第5話

 翌日、先生から呼べばれて、いつもの場所に集まった。サークル仲間である黒田と俊輔と瑠衣は、テーブルを囲んで座った。米田の独特のセンスなのだろうか、テーブルは、フラスコの形をしていた。ちなみに、米田の専門は物理である。

 マシンガントークをしていると、空は、水色からオレンジ色に変わろうとしていた。

 すると、ドアノブを捻る音がする。


 ガチャ。

「やぁ、諸君。ご機嫌いかが? 今日は僕と一緒にドンペリを堪能しないかい? きっと素敵な夜になるよ。何て言ったって、今日は実験結果報告という名の、デートだからね!」これ以上は長いから、割愛。


 どこのホストだ。いい歳したおっさんが何してんだ。瑠衣は反射的に心の中で突っ込んだ。


「あれれー瑠衣君、いい歳したおっさんが何してんだって思ったでしょー」

「自覚してるならそのホストキャラ、ウザいんで封印してください」

「えーいいじゃんかぁ。悪くないと思うんだけどー」

「じゃぁ、おいくつですか?」

「えーそれは、ヒ・ミ・ツ!」

「女性かっ!」

「じゃぁじゃぁ、何歳に見える?」


「四十代前半……?」と黒田。

「いや、四十代と見せかけて三十代!」と俊輔。

「あーやっぱりそう思う?」

 黒田と俊輔、ジジイは話が盛り上がっていく。肌つやつやだよなーだとか、くせっけだけど意外と似合ってるなどと、米田の容姿を二人は褒めちぎっている。


「じゃぁ、瑠衣君は何歳だと思う?」

 うるうるした目で、瑠衣を見つめる米田。


「どうでもいいです」キッパリ。瑠衣は真顔で言った。


「……あ、はい」



「さて、本題に入ろうか」

 米田は、リンゴを齧った形のロゴマークが目印のPCを立ち上げながら言った。

「どうだね? あのスイッチの使い心地は」

 三人で顔を見合わせた。三人とも、口籠っている。

 先に口を開けたのは俊輔。

「まぁ、いいっちゃいいけど……」

 続けて黒田も濁らす。

「何というか、まぁ……」

 瑠衣は、死んだ目で下を向いている。

「……現実になるとは思わなかった」


 三人の反応を見て、米田はにっこりを笑う。その笑顔に背筋が寒くなる。


「……さぁ、結果発表の時間にしようか」


 三人とも下を向いて固まっている。思い当るふしはそれぞれある。


「まずは、黒田君」

「は、はいぃ!」黒田は肩を震わせ、声が裏返った。


「君は、今回、スーパーの特売日リストと、ゲーム機をアウトプットしたそうだね。特売日リストはともかく、ゲーム機は四万円以上する物じゃないか。そんな大金、大学生にはキツイんじゃないか?」

「そ、そのつもりじゃなかったんです! 私がこのゲーム機を欲しがると思いますか!?」

「まぁ確かに、欲がなさそうな黒田君が、このスイッチを使ってまでアウトプットするのは意外だったな」

「あれは、事故だったんです」

 事故?

