第6話
「よくぞ聞いてくれた、瑠衣君!」
一瞬、ニヤリと笑った気がしたのだが、それを払拭するかのように手のひらを叩き、スタンディングオベーションをし始めた。いかにも胡散臭い。正直に瑠衣はそう思った。
「おい、声に出ているよ。たまに心の声が漏れてるから気を付けて」
いや、何考えてるか分からないジジイよりマシでしょ。
「えーそれ、褒められてる~?」
え、心の声聞こえたのか。言った覚えはもちろんない。
横に座っている俊輔からこそっと、お前の心の声漏れてんぞと教えてくれた。米田は話から脱線して黒田と会話し始めた。いつものお決まりのパターンで、話が脱線て、本題を忘れてしまう。いつもなら流していたが、今日はそういう訳にもいかない。
「話脱線してます! だから、理由教えてください!」
米田と黒田はこっちを見て、あぁそうだったと言いながら座り直した。
すると、米田は首をかしげた。
「……で、本題ってなんだっけ?」
「老人ホームに案内しましょうか?」
「あ、大丈夫です」
話を戻し、ゲホンゲホンと米田は咳ばらいをする。
「君達が聞きたいのは、このプラマイスイッチを何故を渡したのか、だよな」
米田の研究者モードがログイン。自然と目元が少しきつくなり、眉間が上がる。
「単刀直入に言うと、君達は、俺の研究のモルモットだ」
……モルモット?
三人の頭の中に、その五文字が浮かぶ。米田は続けて
「つまり、俺の研究の実験台だ。このスイッチを使って、人間の欲望を研究している。ちなみに、現在の実験台は君達三人だけだ」
と言った。先生って物理専門なのに、心理学の研究してるんですか? と俊輔が聞いた。それに答えて、
「とある人物と今、タッグを組んでいてね。物理学と心理学を掛け合わせたら、人間の本性が見えるんじゃないかと思ったんだよ。それに……」
何故か語尾を濁らせた。
いや、待てよ。瑠衣は、口を隠すように手を被せ、考え始めた。
根っからの物理大好き人間が、人間の欲望について興味を示すものなのだろうか。この前なんか、「物理が嫌いっていう人いっぱいいるけど、こんな面白い学問の良さが分からないなんて、本当にもったいない。人間があーだこーだ言ってる文系よりマシだ」と言っていた気がする。(後半は、記憶が曖昧だけど、ニュアンスは一緒だ)
次は、俊輔が口を開けた。
「じゃぁ、何で、代償が必要なんですか? 欲望を調べたいなら、代償がない方がいいと思うんですけど」
「それはあっちから出してきた条件なんだ。代償がないなら、この実験をしなくても結果は分かっているだろう、って論破されたんだ」
あ、そうだ。パンっと米田は手を叩いた。
「思い出した。黒田君、代償の話なんだけど」
どうしてこういうときに本題を思い出すんだよこのジジイ。この世の終わりのように黒田の目は死んでいた。
米田は、そばにある自分のバッグから分厚いファイルを取り出し、中身を漁った。
「ゲーム機の価格は約四万円。この実験は等価交換だから、あげた分はちゃんと働いてもらうよ。あ、あった」
ファイルから紙を一枚抜き取り、黒田の目の前にスッと差し出した。
「ここの住所に行ってほしい。時給は千五百円。単純計算すれば、三時間を九日連続で働けば支払うことができる。今日バイトは?」
黒田は、下を向いていた顔を上げ、ないですと答えた。
「じゃぁ、五時までに行って。ここから近いし、すぐ分かると思う」
黒田は、左手首を捻って、時計を見て、立ち上がった。
「もう四十五分!? やば、急がないと!」
米田は、俊輔に顔を向けて言った。
「あ、ちなみに俊輔も代償を払ってもらうからね。君も同じ場所に行ってもらうよ」
「えっ俺も?」
「高級牡丹餅とラーメン三杯、アウトプットしたの覚えてない?」
「忘れとった……」
「……俊輔、お前らしいな」瑠衣は、俊輔の背中をポンと置いた。今月もかなり厳しいと言っていた。恐らく、有り余る食欲が抑えきれなかったのだろう。
そう言っている間に、黒田はもうコートを羽織っていた。それを見て俊輔も慌ててダウンジャケットを羽織り始めた。
