざまざとわかった。ちゃんと応対してくれたし、終始オレを見てくれて、無視されたような不快な感覚にはならなかった。『人とは会話するもの』って前提が根づいていたから、若干精神がやられたけど。一切、嫌いにはならなかった。苦手意識すらない。

 リメは、確実にいい人だ。

 強さに人当たりのよさがあわさったら、これ以上ない最高の人材になる。

 自警団のためにも、依頼人のためにも、なによりリメ自身のためにも交流するようになってほしい。

 だから本日も、リメに会いに行く。

 仲間から聞いて、今は食堂にいるとつかんだ。諜報活動的依頼もあるから、内偵が得意な仲間も多い。こんな際に役に立つけど、プライバシーの単語がちらつかないわけでもない。いや、鍛え続けないと依頼で生かせない。必要な修練だ。

 言い聞かせつつ、食堂についた。漂う香りに食欲をそそられる。今回は食事のために来たわけではない。

 食堂には、椅子に座って食事をするリメの姿があった。卓上の料理の量は少ない。少食なのか? 時間がずれているのもあって、人は少ない。数人は座れる卓に、リメは1人でいた。交流はしていない。

 オレの言葉は届かなかったのか。オレは本気で相手にされていなかったのか。仲間から聞いていたから、落胆こそしないけど。残念はにじむ。なにかしらの用事で時間があわなくて、1人で食べざるを得なかった、とかではないよな。意図的に、人が少ない時間を狙って食事に来たのか?

 警戒させないように、軽い足どりで近づく。接心しきる前に、視線がオレに向く。気配には敏感だ。咀嚼で動く口元が愛らしい。

「こんちは」

 笑顔の挨拶。

 リメは言葉なく、会釈するだけだった。

 声は出さない。だけど、無視もされなかった。表情も変わらない。不快感を出されなくて、メンタル面は助かった。

 空いた隣に座って、視線をあわせる。幻想的な美しさと対面すると、ちりちりと緊張が走る。気づかれないように、笑顔で。

「きのうはごめん。急で驚かせちゃった?」

 首は横に振られる。驚きはしなかったのか。

 ……食事中は話しにくいか。特に女性は『食事中に口を開くなんて、はしたない』と思う人が多そうだ。ハーネットとは食事の席でも、会話がとまらないからな。配慮を忘れていた。

 今は早めに退散かな。心証を悪くしたらいけない。

「また話したいんだけど……きょうもあの時間に訓練する?」

 点頭に、細い髪が優雅に動いた。

「邪魔でないなら、来てもいい?」

 点頭を返してくれた。認めてくれるからには、嫌われても警戒されてもいないのか? よかった。

「それとこれ……書類、1つ抜けてたみたいで。書いてくれる?」

 さっきリメについて仲間に聞いた際に渡された書類。契約書を筆頭に、依頼の参加に当たって様々な書類を書く必要がある。ミスで、1枚渡し忘れてしまったとか。

 『空いた時間に書いて』って意味だったんだけど。リメはペンを出して、さらさらと書き始めた。タスクをためるのが嫌いなタイプか? 無機質なペンは、細い指先の引き立て役にしかならない。爪の1枚1枚まで、長く整っている。剣を日夜握っているとは思えないほど美しい手先に、ちらちらと視線が奪われる。

 芸術のような執筆は、しゅるりと終わった。流れる所作で書類を渡される。

 小さなことも穴なくやるのは、信頼できる。いい加減だと、安心して任せていいのか逡巡してしまうのが本音だ。

「ありがと」

 念のため、不備がないか確認しよう。事務のオレが手にしたのに、不備あったら笑われる。

 目の前で書類を見られるのは、よくない気分か? あとで不備に気づいて再訪するより、いいよな? オレが事務だとは最初に言った。事務が書類を見るのは自然。理解してくれる。ちりつく不安に、リメを盗み見る。オレを見ているけど、不快はのぞかせない。とめられないから、いいよな。