 頭の上に疑問符が浮かび、瑠衣と俊輔は同時に言った。


 ***


 黒田万莉は、黒田家の長女。黒田家には、高校二年生の長男、中学三年生の次男、小学三年生の次女、小学一年生の三男の四人の弟や妹がいる。

 そのため、姉弟喧嘩は当たり前になっていた。

 やっと終わった。飲食店のバイトを終わらせ、思考する体力もない。黒田は玄関のドアノブを回し、中に入る。

「だめよ、こうくん! それ私の!」

「おれのだもん! 姉ちゃんばっかりズルい!」

 目の前で弟の孝介と妹の恵莉がお互いの服を引っ張ったり、黒田家に唯一あるゲーム機を奪い合っていた。

 黒田は、ため息を吐いた。またか、喧嘩してよく飽きないな。昔は、弟とよく喧嘩したけど、この二人程ではなかった気がする。

 ドアを閉め、「ただいま」と言うと、二人の罵倒しあう声はピタリと止まった。

「おかえりー! 万莉姉ちゃん!」と、恵莉。

「おかえり!」と、孝介。

 二人の笑顔を見て、長い講義とハードなバイト疲れを一気に払拭してくれる気がする。黒田万莉は、「おかえり」と言った。

 それは第二ラウンドの始まりと同じだった。

「ねぇ、万莉姉ちゃん聞いてよ! 恵莉姉ちゃんがゲーム取り上げてきた!」

「はぁ!? 違うし! こうくんがお手伝いしないからでしょ!? それに、終わったらゲーム交代するって約束したじゃん!」

「俺、そんなこと言ってねぇしー」

「はぁ!? 忘れたとか信じられない! あたしだって、ゲームしたいのに!」

 黒田は呆れて、二人をそのままにして、靴を脱ぎ、リビングに足を踏み入れた。

「万莉姉、おかえり」

 キッチンから振り返ったのは、高校二年生の祐介だ。少し小さいお皿をスポンジで洗っている。

「ただいま。晩御飯終わったの?」

「うん。孝介と恵莉だけ、我慢の限界だったから、作って食べさせたよ」

「じゃぁ、祐介と陽介は? 食べたの?」

 陽介とは、中学三年の弟だ。約三か月後の高校受験のために、部屋に籠って勉強をしている。

「俺と陽介はまだ。多分もうそろそろ出てくると思う」

 黒田家は、食べるときは、皆揃って食べるのがルールになっている。しかし、黒田がバイトで帰宅が遅くなると、恵莉と孝介は先に食べさせる。そして、残りの三人で食卓を囲む。最近はそのパターンが多くなりつつある。

 そっか、と返事すると、締め切った和室の障子がスライドして、陽介の姿を現す。障子の向こうは真っ暗で、何も見えない。

「あ、おかえり。万莉姉。帰ってたんだ」祐介に似ている生気のないたれ目に、ハイライトが浮かぶ。

「ただいま。ちょうど今帰ってきたところなの」

「お疲れ。バイトどうだった?」

 陽介は、食器棚からコップを三つ取り出そうとしたとき、祐介が洗ったばかりのコップを使うからいい、と陽介を止める。

「今日は、お客さんが多くて、てんてこ舞いだったの。死ぬかと思った」

 陽介は頷き、コップを一つだけ出し、お茶碗を三つ取り出した。それを黒田が受け取り、炊飯器を開けるボタンを押す。

「何人くらい?」と陽介が聞き返す。

 祐介は、いつの間にか、野菜炒めと煮物を乗せた、フライパンと鍋に火を消して温め終えていた。陽介に皿を取るように頼む。陽介は、はーいと適当に返事し、祐介がイメージしていた皿を全て、ガスの隣に置く。