「じゃぁ、失礼します!」
二人は、勢いよくドアの向こうを飛び出していった。
「…………」
二人きりになった多目的研究室に沈黙が生まれる。部屋が広いから、沈黙がこんなにも重いのだろうか。ガラス張りの壁に目をやると、外は夕日が落ちようとしている。キャンパスの憩いの場であるグリーンゾーン(公園のようなもの)には、草木たちが眠ろうとしている。そこに敷いてある石の道に二人の男女が走る姿が見られた。
「二人、間に合うといいな。俊輔、頑張れよ」
瑠衣はボソッと呟いた。
「頑張れ? 何が?」
「あ、いや、何でもないです。こっちの話」
「ふーん。君も帰る? もう暗くなるし」
そうですね、と言って瑠衣は帰る準備を始めた。
――不気味だ。
何故かというと、瑠衣には、代償の話をしてこないからだ。あれだけ代償の話をしておいて、自分に無いのはおかしい。米田に警戒しすぎているかもしれないが、どうしても気が揉める。自分から話すのは、少々勇気がいるが、聞かなくては気が済まない。瑠衣は、ジャケットを羽織り終え、ドアノブを回そうとしたとき、口を開けた。
「先生、僕には代償はないんですか?」
先生は、着崩した白衣のポケットに手を突っ込んで、振り返った。
「君、何かアウトプットしたっけ?」
「……は?」
え? どういうこと?
「心の声漏れてるよ、瑠衣君。学習能力そんなになかったっけ」
「い、いや、そういうことじゃなくて!」
米田の方に目をやると、壁ガラスから差し込む、残り僅かの夕日が差し込み、影を落としていた。
「何度も言わせるな。君は、何もアウトプットしていない。そうじゃないのか?」
逆光で表情は分かりずらいが、声が低く、突き放そうとしているのは分かる。圧に押されて、瑠衣は何も言えなくなる。
「あ、そうだった。君は、唯一の選ばれた人間だ。選ばれた人間がアウトプットしたモノなんて知らない」
「……そ、それ、どういう意味ですか?」
フフッと鼻で笑いだした。声には出さないが、両手で肘を触り、笑いをこらえようとしている。
背筋が寒くなる。
何だコイツ。
何で笑っている。
何が可笑しい。
笑いが沸く話ではないのに。
サイコパスかよ。
知らない。
こんなジジイ、知らない。
コイツ、まともじゃない!
「あ、あぁ、ごめん、笑いだして」と米田は笑いを堪えながら言った。
呼吸を整えて、
「要するに君は、本物のモルモットだ。欲が無さそうな君がどうなるのか、これから楽しみで仕方ないよ。精々、このスイッチを存分に使ってやってくれ」
といつもの調子で言った。
頭が追い付かない。自分の感覚が切り離されて、置いてけぼりにされている。
瑠衣は、その感覚を払拭するかのように
「どういう意味だ! ちゃんと説明しろ!」
と叫んだ。
「だーかーら、君は、無限にアウトプットすることができる、唯一のモルモットなんだってば」
米田は歩き出した。
「無限? アウトプット?」
徐々に距離が近づく。約三メートル。
「あぁ、そうだ。どう使うかは君次第だ」
約二メートル。
「何でもできるってこと……?」
約一メートル。
「そうだ。何でもいいんだ。君がやりたいとこ、何でも」
「例えば……?」
約五十センチ。
「人を殺す、とか」
身の毛が立つ。
その反動で、ドアノブを回す。
引っ張って、出ようとするが、上からドアを掴まれて、開かない。
「もっと、話そうよ。もっと」
咄嗟に瑠衣は、肘を米田の腹に打ち付け、エル棒を繰り出す。
グフッと米田は腹をおさえる。
その隙に部屋から出て思いっきり走る。
走って、走って、走る。後ろを振り返る余裕はない。
キャンパスを出ると、繁華街に足は向かっていた。
人通りが無さそうな、ビルが並んだ路地裏にいつの間にか着いていた。
両手を膝につけて、息を整えた。
顔を上げると、派手なネオンの看板が見えた。
そこから出てきたのは、俊輔だった。
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