 リメの髪のように細やかで繊細な字は、とても読みやすい。ハーネットもこれだけ整った字で書いてくれたらいいのに。不満をちらつかせながら、見ほれる字を読み進める。ある単語で目がとまった。

 依頼の成功のために伝えたい情報や言葉なんかを書く欄。

 『前衛だけど回避は得意だから、回復系のてごは最低限で平気』といった内容の文章。

 てご。

 聞いたことがない単語。丁寧な字は、読み間違えるわけがない。単純に、オレが無知な単語なだけ? ミスの可能性もあるよな。

「ここ……あってる?」

 箇所を指して、リメに示す。視線を移したリメは、瞬時に書類を奪った。時間に追われるような俊敏な動きで、ペンで修正した。

 戻った書類は『てご』の文字は真っ黒に塗りつぶされて消されていた。代わりに『手助け』と書かれていた。書き間違える文字ではない。ミスにしては大きい。

 疑問はよぎったけど、今は確認が先決だ。リメは食事を再開していない。オレが去るまで、食べ始めないつもりかもしれない。仕事のために来たオレの前で食べるのは失礼と思っているのか。人前で食べるのにてれくささでもあるのか。リメの食事の時間を邪魔しないためにも、迅速に確認して去るべきだ。

 最後までチェックして、不備がないのを確認した。リメに視線を戻す。

 うつむかれた上に長いまつげもあって、表情は一切うかがえない。長居しすぎた? すぐに撤退しよう。

「食事中にごめんね。これ、届けとくよ」

 リメの反応はなかった。会釈や、一瞥すら。




 書類を渡し終わって、一息つく。

 ずっと気になったのが『てご』の単語。

 書き間違えるとも、使い間違えるとも、読み間違えるとも思えない。

 となると……なまり?

 『標準語だと思っていた言葉が実はなまりだった』という話は、たまに聞く。自警団には、地方から来る人も多い。浮世離れした美しさのリメ。別の国から来たと言われても、余裕で納得できる。むしろ、納得しかできない。

 本部の図書室に入る。あらゆる書物が蔵書されていて、オレもたまに利用している。自警団に来たばかりの頃は、蔵書の多さにあんぐりとしたものだ。

 本特有の香りは、いつ来ても変わらない。圧迫感を感じるほどに本が詰まった棚を歩いて、目的の種別を見つけた。

 様々な国の方言が載った本。ここなら、よぎった疑問を解消できるかもしれない。数冊あさった先で『てご』を『手助け』として使う方言を見つけた。

 これ、か? アスィイオン国、か。

 アスィイオン国を調べる。国の人の特徴としてあげられたものが、リメの外見的特長と合致した。

 リメは、この国の人なのか?

 アスィイオン国は先進国とは遠い、自然にあふれた場所みたいだ。貧困に苦しんでいるわけではないっぽいから、亡命とかではないか。

 なにかしらの事情で国を離れて、自警団に来た?

 積極的に交流しないのは、もしかしてそれが原因なのか?

 なにがあって、そうなったのかまではわからない。なにもわからない頃より、進めた気がした。

 この国について知ったら、リメを変えるきっかけになるかもしれない。

 決意を胸に、本を読み進めた。




 読書を終えて、いい時間になった頃。リメに会いに出向いた。

 リメは、本部の裏で剣の修練に励んでいた。顔を覚えただけで、数多くいる修練の人の中からまっすぐとリメを発見できる。遠目からでもまばゆく映える。

 しなやかで流れるような動きは、ムダがなくて芸術のように美しい。……武術の知識がないオレの判断だけど。ステージで修練したら、おひねりが飛びかうことが必至だと覚えるほど。

 邪魔しないように近づいたら、距離を詰める前に顔が向けられた。素肌に光る汗すら、優美さを演出する。首筋にはりついた髪が、努力をうかがわせた。

「お疲れ様。休憩、どう?」

 許可はもらったとはいえ、修練をとめてしまうのには変わりない。だから軽食を持ってきた。

 ハチミツをはさんだパンを香草でくるんで、こんがり焼いた一品。本で調べた、アスィイオン国で愛される郷土料理。詳細はわからなかったから、細かい材料は違うかもしれないけど。