「ざっと五十人は来てたかな。オーダーも多いわけよ」

「五十人って多いの?」

 黒田と祐介は、よそったお茶碗と煮物と野菜炒めを並べる。お茶を注ぎ、コップと箸を並び終えた陽介は、既に座っていた。


「いただきます」


 三人は声をそろえて、手を合わせた。箸を取り、それぞれの皿に箸を進める。

「あれ、お兄ちゃん達、今からご飯?」ゲーム機を手に持った恵莉が言った。

「うん。ご飯はみんなで食べないとね」と、祐介は言った。


 その時だった。事故が始まったのは。


「恵莉姉、オレちゃんと洗濯物畳んだよ!」

 箪笥が置かれている和室から、わんぱく小僧が大きな声で恵莉の名前を呼んだ。

「ちゃんと閉まったの!?」それに返事するように大声で恵莉も言った。

「えー別に良いじゃん。恵莉姉やってよ。だからゲーム代わって!」

「はぁ!? 何でよ! さっきやったばっかじゃん!」

「まだ攻略出来てねぇんだよ!」

「そんなの知らない! その前に閉まってきて!」

「ゲーム代わってくれるなら、やる」

「あんた何時間やってると思うの!? もういいでしょ! 目悪くなる!」

 そこで終止符を打とうとしたのは、黒田だ。

「はいはい、もう分かったから! 孝介、閉まってきて!」

「えー俺だけ?」

「いいから!」

 孝介は、呆れたようにはーいと返事した。

 黒田は、恵莉に指でこっちに来るように合図した。恵莉は軽やかな足並みで黒田の目の前に来た。

「ぶっちゃけ、孝介って何時間ゲームしてたの!?」

 恵莉は、時計に指を指してぶつぶつと呟く。

「えっと、全部で、五時間してる」

「五時間!? じゃぁ、恵莉はどれくらい?」

 もう一度時計に指を指す。

「……三十分」

「そっかそっか。よく我慢したね、恵莉。えらいえらい」

 黒田は恵莉に、頭を撫でながら言った。すると、恵莉の眼が潤み始めた。黒田は、恵莉の背中に腕を回す。

「いつも、お手伝いしてくれて、ありがとね。お姉ちゃん、いつも感謝してる。だから今日はもう、お手伝いしなくていいからね。」

 恵莉も、黒田の首に手を回し、ギュッと強く抱きしめる。体が小刻みに震え始め、黒田の肩に熱く湿り気を感じる。

「お姉ちゃんって我慢しなきゃいけないからつらいよね。でもね、ずっと我慢しなくていいんだよ。甘えたいときは甘えていいんだからね」

 次の瞬間、ダダダダと駆け足で孝介が目の前に現れる。泣いている恵莉を見て、ポカンとした顔をしたが、すぐに崩れる。

「えー! 恵莉姉泣いてるー! だっせぇー! あはははは!」

 孝介は、笑いながら恵莉を小馬鹿にする。

 黒田は、祐介に目をやると、すぐに頷き、箸を置いて席を立つ。

「孝介! あんたがゲームずっとするからよ!」

 ボカッ。孝介の頭に、大きな拳が振り落とす。

「痛ってぇ~! 祐兄、殴るなよ~!」孝介の眼には、涙が浮かんでいた。

「お前が、恵莉の言うこと聞かずに、ずっとゲームしてるだからだろ」

 普段は寡黙なタイプの祐介が、目を据わらせ、孝介を見下ろして睨む。その表情に孝介は、身の毛がよだつ。

「お、おれ、そんなに、ゲームしてねぇもん、代わろうって、おもってた、し……」

 鼻水をじゅるじゅると鳴らし、泣き始める。

「嘘つけ。五時間やってただろうが」

「だったら! もう一個、新しいゲーム機買ってくれたらいいじゃん!」

 祐介は息をのむ。

「あのゲーム機、古いやつだし、オレだって、あ、新しいゲームが欲しい、し。そしたら、え、恵莉姉と一緒に、ゲーム、できるし」

「そうだとしても、お前が占領しすぎだ!」

「オレん家、ビンボーだから、買えねぇんだろ! ビンボーだから!」

 泣きじゃくりながら怒った孝介は、そばに置いてある黒田のバックを強引に手に取り、「オレだけ悪くない! 新しいゲーム機欲しい!」と泣きじゃくりながら、ブルンブルンと回す。

「ちょ、孝介!」と黒田が止めようとしたときには遅かった。

 バッグの中にある、ノートや教科書、スマホ、ポーチが部屋中に散らばる。もちろん、プラスマイナススイッチも。スイッチは、孝介の足元に落ちる。

 すぐに祐介は、孝介の腕の付け根を、腕に挟んで止める。それでも、足をバタバタと踏みつけ暴れ続ける。

「やめろ、孝介!」

「オレだってゲーム欲しい! 欲しい! 欲しい!」


 そのとき、地団駄する足が、スイッチのプラスボタンに当たる。


「オレだって新しいゲーム機欲しい!」


 プラスとマイナスボタンの間に、『Output OK!』という文字が表示される。

 それを見たとき、黒田は一瞬、孝介に殺意を覚えた。


 ***


「それは、災難だったね……」

 瑠衣と俊輔は、笑えなくなる。

「まぁ、黒田くん、アウトプットした代物は、ちゃんと払ってもらうよ」

 米田は、落ち込む黒田に肩を添えて言った。

「ブー! ブー! 先生が払えー」

 瑠衣と俊輔は、親指を下に向けて言う。

「いや、君たちにも説明しただろう!? アウトプットしたものは、君たちがちゃんと払うって!」

「いや、だからってさぁ、これは、黒田本人が望んでアウトプットしたものじゃないだろ? 事故だからいいじゃん」

 俊輔は、椅子から立ち上がって抗議した。米田は、抗議する二人に飽きえて「いや、だからさぁ……。何回も説明させないでよ」と言い始め、俊輔と口論になる。


「あの、ひとついいですか?」


 瑠衣が二人の口論に終止符を打つ。


「じゃぁ、何で、俺たちにこのスイッチを渡したんですか?」


 すると米田は、ニヤリと口角を上げた。



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