 足早に壁際に移動したリメに続いて、軽食を渡す。首についた髪を払いながら、手にしてくれた。キラキラと輝く汗と繊細になびく髪。見とれそうになって、視線を地面に移す。無地の草のおかげで、余計な高揚が作られる前に心は正常に戻ってくれた。

 怪しまれないように、リメに視線を戻す。まじまじと見るだけで、口をつけてはくれない。軽食に刺さる、表情の読めない顔があるだけ。

「……好きじゃなかった?」

 愛される郷土料理だからと言って、リメも好きとは限らない。

 オレだって、ハチミツや香草は苦手だ。だから作ったのは、リメのだけ。

 一緒に食べて仲良くって案もあったけど、オレでも即席で作れそうなのはこれしかなかった。『女性なら、甘いのは好きかな』という安直な理由で、これを選んだ。

 好き嫌い以前に、材料やら製法なりを思いっきり間違えて、これがなにかわからない……とか?

 本にはたった一言の説明と、白黒のイラストだけだった。オレの想像力をフルに働かせて作ったんだけど。かなりミスった?

 料理は得意とは言えないけど、苦手でもない実力、のはず。所詮、自己判断でしかない。リメの料理の腕は優れていて、生ゴミにしか見えないとか?

 軽食に直視だけを続ける瞳に、不安が舞い踊る。動いてもいないオレの体に、汗がにじむ。違う意味の緊張に、不安がコーティングされていく。

「アスィイオン国で、そんなのを食べるって聞いて……」

 原型をわかってほしくて伝えたら、リメの視線が向いた。瞳は、心なしかいつもと違うように感じた。響き始める心の警鐘。

「嫌いなら、ごめん。食べなくていいから」

 慌てて言葉を発しても、手遅れ感がすさまじい。形容しがたい無言の空白に、心臓が不快な拍動を始める。

 出会ったばかりで手料理って、気色悪かった? 『男の手料理は不潔』精神が根づいているかも。いや、オレは手を洗ってから、清潔に作った。調理中も体をかくとか、不潔になりかねないことは一切していない。主張しても、証拠がないから伝わらないけど。

「朝の挨拶が『おはつ』なんだって?」

 耐えきれない沈黙に、文脈を無視した言葉が出た。これも本で調べた情報。

 刹那、リメの瞳が鋭くなる。不動を続けていた柳眉が、かすかに跳ねる。

 手にある軽食がくしゃりとくぼんで、強められた力を証明する。

 点頭くらいしかなかったリメが見せた、小さな変化。今まで見たどれよりも大きな、感情の動き。

 ……やばい。

 これは、怒っている?

 なにが原因かは……考えるまでもなく、軽食だよな。嫌いだったのか、作りに大問題があったのか。

 今まで変わらなかった表情をここまで変えてしまうほどの怒りを買ってしまった。『仲間と仲良くしてほしい』とかを頼む以前に、これは人として問題だ。

 謝罪の言葉を発しようとした瞬間、本の記述が想起した。

 誠意を示すために、アスィイオン国では謝罪の際に花で作った輪を贈る。

 輪は仲間との輪や、心の丸さを示すらしい。花の美しさで、心をおだやかにさせる意味もあるとか。

 花の種類の指定もあったけど、聞いたことはないから忘れた。それでも花を使っての誠意をこめた謝罪ならできる。

「リメとの『輪』は、壊したくないんだ! 待ってて!」

 駆けながら、リメに顔を向けて伝えた。

 あえて『ごめん』は言わなかった。誠意の行動で伝えたかったから。

 花……リメが喜びそうな、誠意が伝わりそうな花。

 絶対、見つける!

 本部に近い森に入る。

 地面に目を凝らしたら、ちらりほらりと花は見つけられた。『リメに届ける』と考えたら、どれも違う気がする。『これ!』と思う花を使いたい。でも『待ってて』と言ってしまった以上、時間はかけられない。

 早くしないと。謝らないと。

 焦りは、あることを完全に失念させた。

 背後から聞こえたうめき声で、思い出す。

 森には、魔獣がいる。

 戦える人からしたら、肩ならしにもならない弱い存在。

 戦う手段を持たないオレからしたら、驚異。

 恐々と振り返る。

 オレをにらむ、子犬ほどの大きさの魔獣がいた。グルグルと鳴る喉と鋭い目つきが、瞬時に恐怖を作る。

 記憶にないトラウマが暴れて、胃から緊張を噴出させる。全身の血管が広がって、今にも破裂しそうなほどに体が熱を帯びる。

 ……どう、するんだっけ?

 魔獣と対峙してしまった際の対処法も習った。はずだった。

 のに、突然の恐怖に混乱が占めて、脳は完全に思考を停止した。

 怖い。逃げたい。

 なのに『背中を見せて逃げるのは、最大級にやってはいけない危険行為』だということだけは思い出して。

 幸か不幸か、対峙し続けるしかできなくて。

 オレから視線を外さない魔獣は、攻撃の機会をうかがっているようで。

 震え始めた体は、立つのがやっと。ここで終わりなのかとよぎった瞬間。

 目の前に、音速が走った。

 悪夢のような金切り声が響いて……魔獣は姿を消していた。魔獣が消える際特有の紫煙がくゆらして。

 代わりに、そこにいたのは。

「ケガはしておらぬか!?」

 血相を変えた、リメだった。

 両肩をつかまれて、がくりがくりと揺さぶられる。その衝撃で自立を保てなくなった体は、ぐにゃりとヒザから折れた。間一髪で、リメの支えに守られる。

「……生きてる?」

 ぼんやりとしたまま、ぽつりと発する。耳に届いたのは、自分のものとは思えない情けない声だった。

「死ぬほどのケガを負ったのか!? どこだ!?」

 耳元に届く心配の声が、生の実感を、安心を広げさせる。精神も体も、じんわり、じっとりと正気に戻り出す。

 オレを恐怖におとしいれた魔獣は、もういない。

 生きている。生きているんだ。

「しっかりするのだ! 毒でも食らったのか!? あやつは、神経毒を使う変態でもしたのか!?」

 違う。『ケガはない』って伝えないと。

 大きく息を吐いて、恐怖を完全に払って。最大の異変が理解できるまでになった。

 さっきから届く声。

 声の主は、考えるまでもなく。

 がくりがくりと顔をあげて、リメを見る。

 リメ以外に人がいない、この森。話せる生き物は、目の前でオレを支えてくれるリメしかいない。

「気は正常か? なにをされたか、教えろ」

 その口は動いて、喉を震わせて発声している。オレの鼓膜を、刺激している。

 にごりのない、ハリのあるりんとした声。外見のイメージそのままの美しい声。

「聞こえておるか? 耳をやられたのか?」

 片手を肩から離して、オレの耳をぽんぽんたたかれた。正常に届く音。幻聴ではない。

「いや……ケガは一切ない」

 ようやく伝えられた無事は、さっきよりまともな語気になっていた。情けなさは残っていたけど。

 まぶたを閉じて大きく息を吐くのと連動して、リメの表情から険しさが抜ける。かけてしまった心配の大きさが伝わった。

「ごめん。急で、動転しすぎて……」

 目を開いたリメの瞳は、どことなく責めているように感じられた。被害妄想かもしれないけど。襲われる罪悪感のまま、震え声を続ける。

「花でさ、謝罪するって知ったから。やろうと思って」

 花を見つけられないどころか、迷惑までかけてしまうなんて。オレはなにをやらかしているんだ。ようやく反省できるまでになってきた。気づくべきでありながら、気づきたくない事実だったけど。

「本当にごめん。助けてくれてありがとう」

 完全に平静を戻した心は、ようやくリメとの至近距離を自覚する。

 呼吸すらぶつかりそうな近さ、透明感のある瞳がオレを見つめ続けていて。急速に作られた高揚に、視線をそらす。

 リメもオレの無傷がわかったのか、肩に乗せられた手は離された。後退されて、近かった距離もパーソナルスペースが開く。

 人肌を離れた肩は、急速に外気に冷やされる。なのに胸の奥は熱くなって。ちぐはぐな感覚がこそばゆい。

 事故とはいえ、リメがふれた肩。離れていくぬくもりが嵐を作りそうで。

 余計な感情を殺して、ちらりとリメに視線を送る。

 手でもう片手のヒジをつかんで、視線を横にそらしていた。つぐまれた口は、さっきの声がウソのようで。

 でも、そうではない。

 確実に聞いた。

 いくら恐怖に襲われたからって、話してほしいと思ったからって、あんな空想は作らない。強い恐怖だったからこそ、空想や幻聴を作る余裕はない。

 あれは、あの声は現実だ。

「声……」

 リメの肩が、かすかに動く。閑散な空間に揺れる美髪は、とても不均衡だ。

「きれいじゃん」

 声にコンプレックスを抱いているなら、誤解だ。いつだって聞いていたいほどの響きがあった。大勢のざわめきからでも拾い集めたい旋律だった。

 リメに反応はない。どころか、うつむいて表情がうかがえないまでになった。顔をかばうように、やわらかな髪がしゅるりと垂れる。

 ……また、怒らせた? 以前に、この程度の謝罪でチャラにできないほどに怒らせた?

「ごめ――」

「おぬしもバカにするのか!?」

 顔をあげたリメの叫び。振り乱された髪に、激情がまとわりついている。不変を保っていた顔には、赤が作られている。声と同じくらいに震える瞳は、オレを突き刺す。

 荒らげられた態度に、思考がとまる。

 バカにする? どうしてそんな流れに? ってか『おぬし』?

 押し寄せる混乱を、どうにかまとめる。

「待って。バカはオレだよ。ごめんって」

 謝罪に夢中で、魔獣がいるのも忘れて森に走ってしまった。

 リメの助けがなかったら、オレはここでどうにかなっていた。

 いくら怒った相手とはいえ、謝罪のために魔獣に襲われたなんて。リメ的には気分が悪いはずだ。

 怒りの感情を抱えながらも、助けに駆けるしかない。そりゃあ、怒りは増幅する。オレの行動は、完膚なきまでに裏目に出た。

「本当にごめん。反省の気持ちで、全身がひたされてる」

 言葉ないリメの顔を、ちらりと見る。相変わらずの鋭い視線が刺さった。

 オレの謝罪は届いていない。許したくないほどの怒りなんだ。

 ……どこでそんなに怒らせてしまったんだ? 軽食だけでここまで怒らせたのか? 積み重なる無礼があったのか?

 少なくとも、前日は怒った様子はなかった。無礼があったとしたら、きっときょう。

 食事中に声をかけたのが、怒りを誘ったのか? 修練中に会うことを了承してくれたから、そこまでは怒っていなかったはず。

 いや、そのあとにあった。

 挨拶の方言の話をしたら、リメの目の色が変わった。それにさっきの『おぬし』が重なって。

「『てご』……?」

 確証がほしくて、リメをうかがいながら恐々と発する。リメは眉をぴくりと動かして、反応した。

 オレの方言に反応した。最大の原因はこれだ。

「方言、使われるの嫌?」

 ぽつりと聞く。鋭い表情を変えないまま、リメは点頭した。

 そう、だったのか。軽い気持ちで話題にしたのがよくなかったんだ。悪意はなくても怒らせることがあるんだと、改めて実感した。方言がない地方出身のオレには、よくわからない感覚だった。反省だ。

「あの……使ったのは『バカにする』とか、そんな思いじゃなくってさ」

 お国言葉を軽々しく使ったオレ。からかっていると思って『バカにするのか』って怒ったんだ。まずは、誤解をとかないと。

「リメと仲良くなりたいって思っただけなんだ」

 素直な思いを口にしたら、リメの表情はかすかにやわらいだ。誤解だとは、理解してくれたのか?

「親しくなるきっかけにできるかなと思って。逆に不快にさせちゃったなんて、ごめんな」

 ハーネット並に一緒にいたら、言葉に隠された真意も読みとれるようになる。

 リメとは出会ったばかりで、互いになにも知らない。そんな相手にいきなり方言を使われたら、誤解も仕方ないか。

 オレでこれだもんな。ハーネットだったら、もっとひどい有様になったな。受諾してよかった。

「どんな謝罪もする。許してほしい」

 誠意を伝える際は、まっすぐと顔を見て。

 芸術のような顔とあわせるのは緊張する。でも怒らせたのは本当に反省しているし、本当に許してほしいと思っている。オレの不注意で関係を終わらせたくない思いが、どうか伝わるように。

 徐々に険しさを潜めた表情。沈黙の間を埋めるように、絹のような髪が音もなく嫋々とそよぐ。

 オレの失敗は事実。リメに拒否されたら、オレにはなすすべもないのかもしれない。挽回の機会すらないのかもしれない。リメを説得する人を、他に見つけるしかないのかもしれない。

 理解しているからこそ、リメから目を離さなかった。まっすぐな謝罪が伝わってくれるように。リメとの離縁が成立しないように。

 吸われる美しさを続けるリメは、おもむろに口を開いた。

「……本当に、バカにしておらぬのか?」

「当然だ。リメのどこに、バカにできる面があるんだ」

 出会ってまだ2日だけど、バカにする面どころか嫌う面すら見当たらない。

 実力はあるのに、修練を欠かさない努力家。書類をすぐに書いてくれるマジメさ。オレを助けてくれて、心配してくれた優しさ。心も体も、とろかされるほどの見目麗しさにあふれていて。同じ空間で呼吸をしていることすら、緊張してしまいそうになる。

 うつむいた重力に従って、髪がさらりと垂れた。外気にさらすのを惜しむように、表情が隠される。

「笑わぬ、のか?」

 うつむかれたまま、ぽつりと心細い声が届いた。

「なにに?」

 さざめきに乗せられた不安の原因は、一体なんだ? 察せない自分を情けなくも思う。でも見当違いの推論をして怒られるより、ずっといい。

「この口調……変、と思わぬのか」

 変、か。変わっているとは思ったけど、方言がある地域が存在するのは周知の事実。異文化を笑うなんて、人道に外れている。

 『虫を食べる』とかの文化は、ちょっとは苦手意識は働く。でも、笑いはしない。そんなお国柄だと思うだけだ。

 違いがあるのは当然。理解はできなくても、否定はしない。歩み寄れないか、努力はする。人として大切なことだ。

 むしろ、オレからしたら。

「ずっと標準語圏ですごしてたから、いいなと思うよ」

 なにを言っているかわからないレベルの方言だと、さすがにちょっと困るかもしれない。

 今のところ、リメの方言でわからなかったのは1つだけ。それも指摘ですぐに修正されたから、実害はない。なまりを聞くと癒されるし、手助けしたくなる。魅力しか感じない。

「とても魅力的だと思う。声もきれいだし」

 発してから、我ながらはずかしい発言と気づく。

 『声がきれい』とはさっきも言ったけど、改めて面と向かって伝えるとてれる。

 ゆらりとリメの顔があがって、オレと目があう。透き通るような表情は、少し困っているようにも見えて。

 ……やばい、顔、赤くなってないかな。大丈夫、だよな。

 今、顔をそらすのも、言葉を否定するみたいだ。熱を帯びる体を感じつつ、まっすぐと見つめ続ける。

「まこと……か?」

 幸か不幸か、ツッコまれはしなかった。虚無の安心を感じつつ、黙って点頭する。

 リメの美麗な瞳が、かすかに揺れる。

 あんなに強い人が、ただの方言でこんなに反応するなんて。

「……なにかあった?」

 話さない。『方言をバカにされた』と怒る。『方言を笑わないか』と心配する。

 情報がつながり始める。

 かすかに瞳を震わせ続けるリメは、言葉を発しようとしなかった。長いまつげにほのかに光が反射して、粉雪のようにちらめく。

「よかったらさ、話してよ。楽になるかもしれないし。なんでも聞くよ」

 もしかしたらリメが、仲間と交流するきっかけにできるかもしれない。そうでないとしても、リメの心中にある思いを吐露してほしかった。少しでも心痛を軽くしたかった。

「昔……来たばかりの頃、仲間に笑われたのだ」

 とてもつらい記憶だったのか、隠しきれない感傷がにじみ出た声。笑われた対象は考えるまでもなく、リメの使った方言だよな。

 来たばかりで、不安もあっただろうに。心ない歓迎をされて、リメはどれだけ傷ついただろう。

「それで話すのをやめたのか?」

 リメは小さく点頭した。

 言葉が違う。それだけで、どうして笑えるんだ。正体もわからない犯人に、憤りはある。それ以上によぎる思いがあった。

「大丈夫だよ。全員が全員、そんな人ではない」

 リメは、非の打ち所のない女性だ。

 嫌われるなんて、笑われるなんてありえない。

 むしろ欠点がないからこそ、方言はギャップとして仲間をひきつける魅力にしかならない。近寄りがたい神秘のオーラを破る材料になる。

「怖がらないで、話そうよ」

 リメはオレをじっと見つめるだけで、なにも発しなかった。動作もない。

 つまり、否定もない。

 本当に話したくない思いは、薄いのかもしれない。

 最初に頼んだ際も『交流する』とは、約束してくれた。どこかで前向きな感情はあるんだ。

 瞳の奥にある不安で、踏み出せない。忌まわしい過去が想起して、恐怖に身を襲われてしまう。

 動きたいけど、動けない。魔獣を前にしたオレと同じだ。……同じと言うのは、忍びないけど。

「オレ、リメの国について知りたいな。よかったら、教えてよ」

 リメの心を変えて。きっと話すのが怖くなくなる。美しい声を絶えず響き渡らせたい。

「少しずつでいいからさ。人と話すのに、なれていこうよ」

 リメの力になりたい。リメの傷を癒やしたい。乗せた言葉に、リメの表情がゆるまった。まだ不安は残っている。でも少しは消えた……ように見えた。

「オレは笑わない。バカにもしない。安心して」

 むしろオレレベルの存在がリメをバカにしたら、全世界を敵に回す。バカにしたくもない。リメについてオレが言えるのは、絶えない称賛の言葉だけだ。

「……まことか?」

 浮かぶ愁眉が、払拭しきれない憂色をのぞかせる。修練中のりんとしたたたずまいを感じさせない。ここまでリメを苦しめた過去。

「信頼して」

 会って2日の相手に言われても、薄っぺらいよな。それでもオレは、リメを傷つけるようなことはしない。心から神に誓える。

 リメのためになりたい。リメの支えになりたい。傷ついたリメは見たくない。

 こんこんとわく感情は、ひたすらにリメだけを映し続けている。

 少しの間のあと、リメは控えめにこくりと首を前にかたむけた。

「声に出して」

 できるだけ優しく催促する。

 『はい、いいえ』。最初はそれだけでいい。

 人に言葉を発する。その感覚になれるためにも。

「エディオを、信じる」

 迷いがちに発せられた小さな言葉は、体の中心に刺さって全身に広がった。

 しゃらりとなびいた髪から、愁容がのぞく。

 信じる。

 その信頼は、裏切らない。裏切れない。

 当然、裏切るつもりはないけど。また無自覚で怒らせてしまうかもしれない。そんなの、もう嫌だ。傷ついたリメの姿は、絶対に見たくない。それが自分が作ったものなら、余計に。

「空いた時間にさ、少し交流しようよ。徐々に仲間とも話せるようになろう?」

 リメは小さく点頭した。『声に出して』の言葉を思い出したのか、すぐに口を開いた。

「励む」

 短いながらも、確実に伝わった決意。必ず交流できるようにしないと。心に、強く刻まれた。

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